火がおこれば風が吹く

NHKのあさイチで「篠栗の母」と紹介された坊守、真誠(僧名)です。

今日から23日までお彼岸ですね。
先日、実家のお墓参りに行って草取りしながら、ふと脳裏によぎったこと。
3月14日に80才になった母もいつかこのお墓に入るんだと。とても悲しくなりました。
そして、昨年13回忌を終えた父のことを思いました。亡くなって寂しいというよりも「父はここにいる。お墓にいる。いつも私達を見守っている。お母さんを守ってくれている」と。
それはきっと母が仕事と介護の大変な中「お父さんが80才まで生きてくれたら思い残すとは無い」と言っていたことと「老後を何も心配することなく楽しく過ごせるのはお父さんのお蔭」といつも言っているからでしょうね。几帳面な父の仕事は尊敬するところが沢山ありました。また、恩を忘れない律儀な父でした。
父31才、母18才で結婚した両親でしたから躾は父から、母は優しいばかりの母でした。今も。
その母が亡くなったらと考えるだけでゾッとしますが・・・義母ですら1年間泣いていましたね。

お彼岸、自分見つめ。私が死んだら何人の人が泣いてくれるでしょうか?

今日は大師堂で夕勤行、体の中にお灯明をイメージして読経していると、体の中に一瞬風が吹いて!
今の何?と不思議なことがありました。

どういう意味なのか?
「火をおこして風を吹かせない 自分を奮い立たせなさい」と言われているのか?
それとも、信者さんに火を付ければ風が吹くのは当たり前と言われているのか?

私は信者さんに嫌われることは全く怖くない。ですが信者さんが不幸になることは辛いし悲しい。なので厳しい事を言ってしまう。
それは、過去に「ちゃんと食べていますか?元気ですか?」と尋ねて「大丈夫です」と返答いただいて、数日後、また不吉な気がして同じことを尋ねようとして言葉を飲んだ。それから1ヶ月後信者さんは自殺した。また、言わなければと思いながらも言えなかった信者さんが突然死。その他・・・言わなかったことを後悔していることが沢山ある。言わないで後悔するよりも、言って嫌われた方がまだましと、そんな私ですから・・・
さて、お大師さまはどちらのメッセージ?
それとも全く違うメッセージ?
このお彼岸(悟りの岸に渡る)に、しっかり自分みつめ精進いたします。

皆さんもお彼岸、仏教の中道=誰から見ても正しい生き方出来ているか?
しっかり自分見つめ精進してください。合掌。

PS、3月20日(土)お彼岸の中日、女性部篠栗お掃除遍路は三ヶ月振りに再開です。車の移動、コロナが気になる方は自分の車を出してください。ご理解ご協力宜しくお願いいたします。合掌

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