祈願祭無事厳修。不動明王の慈悲の宝剣お授けください。

NHKのあさイチで「篠栗の母」と紹介された坊守、真誠(僧名)です。

さて、先日のブログ「私の大失敗、伊野皇大神宮の神様に何をしに来たか?」と怒られたこと❗️
あれからよくよく考えました。

確かにちょちょっとお参りしましょうとは言いましたが、神様に粗相をしたことはなく感謝の祈り、きちんとお伝えしたはずだけど?と。

なので仕事をしながらあの日のことを思い出していました。そして、あっ❗️と気付いた事❗️

あの日、私達の前に日本人の方に案内された外国の方が一眼レフで本殿の写真をパチパチ撮っていたのです。
その姿にあらあらっ神様に失礼している!と批判した私。

それに対して神様は、人の批判をしに来たのか?感謝の祈りに来たのではないのか?と「何をしに来たか?」とお叱りになられたと思いました。
まだまだ慈悲の心が足りない私。反省。

さて、昨日は祈願祭、無事厳修。凄い火が上がっていました。
そしてビックリ!護摩の炎の熱が眉間に感じたのです。
護摩の火は住職さんの前、距離にして3メートル近くあるはずなのに。

信者さんが外から撮った写真を送ってくれました。

護摩の火が観音様の胸に反射して燃えています。ワクワクしますね。

そして今日は28日。お不動様のご縁日です。
なので、不動の御前にて「私に慈悲の宝剣をお授けください。戒めとして自分に向けたいと思います」とお願いしました。

全く動じないお不動様ですが、観音様とお大師さまはにっこり微笑んでくださいました。

先日、棚卸しデーター探していたら随分前にいただいたメールを見つけました。
これも意味があるのかな?長文ですがご紹介します。

「ご住職様、奥様
昨日はお話を有難うございました。
いただいた回転饅頭は主人が、夕食前に2個
私が寝た後に残りの2個、すべて美味しくたいらげてました。笑。
「冷えていても美味しい~」と笑顔で話しておりました。有難うございました。
そして、今日、義父の三回忌法要も無事終わりました。
先ほどのメールの時に迷ったのですが、お話しておこうと思い、追伸いたします。
法要へは、普通の一般的な略式数珠を持って行く気が起こらず、いつも使っている真言宗のお数珠を持って行きました。

法要(浄土真宗)が始まって手を合わせた時、
「そは浄土真宗にあらず、真言なり!」と怒っている感じの声が聞こえました。
数珠の事を怒られたのでしょう、ちょっと怖かったです。
(ごめんなさい、でも普通のお数珠を持って行く気が無かったんだもん!と思いながら。)

それから黄色い袈裟を着た十数人ぐらいの僧侶が見えました。
浄土真宗のお経、阿弥陀如来うんぬんとご院家があげれば
それに合わせて、私が見えている黄色い袈裟の僧侶は阿弥陀如来の真言をあげ、
また浄土真宗のお経で他の菩薩様の名前が入ったお経をご院家があげれば
お経に合わせて、その菩薩様の名前が入ったお経が聞こえ、
(真言宗にそんなお経があるかは知りませんが)
法要が終わるまで、ずっとそんな感じでした。

空耳か?妄想か?
実家の母に話すと「あんた、変じゃない?気のせいよ」と笑われました。
ははは・・・そうですね、そうかもしれません。
お数珠、失礼だったかな・・・お義父さんに、阿弥陀様に謝っておこうかな。

「祖は浄土真宗にあらず、真言なり」
・・・ああ、そうだ、義祖父はそれを知っていたから、真言宗のお数珠を使っていたんだ。
そう思うと、すごく納得がいきました。そしてまだ眠かったので床に入り・・・(^^;

実は、そちらにお伺いした日、帰るときに頭痛が突然したんです。
有難うございましたと玄関を出たときなのか、滝のお不動様に帰りの挨拶をしたときなのか
どちらにせよ、この頭痛、意味がわからない。と思いました。
お不動様に聞いても気配すらなく、私を無視(--;
昨日もほぼ一日中痛かった。ただし法要中は頭痛は感じませんでした。
明け方目が覚めた時も頭がズキズキと・・・。
でも、「そは」は「祖」でなぜか納得した後、
うつらうつら二度寝する中で(頭痛は誰かお話があるのですか)と一生懸命聞きました。
なんとなくご先祖様が気になり、問いかけるとまた黄色の袈裟着た僧侶が十数人・・・。
昔の古い言葉で長々お話をされました。
夢夢うつつですが、現実であろうとなかろうと、妄想であろうとも(笑!)
心動かされる言葉でしたので、下に↓書いておきます。

「真言とは人の心に明かり灯すものなり。
檀家寺、今は宗派違えども、住職、人の心に明かり灯し、良き住職。
これまた真言の教えと同じなり。
宗派違えど宗派超え、我が祖(お大師様だと思います)慕う者、祖は衆生の心に光与うるものなり。
祖の心、知る衆生、救わんと。
祖の心、いまだ知らずや衆生、我ら、祖とともに救わんとす。
その者(信者さんだと思います)、大師の子なり。大師の子、大師と共に道歩む者なり。
我ら、大師と共に、子を支え歩む者なり。
その者、夫の光。夫の幸、その者の笑顔。
夫、その者なくば、光失い、闇に包まれる。
その夫、そなたの影となり、そなたを支うる者なり。
その者笑顔、これまた夫の宝なり。

祖聖大寺僧侶、厳しき行乗り越え、心静かに祈り供養する者なり。
されど、その者の熱意、炎の如く不動の如く熱きものなり。
真言の教え、衆生の心、光灯すものなり。


不動、そちと共にあらん。
大師、不動と共にあらん、それすなわち、そちと共にあり。

頭痛、しこり残るが軽くなるであろう。許せ。」
・・・まだ痛いんですけどね、軽くなった気はしない(--;」と。

祖聖大寺の僧侶•••家族でまだまだ頑張らなきゃいけませんね。改めて喝を入れていただいた気がします。愛と浄化。精進します。合掌

私が伝えたいこと
何故生まれて来たのか?
これが分かれば生き方が変わる
お経の意味も遍路の意味も同じこと
私達が目指すもの
真言密教を開かられたお大師さまの思い・・・

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