母の愛犬、操ちゃん

NHKのあさイチで「篠栗の母」と紹介された祖聖大寺坊守(そしょうだいじぼうもり)真誠です。

母の愛犬、操ちゃん。

父が亡くなり寂しい母に、姉がプレゼントしたポメラニアン

父の名前の一文字をとって操ちゃん

15年前の10月26日産まれの操ちゃんは、毎日点滴を受けながら頑張っていましたが、先月母が喘息で入院中に亡くなった。

今は母に知らせられないと操ちゃんは入院している事に!家族皆口を合わせ。

その後、母は23日に退院、そのまま施設へ直行。

一週間経った29日母から電話

「こんなところにはいたくない」とまるで何かに憑依されているのでは?と思うほどいつもの優しい母ではなかった。(2階の二人部屋にたった一人でいる母、寂しがり屋の母には耐えられないのでしょう)

翌日、施設の方から「今、お母さんとお姉さんが喧嘩しています」と電話

私「一度返さないと納得しないと思いますから、私が迎えに行きます」と言って家に連れて帰ってきた。

姉を頼らず、自宅で自立してデイに通うと言うのですが、家に入るのも思うようにいかず、料理も作ると言うので食材購入しましたが、結局母から言われたことを私がする事に。

初日、夜中2時に母が呼ぶ声

飛んでいくと

「夜中の丁度12時。操ちゃんが出てきて部屋の中を楽しそうにグルグル回るものだから「操ちゃん、キツくないの?」って尋ねたら、

僕は死んだよ!

お母さんと姉ちゃんに可愛がられて僕は幸せだったよ。有難う!・・・姉を助けてあげてね。仲良くしてね。

それと、僕がおばちゃん(私)に頼んで家に返してもらったの。僕を探して」

憑依されていると思った理由、納得した私。

その後、父がが出てきて・・・」と話は続くのでした。

一度家に帰って欲しかったのか?それとも寂しがり屋の母を他の施設へ?

翌朝、どこかに骨壷があるはず!と部屋中を探して!と母。勿論あるはずはなく。

今度は104で動物病院を尋ねて電話。余りにもたまりかねた私は

「姉ちゃんにどこの動物病院に入院しているか?尋ねた方が早いのでは?と提案。

操ちゃんが探してと言っているからと落ち着かない母

とうとう私の方が「操ちゃんは亡くなったの」

母「いつ?」

私「お母さんが入院中の20日」

母「操ちゃんはどこにいるの?」

私「五郎(前回買っていた犬)と一緒の動物霊園」

母「五郎と一緒なら寂しくないね」と二人で涙

葬儀の写真や読経の動画、姉と姉の息子家族が線香を供えてお祈りの写真など見せると「みんなで行ってくれて良かった」とホッとして涙、涙。

先ずは操ちゃんの件ホッとしましたが、母は一つ一つの会話は普通に会話出来ますが、さっき言った事を忘れてしまう。姉が言うように痴呆が進んでいます。

昨夜、帰宅予定でしたが

「寂しいから明日の朝早く帰って」と言う母。勿論心配な私はもう一泊。

またまた四時半過ぎ、母が叫ぶ声

行くとベットから滑り落ちた、私どうしたの?どうしてこうなったの?どうしたらいいの?と動けない自分、老いた自分、まだ受け入れていない母。

こうなると私一人では立たせる事は出来ず母に伝えた事

「やっぱり一人暮らしは無理よね。

施設に入った方がみんな安心だし、お母さんもこけて骨折でもしたら寝たきりになるよ。子供はね、一日でも元気で長生きしてほしいと思っているのだからね」と二人して涙

本人も納得して、座布団3つ敷いて寝かせた。

翌朝、デイの方にお願いして立たせてもらい朝支度してデイへ出発

デイの方「今はデイサービス後、施設に行くこと納得していますが、直ぐに忘れてしまうんです」と。

その後、施設に母の荷物を届け

帰りの車中、老いていく母に涙、涙

夕方案の定、姉からの電話で

「お母さんが施設に連れて行かれ怒っている」と。

いつも笑っている母の人生を思い出しながら、信者さんの一生も思い出し、人の一生、自分の一生を重ねて

これからの生き方、見つめ直す私でした。

皆さんも自分の一生。

老いた自分を見つめてください。

若い時は考えもしないけれど、人生100年時代。

長生きすれば、必ず心と体がついてこない!骨折すれば寝たきり。他人事ではありません。

今からしっかり老いを見つめ、人生設計、精進あるのみです。

愛犬操ちゃんも自分もみんな、この世を去る!

この世を去る時「有難う」と送る方も送られる方も伝えられたら、幸せですね。

母から3キロの唐揚げ用鶏肉買ってきてと頼まれ、

味付けした鶏肉は、約2キロは施設の方に、残りは我が家に。

早速、我が家の夕食。

家族大好きな母の唐揚げ

残り2バックになんと書いたと思う?

と副住職に尋ねると「ばぁーちゃんの最後の唐揚げ」

私「えっー、なんで分かるの?

僕もそう思うもの。

お母さん、最後の一つはずっーと冷蔵庫に入れておいてね。レシピ聞いてきた」と。

母からもらったたくさんの思い出

まだまだ時間はあります。

母にとっては辛い老後かもしれませんが、私にとってはまだまだ親孝行の時間。大切にしたいと思います。とはいっても週一面会です。

もう直ぐ、母の4歳で亡くなった妹の祥月命日。昨年初めてその時の様子「姉ちゃん、川の向こうにお花畑が見えるよ!

姉ちゃん。もう行くよ、もう行くよ」と亡くなった妹。辛かったでしょうね。

父親が亡くなり、忙しい母親。長女だった母は母親代わりで、弟や妹に料理を作って食べささていたのでしょう。料理が好きな母、人に食べさせることが大好きな母。

そして優しい母、私達は幸せ者です。合掌

当山お勧めお札、トイレのお札

お札、御守 – 篠栗四国霊場 八十五番 郷ノ原観音 祖聖大寺(そしょうだいじ)

私が伝えたいこと
何故生まれて来たのか?
これが分かれば生き方が変わる
お経の意味も遍路の意味も同じこと
私達が目指すもの
真言密教を開かられたお大師さまの思い

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