審神者(さにわ)が下りてくる

NHKのあさイチで「篠栗の母」と紹介された坊守、真誠(僧名)です。

さて、今日は歩き遍路をしているお弟子さんが久し振りに来られるというので、遅ればせながらの誕生日のお祝いと思いケーキを買いに出かけました。国道に出ると新吉野公園の桜が美しかった。桜を見ながら、役行者さんが創建された金峯山寺とここ郷原を重ね思い、金峯山寺の吉野公園は桜の名所、そして金峯山寺に向かう道は七曲がり。ここ郷原(ごうのはる)も新吉野公園は桜の名所でありこの国道を七曲がりという。もともと郷原は行ノ原(行をするところ)と書いたそうですし、山伏谷があり山伏塚もある。共通する何かがあるのでしょうね。
雨が降っていたので晴れたら写真を掲載しますね。

さて、お弟子さん、歩き遍路修行を頑張っているから自信に満ちあふれてとても爽やかでしたよ。
そしてケーキで誕生日祝い。甘いものは幸福度をアップさせますね。

そして私達の会話。
お弟子さん「町とここは空気が違いますね。八木山峠に入ってくると何だかふわふわとしてくるんです。そしてさにわが下りてくるって言葉が入ってきたんですけど、さにわって何ですか?」と聞かれたので調べてみました。

ありました、ありました、審神者(さにわ)ウィキペディアより
審神者(さにわ)とは、古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のことである。後には祭祀の際に琴を弾く者を指すようにもなった。
「さにわ」(歴史的仮名遣いでは「さには」)は、元は「清庭」(さやにわ)の意味で、神を祭り神託を受けるために忌み清めた庭(場所)のことを指したとする説[誰?]が有力である。
『古事記』の仲哀天皇の段に、天皇が琴を弾き、武内宿禰が沙庭(さにわ)に居て神の命を請うたという記述がある。ここで沙庭は場所の意味であるが、宿禰が審神者を務めたということになる。その後の記述では、神が神功皇后に乗り移り、神託を述べている。『日本書紀』の神功皇后9年(209年)3月には、皇后が自ら神主となり、宿禰に琴を弾かせ、中臣氏の祖と伝えられる中臣烏賊津使主を審神者としたと記されており[1]、福岡県久山町の審神者神社が祭神として中臣烏賊津使主を祀っている。
後に、神楽で琴を弾く者のことを「さにわ」と称するようになった。平安時代の『政事要略』に「今琴弾之者を以て佐爾波(さにわ)と云、偏に以て神遊に供奉す」とある。と。

さて、お弟子さんは審神者になって、神意を伝えるのでしょうか?
そんなこんなの会話をしながら、
私「お坊さんはもっと仏教の教えを伝えないとね~」
お弟子さん「そうそう、そうそう・・・」と峠を上ってくるとき感じた言葉を思い出しながら
「これから世の中はもっと悪くなるから、お坊さんは仏教の教えを伝えなさい。ネットでも何でもいいからもっと仏教を広めなさい」と。
そしてこんな事も言いました「お大師さまは信仰心のないものに法を説く必要はないと言われています」
私「それでも一度は仏教の教えを伝えなければ。それで耳を傾けなかったならば二度も三度も伝える必要はないし、去る者を追っかけてまで伝える必要もない。私達を信じてくれる人を守っていくしかないですね」と。

お弟子さんがいうように「これからもっと悪くなるから・・・」
先日の祈願祭のブログで、新型コロナウイルス感染だけではなく、まだまだ自然災害・・・と書きましが、祭事に見たものは水害、地震の映像でした。私が感じるものが??ですが、一人でも多くの方が仏教の教えを学び、人として正しくて生きること。そしてお大師さまが読経は全てを清浄にする!と言われました。この世が少しでも良くなうように宜しくお願いいたします。
合掌

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