父の日、私の父

NHKの朝イチで「篠栗の母」と紹介された坊守、真誠(僧名)です。

さて、昨日は父の日。そして私の実父が生きていれば93歳の誕生日でした。午後からお墓参りに行く予定でしたが、7名の滝行と先日ブログで紹介した「不思議な電話」の信者さんがご供養にご来山くださって力が入り過ぎて午後はバタンキューということで本日お墓参りに行ってきました。

信者さんが不思議な電話の内容を教えてくださいました。

夜中の1時半、入院中の父に女性から電話がなり、取り次いだ看護婦さんに「お腹が痛い」と言われたので、痴呆が出ている母が電話してきていると思った看護婦さんは「ご家族に相談してください」と電話を切ったそうです。ですが父の入院先は誰にも伝えていないと知った看護婦さんは気持ち悪がったそうです。信者さんもビックリして調べたら、父が10歳の時に亡くなった母親の命日が重なったことと、母親はお産で亡くなっていることから祖母ではないかとご供養にご来山くださいました。読経後、喜んで浄化されたと思いました。

さてさて、今日無事にお墓参り、そして父に思いを馳せました。

無口で無愛想、母と娘三人集まるといつの間にかいなくなる、かと思えば未来を語る父は楽しそうでした。母は18歳で結婚、13歳離れていたものだか躾は父、厳しい父でしたがそれも親の思い、優しさだったと今になって思います。母が今日初めで教えてくれたこと、私が多分5.6年生だった時のど自慢大会に飛び入りしたのですが、その時録音したテープをいつも聴いていたと。父は音楽が好きで朝5時に起床すると一番にレコードを流し、私達はその音楽で目が覚めていたものです。私が3年生の時ピアノを習いたいというと父は喜んで楽器店に行き、ピアノを買ってくれました。9時を過ぎたら近所迷惑になると9時以降はピアノは引けなかったのですが、飲んで帰ってくると起こされて「夕焼け小焼け」を弾かされ不満に思っていたものです。これも父が亡くなって知ったのですが、学校も行っていない幼かった頃「夕方になったら帰ってくるから公園で遊んでいなさい」と母親に言われ姉弟で夕方になるのを今か今かと待っていたそうです。そして多分母子で夕焼け小焼けを歌いながら帰宅していたのですね。亡くなって月日が経てば経つほど良い思い出ばかりが思い出されます。小学一年生だった時学童の先生から「年ちゃん、お父さんお酒飲んで嫌だね」と言われた時「先生、そんなこと言わないで私にとって、たった一人のお父さんだから」と。子供は例えどんな親でも親が大好きです。なので先日2回目の滝行に来られた刺青を入れた方達に前回「親孝行してください」とお願いしました。

父の日、あなたの父親はどんな人ですか?

そしてあなたはどんな親ですか?そしてあなたの子供はどんな親ですか?どんな親になって欲しいですか?

あなたの生き方が子孫に伝授されていきます。

さてさて、喜ぶべきか?それとも焦りますか?

と言っている私は人どころではない!まだまだ精進が足りません。生きている内ならやり直しはいつでも出来ますね。死ぬまで精進、楽しく甘えて頑張ります。笑い 合掌

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