***  2022.11.13  紅葉 もう気が付くと11月も中盤。秋の大祭柴灯大護摩の準備、片づけに追われる中、正面の山が紅葉してる光景を見た。紅葉は秋を彩るもののひとつでもある。紅葉は美しく惚れ惚れする。穏やかさを私達の心に与えてくれるが、温かい気温と反対の冷たい気温の繰り返しにより素晴らしい色になってゆく。そこには人生の在り方にも似てる気がする。苦しく。つらい事の繰り返しが人としての在り方を学習して素晴らしい人となってゆくのである。まさに自然の説法でもある。私達の心を和やかにして時期が来れば散り、川の水に流されてゆく。紅葉が短い期間を精一杯山を彩るように私達も今を精一杯生きる事が大切だと感じるこの頃である。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***  2022,10,24   工事さん 先週今月の柴灯おお護摩の準備でバタバタしてる中、スマホで関連する項目を探してる中でドリフターズ仲本工事さんの訃報が目に入った。私の頭から又、昭和が消えていった気がして何だか淋しく、わびしい思いがした。彼らの全盛期は50年前である。メンバー一人一人が個性があり、みんなを笑いの渦に巻き込んで一世を風靡した。工事さんは晩年はギターで歌を流していた。”この街で生まれて この街で育ち この街であなたと出会いい・・・”という歌詞である。夫婦の人生を優しく相手を認め人生をかみしめて生きてゆくという内容の歌と私は理解してる。彼にこのような繊細なところがあったのかと今まで見えてこなかった彼の一面を見たようで心惹かれた。人というもの、人生というものを改めて考え直す歌詞でもあると私には思えた。この歌には仏法にも通じるものがあるように思える。互いを認め合う事から思いやりが生れ、信頼につながる素晴らしい事でもある。(相互供養、相互礼拝)この精神を持ち、人生を送ればこの世の浄土を味わえると思えてならない。精進を忘れづに仲本工事さんのご冥福をお祈り申し上げます。合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

***  2022.10.15   人生 去る12日正午、柴灯大護摩の準備で祖と仕事の途中、ラインがあった。当山の前信徒総代の遷化の知らせであった。そうぎのあいさつ文で家族の故人への深い思いを感じるお礼の言葉の一説である、「明るく世話好きの夫へ 長い間ありがとう」夫は社交的で責任感が強く、勉強熱心な夫でした。法務局で登記官として勤めた後、司法書士事務所を開所。仕事では厳格な夫でしたが、趣味のゴルフでは、一変、楽しそうな笑顔を輝かせておりました。この文章から総代の人生が短く語られてる思いでした。このような人生を送れた早大は幸せであったと感じ、このような方がいなくなったかと思うと淋しく、空しくやりきれないわたしであった。幼少より私も色々と面倒を見てもらい、可愛がっても頂いた。その事がつい昨日のような感じがする。でもその間長い年月が経ってるのも忘れたかのようである。人生あっという間であるとも感じるこの頃である。自分の人生どうだったのか。これからどう生きてゆくのかとの問いかけが脳裏を駆け巡る。いい人生と思えるように日々精進あるのみと感じた。合掌

 

 

 

 

 

 

 

*** 2022.9.30  六方 彼岸も終わり、いよいよ秋本番である。もう夏と違い日一日と日暮れが早くなってくる。私としては苦手な時期でもあり、わびしく感じる次第である。

それはさておき、私がいつも実行してるのは早朝、本堂を開けてまず、東西南北と上(天)下(地)に柏手を打ち礼をする。それは当山の本堂の建設をしてる頂いた大工さんとの話からである。彼は、早朝に必ず、東西南北と天と地に柏手を打ち、礼をするとの事を話してたからである。その話を耳にして良い事と思ったから実行した次第である。私が最近感じる事に私達と自然は別々の存在ではなく、同じであるという事である。

これは弘法大師の言葉に「自然災害が起こる時は鬼人暴れる。人心乱れる時は自然災害も起きる」と説かれている。この事は我々と自然は一体という事ではないかという事である。私達の先祖は戦争や天変地異でなくなった方も沢山いると思います。その方々の骨は年月が経つほどに土になり、石になり。岩石になります。つまりこの大がごそうだと思われる。その上に私達は、家を建て、高速道路を走らせ、色んな面で生活に便利なように使っている。そう考えると多くのご先祖様方が私達の為に無双のお力添えをしてあるように思えてならない。その事だけでも大変、驚異的な事ではないだろうか。このような事からあらゆる事に感謝する思いで六方に礼をする行為がなされてきたのではないかと思う。そこに先祖を思う事の大切さがあるように感じる。この事から先祖供養の大切さが感じられる。

祈願の時は、熱心な日本人。供養の事はそれほど熱心でない日本人。考え直してみる必要があると思う私である。合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

***   2022.9.26  彼岸 今日で今月20日からの秋の彼岸も終わり、これから秋本番になってゆく。暑い夏とおさらばと思うとなんだか物淋しい思いでもある。

”暑さ寒さも彼岸まで”とのことわざがある。中日(今月23日)昼と夜の長さが同じになる日。物事のバランス、料理の味付けの塩梅にも通じる意味があると私は思う。最近の世の中の傾向は、このバランスを欠いた方向に行ってると感じる。我々の先祖はこの事を重んじ私達に色んな教えを残していったように思う。その先人たちの思いを私達は、今こそしっかりかみしめ後世に伝えてゆく必要に迫られてるように思えてならない。内部でいがみ合いをしてる時ではない。このような思いをくみ取り私達大人が、手本となるべきではなかろうか。これがご先祖様にしてあげられる事にもなるのではないかとも思える。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

***  2022.9.8  災害 今月は災害に縁のある月。一日は関東大震災から98年目でもある。今月は6日の台風11号が九州に接近冷や冷やの思いであった。

結果的には線状降水帯を免れたが、風に悩まされた。当山は、滝場の竹が一本倒れていた。この程度で済んだので内心ほっとしている。目には見えないが神仏やご先祖様の守りのお陰もあるのではないかとの思いが脳裏を過ぎる。私達は被害が少なかった事には運が良かったと片づけてるようであるが、その裏には色んな力が働いている事には気がつかない事が多いと感じられる。

やがて秋の彼岸がやってくる。彼岸はご先祖様の守りに感謝の思いを抱くじきでもあると思う。何事も自分が・・・、私が・・・と自分を先に出す私達の心。そこにはご先祖様や神仏の力のお陰を忘れてはならないと思う。このような事から”お陰様”という言葉が使われてると思う。この言葉の意味をかみしめてお彼岸を迎えたいと思う。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***   2022,8.16 地獄 今日は盆16日でこの日は年1回地獄の釜の蓋が開く日と言われている。盆3日間で供養の行き届かない御霊にしっかり供養の誠を捧げる日でもある。当山は15年ほど前からこの日せがき供養を行っている。盆の間信者さん方から以来のあったお膳供養の総決算の日でもある。近年、この日は天候不順の日が多く、今日天気予報では風があり、雨が降るとの事であったが、昼頃より雨が降り出し、思ったほど強くは降らなかったので滝場で信者さんたちのご先祖様の戒名を記した卒塔婆供養を行った。多くの御霊が私達の読経で喜び浄土へ向かってあるかと思うと盆の疲れが癒される思いであった。目には見えなくともご先祖様が多く盆にはこの世に帰って来てあるとの思いが年々感じられる。しっかりご先祖様に恥じない生き方をせねばと改めて感じた。 合掌 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***  2022.8.9  蓮華 今日は長崎原爆投下77年目。去る6日広島原爆投下の日。いくら年月が経っても戦争の傷はいえないとよく耳にする。今年になりロシアのウクライナ侵攻、今月の中台の対立など戦争の前触れを告げるような事態が後を絶たない。いつになったら戦争が終わるのかと誰もが感じてる事である。極楽浄土から人間世界を見てる仏は、人間とはいつになっても愚かな争いを続けていると嘆いてあるに違いない。これも人間の業であろうか。新たな心の面での借金を作ってるとも思える。盆がすぐ目の前に来てるのにこのような有様では亡きご先祖様にゆっくりしてもらえないのではとも思えてならない。少しでもこのような煩わしい人間世界から離れご先祖様とゆっくり話でもするのがお盆ではなかろうか。観音様がお座りになってる蓮の台を見ながら自分見つめをするのもどうだろうかと思う。蓮の花は綺麗に咲き私達の心を魅了する。その綺麗な花も綺麗な土から根をはるのではなくどろどろとした中に根を張り、綺麗な花を咲かせる。私達もどろどろとした人間世界の中にあっても心は清らかに勤める事の大切さを蓮の花が説法してるとも思える。私達は人間世界に心の修行をしに来てるのだから蓮の花が私達を応援している。そう思うとどんな世になろうと希望だけは失いたくない。いつも蓮の花を心に描いながら前進である。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***  2022.7.25   御礼 今日も又暑い中、夫婦連れの参拝者が見えた。どうやら当山のウスサマ明王のお札を求めに来られた。しばらく二人で本尊様に念入りに思いりをされた後、ウスサマ明王にも念入りにお参りをされていた。久々そのような方を見た感じがする。今、コロナ禍でお参りもサッときて金をならし、読経もせず行く方が多い中、貴重な存在でもあった。お札を求められたので対応する中で奥さんが”私達はお参りに行った先で願い事よりこうしてお参りさせて頂いた事に御礼をのべさせて頂いた後、お願い事をいたしております”と仰られた言葉に感動を受けた。この夫婦は魂の位の高い方だなと感じた。信仰する人の鏡である。私は、僧職でありながら自分を恥じた。もっと精進をする必要を感じさせられた気がしてならない。至らない自分にやるせない思いでもあった。本尊様が私に説法してくれたのだとも思い自分磨きに励まねばと再度思った。合掌

 

 

***  2022.7.23 体験 今日は久々の修行体験。ここ2~3年コロナの影響で体験参加者の数も減ってる中、有り難い事である。昼食をはさんで午後からは瞑想の時間。その中で舌の間隔の瞑想の所。ほんのひとつまみの塩をなめさせてその後の変化を調べる事が目的である。参加者がどのような感覚を覚えたかを尋ねると色々とその人なみの答えが聞けて感じ方の広さを感じる。

その中で今回の体験者は”この塩を作った方の思いを感じます”との言葉が私の脳裏に残ってる。過去の参加者では聞けなかった考えである。この方の感覚から派生しる感じ方は、光るものがあると感じた。人の思いが感じられるという事は仏様と同じではないかと私は感じた。素晴らしい出会いであり、そのような日であった。このような方が多くなればこの世が仏の世界になるのではないかとも思えた。ありがとうございました。合掌

 

 

*** 2022.7.8 一瞬 本日昼本堂の台所で法務をしてる最中、坊守の携帯から安倍前総理が選挙演説中に何者かの銃弾に倒れ、心肺停止との速報が耳に入り、少し眠気が射し、眠りかけた所であったが、一瞬にして眠けが吹っ飛んだ。それも演説が始まったばかりの一瞬の出来事だった。私は唖然とし、信じられない思いであった。誰がこの事を知ってただろうか。(犯人は別として)彼にはもう少し政治家として働いてもらいたかったと思う方が多いと私は感じた。それだけに残念という思いしかない。

スマホで古舘一郎さんが、彼と対話した時、彼は歴代続いた政治家の家に生まれその道を行かないといけない宿命にあり、その道を試行錯誤しながら歩んできたその結果、総理大臣という地位に就いた。一般人は仕事についてその仕事が自分異合ってないならすぐ辞めて他の仕事につけるが、政治家はそれが出来ない。との話をされた事を語ってあった。その思いが歴代長い内閣が続いた結果をもたらした。彼も選挙を目前に控え、心無い輩の銃弾に倒れ、命を落とすとか思ってもなかったと思う。演説のマイクを持つまではあった命。マイクを持ち、本の1分話した後、絶たれた命。こう思うとあまりにもはかない このような世界に阿倍さんだけでなく、私達も生きている。誰も先の事など分からない。だからこそ、今を大事に時を大切にして生きていきたい。彼の死をそのように受け止め人生を送る事が彼の死を無題しない事にもなるのではないかとも考えられる。そのような思いで投票へ行く思いである。阿倍前総理のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 合掌 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***   2022,6,27  光 今月15日は、弘法大師(お大師様)の誕生日。その日のブログの補充で書かせて頂こうと思う。お大師様は、日本中はおろか世界中でその名(南無大師遍照金剛)を唱える声がしたらすぐ駆けつけて私達衆生の救済をされる。私達凡夫ではとても大変な作業であり、不可能でもある。しかし、お大師様はそれをやってのけられている。大分前、高野山の会報にお大師様は光でもあるという意味の事が載せてあったのを覚えている。光と同じであるならその事は可能でもあるとその事から神仏やご先祖様の事などが繋がってくるのを最近感じるのである。当山は、修行体験という事を行っている。最近、コロナの影響もあり、滝行のみをいらいする方が多い。滝行の説明の中で滝に入る前に合掌をする事と滝行の後も合掌する事にしている。滝場の水、土、木、ローソクの火、風、空気すべてそこには神仏や私達のご先祖様も含まれてると。そう感じるから合掌をするのだと。こう考えると私達は神仏やご先祖様方に守られてるとも思う。こう思うとこの地球というもの私達の人生、宇宙全体不思議でもあり、面白くもある世界でもあると思う。こう思うとお大師様のご加護も申し訳なく感じ、勿体ないとも思う。今日も光となって見守り、励まし、叱咤頂きありがとうございますとの思いである。  合掌

補充

 

 

***   2022.6.15   誕生日 今日は弘法大師空海上人の誕生日。ごく一般の庶民からみるみる着香を浴び、天皇が尊敬をするほどまでなった人物でもある。一生をかけこれほどまで自分の道に情熱を注いだ人は、そうめったにいないだろう。私は最近、よく思う事に空海さんは、長い輪廻転生の過程において私達日本人とこの大宇宙のどこかの星で共に暮らしていたのではないだろうか と思う。その縁があって日本という国に縁があり住み、そこで新たな縁をもらっているようにも思える。私達は、日常目に見える範囲の活動が主である。だから、目に見えないものの存在がどうしても不振を抱いてしまうと思う。しかし、現実目に見えないもののお陰で暮らしていってる事も事実である。例を挙げれば電気である。その動きは目には見えないが、我々の想像を絶する速度で私達の生活に貢献しているのは、誰でも認める事実である。その光の速さが神仏の存在であり、そこに弘法大師空海上人も力を貸してあると思う。末法の世を救う誓願を持たれた弘法大師。今のロシアとウクライナの状態をどう思われてるのかと毎朝の勤行で思いをはせる私である。 合掌

 

 

 

 

 

 

***  2022.5.30   上手く 物事始めたら上手くなりたいと思う。ただしそこにたどり着くまでが並大抵ではない。例えば野球選手に例をとるとグローブやミットなどの道具を丁寧に管理しているとの話を耳にした。その道に携わる人が、いつもやってる事が実を結び大きな成果をもたらすのである。野球を愛する人の思いがそれをやるための道具を愛するという心が、その道具にも伝わり野球をする人に味方していい成績を収める手伝いをするのではないかとも感じた。道具は言葉は伝わらなくとも思いは伝わる。そこには人だけでなく物にも心があるという事にもなる。何事も上手くなりたいならその事に使う道具をしっかり愛する事ではないかとも思う。そこには心からの感謝が必須と思われる。全ての物に仏の心があるとも思う。さらに自分も仏道に精進したい。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

*** 2022.5.22 明王祭 本日恒例の明王祭を厳修した。当山は、不動明王を始め、ウスサマ明王、愛染明王、倶利伽羅不動、八大竜王などが勢ぞろいその徳を讃える為、2010年より明王祭りを行っている。毎年4月28日~5月28日までの1か月ご開帳を行っておりご縁のある方にお参りしていただいている。当日は信者様方から頂いた添え護摩木の祈願を行い、その終了後、倶利伽羅不動と八大竜王を参拝して頂いた。その日の護摩の火は勢いよく上がり、本尊不動明王の段では最高に上がっていた。やはり不動明王が、参拝された信者お一人お一人に励ましの言葉をかけてるような感じを覚えた。明王様は厳しくも時々は励ましの言葉なり、表情を示される。まさに私達の心中を見抜いておられるような感じである。

明王様の護摩や滝行の度に思う事に明王様が怖くて厳しい。その反面、陰ひなたなく務める者にはその行に応じた励ましや褒美を与えてくれる所もあると感じる。清く、正直にとの言葉をかけてあるように感じる。一層の精進をと言い聞かせる私であった。 合掌

 

 

 

 

***  2022.4.30  周期 今日で又一つ年を重ねた。思うと古希(70歳)手前である。この時期になると両親の事を思い出す。私の住む国道201号線沿線沿いは桜の名所である。丁度両親が結婚して最初の春 満開の桜の下で両親と友人で映ってる写真を思い出した。その中のいい親から生まれた私もいい年。棺桶に足を突っ込んでもおかしくない年と家内に言われる。両親の生前の言葉が時折、脳裏を過ぎる。自分は人間としてどう生きてきたか。物事しっかり考え、行動してきたか。色んな思いが過ぎってゆく。人生の結果に責任をもてるのかと。そう考えると人生まっとうしないとなと思う。諦めず最後の力を出してと気張る私である。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*** 2022.4.25  昔 3日前の22日 恒例の山伏塚の供養に坊守と共に勤めさせて頂いた。今を去る遠い昔(300年前)英彦山修験道の行者の峯入り行のルートの一つで沢山の行者が修行に勤しんでいたようであった。中でも修行半ばで色んな事で命を落とす者もいたそうであった。その行者さん達はどのような思いで亡くなったのであろうか。その思いを察すると胸が痛くなる思いであった。その方々に対して何ができるのかを思うと何にもできない。私は坊さん読経をして差し上げる事しかできない。そう思いその修験者が命を絶った場所で塔婆を建立しその事を思い立ったのが2007 年4月22日であった事から毎年この日を山伏の供養の日と決めて読経をしてるのである。いつも感じる事であるが亡くなられた御霊は年数とかではなくお経の声を大変喜ばれてると感じた。肉体は灰になれども心は永遠に生き続けるという事。これは般若心経にも説かれている。だからこそ読経が大きな力になると思う。亡くなられた御霊も喜ぶ。生きてる私達も功徳を積む事にもなる。まさに一石二鳥である。供養の大切さを感じずにはいられなかった。 合掌

 

年前)

 

 

 

 

 

 

***  2022.4.5  春 寒く厳しい冬がどうやら過ぎ、待ちに待った春の到来。桜の花も満開(先月31日頃)今月になり段々散り出し、あの素晴らしかった花弁は今、いずこ。美しい花を見てる時が、この世の極楽と思う。その極楽をひと時でもいいから満喫したい。その境地が。弘法大師の説かれる”密厳浄土”でその花に見とれ日常の嫌な事を忘れ笑顔になってる姿が仏様と同じ心。お大師様の説かれる”即身成仏”であると感じた。教えというもの遠い空の彼方 宇宙の銀河系の彼方だけにあるのではない。この私達の住む娑婆にも転がってるのである。それを探す事に邁進すれば寿命が延びるのではないかとも思った。この素晴らしい光景を見せてくれる神仏、ご先祖様に合掌せずにはいられない思い出らった。この思いを胸に精進したい。 合掌

 

 

 

***  2022.3.24   彼岸  ”読経の 鐘鳴り響く 春彼岸” 彼岸最終日の今日。本堂で彼岸供養の読経後、自宅の仏壇で灯明、線香に火を灯してる時、大師堂で読経し、鐘を打ってる若住職の姿が目に入った。ついこの間までは夏休みの宿題の算数を朝9時から昼まで教えて見せても一つも理解が出来なかった男が、今いっぱしに経典を唱えているのがどことなく滑稽でおかしく影からニヤニヤしながら見てる私がいる。そのつい”この間”という言葉が、30年という月日が過ぎてる事を意味してる。それだけ自分は年を重ねてるという事になる。息子からは”何回説明したらわかるのか。ちゃんと聞いてろ”とよく怒られる。その息子の表情が滑稽で笑いたくなる私である。そのようなたわいのない事柄でもそこには仏道が沢山説かれているように思える。因果応報、諸行無常。六道輪廻、と言った言葉が脳裏を過ぎる。自分というものを第三者の目で見る事の必要性をつくづく感じる(内観)。素直になる事。謙虚になる事。これから先の人生などを考えると日々修行であると感じる。これらを通じ心の彼岸に到達する事が今、私に求められてる事のように思えた。精進あるのみ   合掌

 

 

 

 

 

 

***   2022,2,28    浄土 毎年今月24日は長崎県大村市にある地蔵菩薩の大祭に招かれてお参りさせて頂いている。長崎道に入り、嬉野から長いトンネルを幾つか通り抜けたら眼前に青空と青い大きな海が広がってる光景が表れる。その光景に感激を覚える。晴天でそらには雲、対岸の景色が素晴らしい。仏教で説く極楽浄土。真言密教で説かれるマンダラ浄土のせかいでもある。浄土は死んでからの世界と考えてる方が多いと思う。そのように言ってる私も若い時は、そうであった。真言宗の僧侶になり、日々の勤行や滝行から色々お大師様の説かれる密教の教えが少しづつ理解してきたと感じた。マンダラ浄土は大宇宙の銀河系の彼方にあると私は思う。そこへ行くにはとてつもない年月、時間が必要。一日の生活でいい事ばかりはなく、自分にとり苦手な事やそのような人と長くいないといけないような場面が多い。そこでそれを嘆いてたらいつまでも平行線。その苦手な事やそのような人でもマイナスばかりが多いとは限らない。プラスな面も少しはあると思う。そのプラス面を探す事に神経を集中させれば事が楽しくなると思う。その楽しくなる心こそが極楽でありこの世の浄土でもあると思う。この心が神仏の世界へと繋がってるのである。そう思う人はこの世に極楽浄土を作れる人でもある。そう思うと青い向こうの岸は長崎市である。仏の目からしたらマンダラ浄土と思う。このように考え人生楽しもうと私は思う。   合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

*** 2022,2,19   春  今日は暦の上で雨水。冬山に積もった雪が溶けだすと言われている。とはいえまだまだ寒さをもたらす冬将軍が猛威を振るっている。季節は少しずつ春に向かって進んでいる。寒さに負けず春に向かいしっかりと生きてるいのちもある。私達の周りのあらゆる物事は、良い事とそうでない事を繰り返し希望という世界に向かってると思う。良い事の中にも悪い事があり、悪い事の中にも良い事もある。このように思うと人生波のように大きな波中くらいの波をうまく乗り越えてゆかねばならないようにも思える。このように考える事が新たな道を切り開いてゆいく事にもなると思う。このような事を思いながら雪空の中、お茶等をする私である。 合掌

 

 

 

 

*** 2022.2.4 厄年 星まつり節分祭も終わり、暦の上では春。よく耳にするのが私は、今年白星 私は黒星。良い思いを持ったり悪い思いを持ったりと人それぞれである。白星だからとつい油断をするのが人間の性。そこで思わぬ失敗をしてお先真っ暗になる事もあれば、厄年だからと気を張り詰めて事にあたると思ったより抵抗が軽く済む事もある。どちらも人生の一こまと私は感じる。白星と黒星は交互にやってくる。白星の年は大いに羽ばたき、黒星の年はいずれ来る白星の年に供え、しっかりと準備する期間と思えば黒星も苦痛ではなくなるのではとも思う。そう思う事で厄は近寄れない。厄は神経過敏になり、色々と気をもむ人に襲い掛かる。さあ、厄年の方々、ゆっくりとしたペースで前に進みましょう。そのうちに光明が差します。厄年を楽しみませんか。ちなみに私、今年から2年半黒星です。 合掌

 

 

 

 

 

 

***   節分 2022,2.3 今日は節分 冬から春へ向かう分岐点。そういうもののすぐには春は来ない。まだ厳しい冬将軍が勢力旺盛 その反面、見えない所で春の息吹がしてる。そのように厳しく冷たい冬をしのいでやがて来る春に希望を持ち進む事が開運の道を開く事になると思う。厄だからといい、用心する事は大事。それだからと言い、前に進まねばいつまでもそのまんま。やがて日が暮れてしまう。用心しつつも前に進む事がやがてやってくる白星にとっての供えてでもある。白星の方も黒星の方も希望を捨てずに前に進もう。必ず、陽が射してくる。合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***   2022,1,28    許す 今年になってから初めてのブログ。年末年始と色々と行事に追い回され落ち着いて机に向かう時間がなかった。ようやく星まつりも終わり、一区切りがついたようである。今日の朝権の時、不動明王の真言を唱えてる時、”色んなものを許す心があると楽だよ。色んなものを愛する事。そうすれば生き方が楽になる”という言葉が脳裏を過ぎったような気がした。こいれもほんの一瞬の事でもあった。不思議と言えば不思議。不動明王様はどこからか私を見てくれていて必要な言葉をかけてくれてる気がした。この事は私だけでなく縁のある方にも平等に働きかけてある事でもあると感じた。精進しよう。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

***  2021,12,29    ばあちゃん  当山では2012年より縁あってウサギをつがいで養っていた。もう当山で世話して9年目、人間でいえば70歳過ぎたくらいとの事で私はこのウサギを”ばあちゃん”と呼んでいた。28日の夜、私が施餓鬼供養に行ってる間、何者かにやられたようである。いつも朝、お勤めが澄んだ頃、おりから出し、夕方にはおりに入れるようにしている。その日は日が暮れてもなかなかおりに入らなかった。師走のあわただしい中、そのうち入るだろうと思い気にも留めなかった。施餓鬼が終わり本堂へ帰ってきても入ってない。ふと、周りを見ると白いウサギの毛が散らばっている。何者かに(多分イタチ)やられたなと思った。今となってはどうしようもない。どうしてもおりにはいらなかったのも何か意味があるのだろうかとも感じた。当日今までそこにいたばあちゃんがいない。そう思うと”無常”を感じる。夜は本堂の玄関に入れて、私は奥の部屋で休んでいた。ばあちゃんがいるので安心な気持ちであったが、このような事態になり、淋しさがこみあげてくる。仏教では縁を解く。このような縁をばあちゃんは持っていたのかとも思える。かわいそうな事になり、大変、悔やまれる。当山にいる間、参拝者、信者さんがたの心を和ませてくれた事嬉しく思う。当山のトレードマークでもあった。でも、その姿は二度と見れない。ばあちゃん安らかに眠って下さい。あなたを世話させて頂き、私に癒しを与えてくれてありがとうございました。  合掌

 

 

 

 

***  2021.12.15   一日  もう気が付くと今年もあと2週間。あっという間に今年も終わろうとしている。コロナ、東京五輪と目まぐるしい一年であった。その割には夏の台風、大雨洪水の被害もなく過ごせた事に感謝ではないのかと思う。このような状態の中、一日が終わろうとしてる今日ふと思いをはせると日常、当たり前と思ってる事に人生にまつわる沢山の意味が込められてるように感じられる。その思いから学ぶ事の積み重ねがその人の値打ちを決める事にもつながるのではなかろうかとも思う。”その日一日を大切に” ”その瞬間は二度と戻らない” ”一期一会”などの名言が脳裏をかする。自分は時間を大切に思い行動してるのか。その他、心の精算、浄化を真剣につとめてるのか との思いがこみ上げてくる。人は死ぬまでが修行と言われる。気を抜かずしっかりと務める事を言い聞かせて精進を。 合掌

 

***  2021.11.30   季節  今日で11月も終わり。アッという今月であった。丁度1か月前当山の秋の大祭柴灯大護摩があり、その跡片付けやお守りの発送、翌日からJR研修会その他、所業体験や滝行、境内の山の樹木の伐採、両親の生前の品の始末などに追われ、秋の紅葉等ゆっくり満喫する暇もなく今日を迎えてしまった。毎年、秋を満喫しながら季節の移り変わりを楽しむ事をと思っているのだが、現実はそうはいかないと毎年感じる。日々の忙しさの中にもほんの少しの時間でもいいから秋でいえば紅葉の色の変化などを見て心の癒しにしたら良いと考えるようになった。その事が心の安定になり、真言宗で説くマンダラ浄土にもつながると思う。そう思うとどんな時でもすぐ仏の世界に近づけるのではないかとも思える。仏の世界は、銀河系のはるか彼方にある。見方を変えると自分の今いる所にもあり、自分の心の中にもあると思う。その思いを胸に明日からの今年最後の師走へと進みたい。 合掌

 

 

 

 

 

 

***  2021.11.15   両立 前々回の大河で三井の創始者(イッセイ尾形)が主人公の渋沢栄一に「これからは銭の世の中。でもそれに反して今までの人のぬくもりといった心が失われるのではないかと憂慮しております」と言った言葉が脳裏を過ぎる。新しい銀行の設立に動いてる栄一書類の整理の中若い頃、よく読まされた論語の本が目に入った。その本を取り出し自身が事業をなしてゆくバイブル書として常に脇に携えておく事とした。つまり経営とは教を営む事。論語や仏道の教えを実践する事であるとの信念を持った。経営とは金儲け。金金金だけでは、人がついてこない。その反対もしかり。経営と教えとが両輪のごとく動くことこそ彼の唱えた理論、新年でもあった。

その点が仏教で説かれる”中道”(ちゅうどう)の教えにも繋がると思った。弘法大師の説かれる”密厳国土”の実現にも繋がる。  合掌

 

 

 

 

 

 

***  2021.11,10   火祭り 先月最後の日曜日(10月31日)恒例の柴灯大護摩法要を当山野外道場で厳修した。今年で32回目である。思い出すと色んな事があった。ここ2年程寺内の僧侶と2~3人の弟子で行っている。今年は柴の葉を取に行かず、業者にお願いしたので準備が例年に比べ楽でもあった。ほら貝が鳴り響き、点火の作法ご黙々と煙が上がり、太鼓の音と読経の中、炎が一直線に上がり、段々と右回りに上がり出し竜が天に昇ってゆくかのようであった。その光景は私達がこの世に生を受け、自分の目標に向かい様々な困難を乗り越えてゆく事と重なっているようにも感じた。それは私達が色んな事を通じて心の修行をして仏の境地にたどりつく(即身成仏)事を示しているようにも感じられた。私達はどのような人も仏になれる素質があると弘法大師が説かれている事が脳裏を過ぎる。添え護摩祈願をされた方々がどうか色んな困難を乗り越え目標を見失わず精進される事を願い護摩の作法をする私であった。  合掌

 

 

 

 

***  2021,10,26   三方  今週の大河で渋沢栄一の母親が死ぬシーインがあった。臨終の場面で彼は幼少の頃の母親の思い出が頭を過ぎった。その中で母親が、”栄一、自分だけが良くなるのはたやすい。人は、自分と相手とそれに関わる人や組織の三つが良くなる事が世の中を生きてゆく上で大切だ”という言葉であった。その言葉が栄一の人生に大きく影響を与え。彼が事業に成功したとの事。これは”三方良し”の思想で会社や事業を経営する方々の必須なものでもある。経営者はいう間でもなく一般人でも通用する思想である。まさに仏法とおなじでもあると私は思う。まさに経典の最後に唱える言葉にも通じる。この思想がこの世を極楽にするものと思う。しっかりと実践して精進してゆきたい。 合掌

 

 

 

***   2021.10.21   運転 今は何をするのも車が常識。それだけに油断をすれば事故につながり、場合によっては命を取られる事にもなる。そのような中、急いでる時など交差点などでなかなか右折ができない時、対向車がライトをつけて”お先に”という信号を送ってくれる時がある。あの時は、助かったという思いと一瞬でも穏やかな心になり、嬉しいものである。自分がそのような心になれるから今度は、人様にそのような行為を示し。恩返しをしようという心が生れる。この事がこの世の極楽とも思える。お大師様の説かれる”密権国土”である。その穏やかな心が仏様と同じ。まさに”即身成仏”でもある。難しく思わなくても極楽は身近にある。  合掌

 

 

 

 

 

 

 

***  2021,9,30   参拝者  今朝、月末明日は一日。当山鎮守山の神、庫裡と本堂台所の荒神様、外のお稲荷様の花や塩、お神酒を新しく変える事や来月末の柴灯大護摩の諸準備、案内書発行、その他諸々の事で忙しい日が続く。そのよぷな事を思いながらウサギの世話や境内の掃除をしていた。そこにお遍路さんが参拝され納経の依頼があった。私は、掃除をやめ、朱印を押す。その間、そのお遍路さんたちは、私がやってた掃除を手伝ってくれていた。その光景を見て、信じられなかった。普通お遍路さんはそのような行為はしない。正直、有り難かったし。嬉しかった。まだこのような心をお持ちの方がおられると思うと心強い。その方々は人徳を積まれたと私は思った。何気ない人の行為は有り難いし、人の心を打つ。久々いい思いをさせて頂いた。ありがとうございました。 合掌

 

 

 

 

 

***  2021.9.28   短い  もう彼岸が終わり2日経った。時の流れの速さを感じる。今日は不動明王の縁日。午前中供養を頼まれた方のお勤め、たまった古札の性根抜き、滝場の清めと拝む事で午前中があっという間に終わった。午後は頼まれた方のお札書き、供養のおしるし作り、来月末に迫った柴灯大護摩の案内書作りといったぐあいで一日が終わった。彼岸中日過ぎたら夕暮れが毎日1分づつ早くなるという。今までのようにいつまでも長く日は長くない。寸暇を惜しまづやる事を効率よくやる事、頭をしっかり使う事に心掛け、時間を大切にしたいと感じた。しっかり精進である。  合掌

 

 

 

 

 

***   2021.9.25     電化 私が住んでる篠栗町。そこを走る篠栗線(現在福北ゆたか線)彼岸参りで隣町の桂川町を走ってる時、急いでいたのか皮肉にも踏切で遮断機が下りた。住宅の立ち並ぶ田園を桂川方面から博多行きの電車が近づき、目の前を通過。その後、アッという間に何百メートルか先を走っていた。自分が電車に乗ってる時には感じないスピードに唖然とした。電化はやはりすごい まさにスピード時代と言っても今、それが主流。今から1000年ほど前はこの地区を英彦山修験道の山伏が修行で歩いてた事を思うとその強靭な体力と精神力に脱帽である。電化も時代の流れ その電気も自然界にあり人間の向上心がその存在に気づき日常生活に応用し、私達もその恩恵に与ってる。その存在に感謝が大切でないのかと感じた。お彼岸は自分を見つめる習慣。ご先祖様を含め、自分たちの周りのすべてに感謝の思いを込める時期とも思う。いつもありがとうございます。合掌

 

 

 

 

 

 

 

***  2021,9,23 中日 23日は秋のお彼岸の中日。”暑さ寒さも彼岸まで”と言われる。この日は昼と夜の長さが同じで丁度いい塩梅というふうにも考えられる。どちらかに偏り極端な考え、思想では息苦しい。その丁度の中間が人生にとって大切であると思う。この日を過ぎると日暮れが1分ずつ短くなると言われている。事は効率よく片付けていかねばならない。そうしないとすぐ日が暮れてしまう。”一寸の光陰軽んずべからず” ”刹那”という佛語が脳裏を過ぎる。一日悔いのないように送りたい。  合掌

 

 

 

 

 

***   2021.9.13   真剣 東京五輪に続きパラリンピックも色々批判もある中、何とか終わった。昨日より大相撲秋場所が開幕。大関に昇進した照ノ富士の活躍が目を見張る。スポーツにも波があり、いい時もあればそうでない時もある。そのどん底から這い上がって見事メダルの獲得や上位に昇進という事を耳にすると嬉しくなってくる。それぞれの競技に真剣に打ち込む選手の姿に励まされる思いである。いい年をした私だが中身は小学生 さらにもっと精進をと思うのである。彼らの真剣な思いを己の心にも入れ、充実した一日に努めたいと思う私である。

 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*** 2021.9.1 98年 丁度今年が関東大震災から98年目。近年、自然災害が年々過去に比べて多く発生してる。世間の人々は心穏やかではないと思う。2年程前から新型コロナというえたいのしれない伝染病が全世界に広がり、その被害は目を覆うばかり。それに自然災害となれば我々人類は、”万事休す”の状態でもある。災害や伝染病を過去の歴史から垣間見ると100年周期(正確さをかくが)で起きてるようにも思える。自然災害にしても有史以前から何度も起きて今の地球を作ってきたようにも思える。その中をわれわれの先祖もそのほかの生物もその環境を受け入れ、それに即して現在の形があるとも考えられる。その事からすると自然災害(台風、地震、大雨等)は我々人類だけでなく自然界も生きているというメッセージとも受け取れる。その事からして我々と自然は別という考え方を抜け出し、我々も自然も同じ土俵にいるというふうに考えれば自然災害から逃れる方法も見つけ出せるのではないかと思う今日である。互いに生きてる事を認識し、自然に対して優しく接したい。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

***2021.8.29  思い どうなるか予断を許さなかった東京オリンピックも終わり、今度はパラリンピック忙しくて見る暇はないが、仕事をしながらラジオで聞いている。障碍者のオリンピックとあり、何か心打たれる事が多い。ハンディを背負い、色んな困難と闘い、メダルを手にする感激は健常者の何倍、いや何十倍も大きいと思う。彼らのその競技に懸ける思いがどれほどのものであるか。そのため血のにじむような努力をそして勝ち得たメダルは彼らの人生の最大の褒美。私達健常者はま習わないといけないと痛切に感じた。自分自身に腹が立つ。その思いを自分の仕事、使命にしっかりぶつけてゆかないかんと感じた。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

*** 2021.8.18 お盆 当山のお盆が16日無事終わった。16日は一年で一度地獄の釜の蓋が開く日と言われている。我々のご先祖様の中にもお経の声が届いてない方もおられるのでその方々にも読経という最高の御馳走をしてもてなし、浄土へと帰って頂く法要である。お施餓鬼供養とお寺さんで呼ばれている。2500年前インドでお釈迦様在世の折、十大弟子の阿難尊者はこの施餓鬼供養をした縁で短命を免れ、目連尊者は、餓鬼道に堕ちて苦しみもがいていた母親を救い浄土へ送り届けたと仏伝に説かれている。この日を沢山のご先祖様方は待っておられるようである。夜、寝ててどこからか大勢の人の話し声がしてるような事も過去に経験した。余りこのような事を書かない私であるが、現実のような感じがした。やはり姿かたちは見えねども多くのご先祖様の存在は、無視できない。改めて私達は多くのご先祖様に見守られていると思った。お陰でコロナ禍や大雨の中でも何とか当たり前の日常を送れていると思う。先祖供養は、私達日本人の文化である。是非、どんなに時代が変わろうとも後任に受け継いでいって頂きたい思いで施餓鬼供養の読経をさせていただいた。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

*** 2021.8.8 五輪 賛否両論 色々とあった東京五輪。今日閉幕した。始まりは賑やか終われば空虚の世界。コロナ感染やその他色々な事はさておき、アスリートの活躍は私達に新鮮さを与えてくれたようにも感じた。彼らは、政治的な事はさておき自分の技に磨きをかけ、多くの精神的な困難を克服し、ベストな成績を残した方も多い。自分の目指す道に只管邁進する事は仏道と似た点があると感じた。自分が今まで生きてきた事を思うと彼らに恥ずかしい思いが脳裏を過ぎる。自分の人生の仕上げをどのようにしてゆくか考えさせられた思い出もあった。これが終わると甲子園である。多くの高校球児の活躍が楽しみでもある。そこにも色んなドラマがあり、人生がある。己の志、理念というものもう一度、見返す事でもあると思う私である。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

*** 2021.7.31 季節 今は夏で一番熱い酷暑、中国の陰陽道からいうと土用。土の生気が一番盛んな時期でもある。この時期は、暑くて思うように体が動きにくい事が多い。その反面、活動きでもある。学生時代の部活を思い出す。油の乗った時期に思い切り物事に挑戦する事、”鉄は熱いうちに打て”との格言が脳裏を過ぎる。現在熱戦が繰り広げられてる東京オリンピック。アスリートの活躍が若さを強調している。将来の夢や希望を与えてくれるようにも感じる。還暦をとうに過ぎるとそのような事がうらやましくも感じる。私が最近、感じる事は今夏だから活動の時期だと考えていた私。夏のこの時期にも一日をよく観察するとそこには四季の要素が含まれてると思う。早朝朝4時から7時までが季節でいうと春。それ以後昼過ぎ(午後2時)までが夏。それから夕方(7時近く)までが秋。それ以後が冬。というように考えてる。このような事から事をなすのは午前中が一番という結果である。私も熱中症とにらみ合いながら野良仕事などは午前中に行うようにしている。午後はその反動で20~30分ほど寝てる事が多い。不思議と昼寝した後は効率が上がる。やはり自然の理とはうまくできてると感じる。それに即してゆけば必ずや事はかなうと思う。 精進精進である。  合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

***  2021.7.24 唱える 今月も半分過ぎ、当山の今月の行事”瓜封じ”18日の日曜日無事終える事が出来た。この行事は、観音様の縁日(17日)の縁日に近い日曜日に当山では行われている。今月に限り護摩は観音様の護摩を修法しており、毎月の祈願祭では不動明王の真言を多く唱えるが、今月は不動明王も唱えるが、本尊観音様の真言を多く唱えさせて頂いた。坊守が護摩の様子を撮った映像には、護摩の炎が不動明王より観世音菩薩の姿に映ってる映像が目立った。やはり真言を唱えるとそれなりの結果が出るのかと私は感じた。弘法大師が、般若心経の開設のなかで”真言は不思議なり”観誦すれば 無明を除き 一字に千理の意を含み・・・” とお説きになってる所の意味にも通じる。俗人は、目に見えるものしか追わない。信仰する方は目に見えない存在を大切にする。言葉を発する事はそれなりの現象がそこに現れる事になると感じた。この真言密教の世界は、不思議な事が多い世界。何故なら神仏の世界に通じる教えを説いてるからと思う。コロナ禍の今こそどうにもならない時にこそ御仏のご真言を唱える意義があるのではとも思う。皆さんご一緒に唱えてみませんか。何か、変化を感じられるとの思いで。 合掌

 

 

 

 

 

 

***  2021.7,12 声 つい、2~3日前の午前0時の事。いつも11時前には休み明け方まで目を覚まさない私が、寝入って1時間ほどたった頃蚊の無く音で目が覚めた。丁度そのころ本堂の方で人の話すような声が感じられた。家内と私の次男が話してっるのかとも思った。蚊取り線香をつけたついでに本堂を見るがその気配もなし。この夜中に何かあるのかとも「思ったが、それ以上にあまり考えない私でもある。過去にもそのような事があった事を思い出した。夜中、滝場の方から人がはなすような声が聞こえたような事があった。思い当たるのが8月の盆の頃、今は7月地区によっては7月盆をする所もある。そこで、私はお経が聞きたい御霊がいて要求をしてるのではないかとも感じた。あまり私は霊的な話はしない方だが、人の心は肉体がなくなっても永遠に残ると考える。そこで不満の心を持ったままこの世を去った人の御霊は、悟る事が出来ずに永遠に苦しみ続けると思う。それから救うには、読経してあげるのが一番近道であると思う。盆を前に私達の多くのご先祖様が読経の声を楽しみにしてあるのでそれに答えてあげ、しっかりと浄土へと行ってもらうのが私達の使命でもあり、願いでもある。先祖供養は私達、日本人の文化でもある。盆を前に自分の心を正し、清らかな心でお盆を迎えたい。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

***   2021.6.26 時代 昨日隣町の飯塚市のある病院へ行った。その近くによく当山へ参拝に来てあった方の家がある。その方の家の前まで行くと雨戸が閉めてあり、郵便受けにも郵便物が入れてある気配はなし。その方は、兄弟と母親の3人暮らし母親は、もうとうに他界。84歳の姉と80歳の弟さんとの二人暮らし。その兄弟も高齢で施設に入ってるか、亡くなったかは不明。思えば当山へ足を運ばなくなってから30年の歳月が流れた。つい、この間までお参りの終わったあとの会食では賑わっていた彼らの姿は、今はもうない。まさに夢幻、この世は”仮有の存在。色々と当山の信者さんの事を思うと色んな性格の方がいた。熱しやすく冷めやすいというところか。これが世の中、これも人生。その中で私も生きている。最近、私は過ぎた事に思いを寄せる事もある。その反面、自分が今すべき事は何か。自分はどう生きたいか。との事を思う。思う事ばかり、考える事ばかり・・・時間だけが過ぎてゆく。できる事から行動をと自分に言い聞かせる日々である。 合掌 

 

 

*** 2021.6.25 基礎 あるコンサルタントの先生の講演より抜粋したものを紹介いたします。下済み時代は、好きな事をしたらダメ。下積みをしてからしないと崩れちゃうよ。下積みを嫌う人は”こんな事はしたくない。自分を生きたい 今は個人の時代だ”と根なし草になる。型破りは良いけど型を知らないと唯の形なし と。下積みとは私は、”基礎”と考える。何事も基礎をおろそかにすると砂上の楼閣と化し、永久にその状態から変わる事は出来ない。世間で成功した方々は、その下積み時代の経験が実を結び、大きな結果を出したという事と思う。人の成功を妬み、悪口をたたく暇があったらしっかり自分見つめをやり、一年生と思い心の清掃をやる必要があると思う。基礎をもう一度確認して精進をと思う私である。  合掌

 

 

 

*** 2021.6.15 縁 昨日、私の知人に久々電話し、近況を訪ねた。彼は数え70歳。還暦の時、胃がんと大腸がんの手術を同時にやった。結果は成功その変わり後の症状がなかなか手がかかり思うようにいかなかった。当山の星まつり、秋の野外で行う柴灯大護摩などによく参拝していた。彼は信仰熱心で自分の家族や友人にも信仰の事を説いて当山にも参拝に連れてきていた。その彼も年々、体力気力も落ち、今では想像を絶するほどの弱りぶりのようである。その後、お勤めをしながら彼の事を思い出し、いつでも当山に参ってきてくれ、忙しい私の手伝いをしてくれ、それに胡坐をかき、自分では行動しなかった私。彼に頼り甘えていた自分を恥じた。彼もいつまでも若き時の姿ではない。いつかは私の前から姿がなくなるのだ。その彼にいつまでもしがみつくのか。”色即是空 空即是色” 余は諸行無常。彼とは別にいろんな縁があり当山を訪れる方々がいる。その方々に笑顔で対応できる僧侶でないといけないと感じた。どのような人であれ縁で出会う。短い縁でもそう対応しよう。短い縁だからこそ気持ちのいい対応が大切ではないかとも思った。それが自分の心の学習、心の修行でもあると思い、一層の精進のみである。その弟子に感謝である。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

***2021.6.12 供養 明日は当山の月例供養祭。毎朝の勤行で信者さん方から受け付けたご供養やご祈願をさせて頂いてる。最近、信者さん方が申し込まれたご供養で。何某家先祖代々菩提の為と書かれた塔婆を供養させていただく度、そのご先祖様は遠くたどれば自分の先祖様ともつながるのではないかと感じる事がある。その事が自分自身にもつながってるのではないかとも感じられる。その事から一層読経にも思いが入り、声も大きくなっている。やはり、読経、真言を唱える意義がそこにあるようにも感じる。実際唱えてみないとわからないのが真言密教の極意とも思える。高野山時代よく師が”坊さんは暇があったら拝まなあかんで”と弟子の私に小言をいってあった事が懐かしく思い出される。昨年師の17回忌であった。今マンダラ浄土から私をどのような思いで見てあろうか。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*** 2021.6.1 夢幻 人は、その人が自分の前にいる事が当たり前と思っている。最近、両親の事を思い出す。二人ともこの世を去って何年か経った。時々、両親の夢を見る事があり、夢の中で”何、そこのおったとな”と言葉をかけていが、目が覚めると”今のは何だ”との思いに駆られる。今まで共に生活してたはら当然と思ってたのが、現実は誰もいない。高野山時代 中川善教大僧正の”この世は稀有と仏教では説かれる”との言葉が、脳裏を過ぎる。今、私が両親に対する思いがその言葉の意味にもなると思う。この事から自分の両親に限らずあらゆる事柄に当てはまるものと思う。この世の事柄は、すべて夢幻 ”…あなたはまぼろし・・・”(島倉千代子)という歌詞を思い出す。夢幻だからこそ、今を大切に、一生懸命生きなければならない。しかめつらしてではなく楽しんで生きなければならないと思う。死ぬまで修行、学習という言葉を胸に・・・。合掌

 

 

 

 

*** 2021.5.30 縁 ちょうど先週の日曜当山の明王祭。息子(若住職)の修法する護摩の炎が勢いよく燃え上がる。護摩堂ご本尊不動明王をはじめ倶利伽羅明王、八大竜王、愛染明王、ウスサマ明王が力を」結集して我々の煩悩をも燃やし清らかな心にして、前向きな心にしてくれてる働きに唯々、合掌するのみの私であった。この郷之原に地にこの明王様や八大竜王様がお祀りされてるのは古くからこの地が、英彦山修験道の峯入り行のルートであったからだとも感じた。今とは違い自分の足で英彦山から徒歩でこの地までと思うと想像を絶する思いである。そのような山伏の思いが今も続いてる事に神仏のご縁というものを感じられずにはいられなかった。当日は緊急事態宣言の中、篤信の方々がみえてあり、心強く私は思った。その方々に厚く御礼申し上げます。 合掌

 

 

 

 

 

 

*** 2021.5.28 ご開帳 当山では先月28日より今日5月28日までの1か月護摩堂の倶利伽羅不動と八大竜王の御開帳を行った。今日は日頃と違い参拝者があると思ってたら御開帳の事をネットで流してるからだと思った。何かしら明王さんに縁のある方がおられると感じた。今月23日が明王祭で護摩祈願を行い、そこで供養しきれなかった護摩木を今日の早朝の護摩で祈願させて頂いた。若住職が護摩を修法してる間、私は当山の滝で禊をさせて頂いた。やはり滝行は、すればするほど身が引き締まり、清々しく感じる。終わったあとの充実感が何とも言えない。ご開帳の最終日でもあり、何かけじめを感じずにはいられなかった。今日は明王祭のお礼状の発送に追われブログを書くのが夜遅くなった。早朝に早く起きて拝むのが理念と思っているので少しでも早く終わらせたいと思いなっがら書いている。ご開帳が終わった事で新たな心で自分磨きをと思う私である。 合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

*** 2021.5.15 土(つち) 私達はいずれ人生の卒業式を迎える。そして墓に葬られ、子孫から供養を受ける。それも3代過ぎると忘れ去られ、天変地異が来れば墓などいちころ。骨壺は水に流されどこかに散り、それが土になり、石になり、やがて大岩となってゆく。そう考えると私達は、沢山のご先祖様の亡骸の上に生活に必要な家、道路、鉄道、ビル、ダム、発電所、石油備蓄基地、飛行場、港など作り生活している。この事を思うと”理屈抜き唯、ご先祖様のお陰です”と自然に手が合わさってくる事を感じる。ご先祖様に仏様に、自分達の住んでる土地のお神様にその地をお借りして家を建てさせて頂いてるとの考えにもなる。この事から自分を取り巻くすべての物や事柄に唯、合掌するのみであると最近、感じる私である。  合掌

 

 

 

 

 

 

***  2021.5.6   独り立ち 今年の大河ドラマの渋沢栄一が、家業の農家から志を持って京の都へゆく決心をした。彼が自分の思いを父親と膝つき合わせて話した場面。父親が彼に”栄一、どんな時も天地自然の理を忘れるな。そして誠を尽くす事もな”との言葉が脳裏に響いた。仏道にも通じる言葉でもある。自然の理に従ってゆく事は、神仏の世界に繋がり、誠をもってなす事もしかりである。この考え方がその人を偉大な人にするのである。 合掌

 

 

 

 

 

 

*** 2021.4.25 活動 彼岸j過ぎて1か月春と言うより初夏には少し早い時期。新緑の頃というべきか。彼岸過ぎて日が長くなったのか活動時間が冬に比べ長くなった。太陽光線も少し強くなってきた。春の花もどんどん花開き私達に勇気を与えてるようにも感じる。新緑の日差しのもと力いっぱい自分の道に邁進したい。冬と比べ時間のある分を自然の移り具合を楽しみながら行動は敏速にありたい。いくら日が長くなったとはいえ一日の時間には変わりない。色んな面で頭を使い充実した時間、一日にしたいと思い鞭打ってる自分である。つつじや椿の花の赤い色がそのように説法してるようにも感じる。 合掌

 

 

 

 

 

 

*** 2021.4.20 修行 今日は家内と山伏塚のお参りに行った。2007年4月22日に山伏の供養にと塔婆を立て読経した事が起こりで毎年この時期にお参りさせて頂いてる。当山のあるこの郷之原は飯塚街道の難所の八木山峠の中腹にあり、険しい谷間がある。この地は古くより英彦山修験道の峯入り行の行場でもあった。沢山の修験者が訪れ厳しい行をしてたと思われる。いつもながらの供物(饅頭、おにぎり、駄菓子、団子、熱いお茶)を備え懇ろに読経させて頂いてる。この人知れぬど田舎の山中で志半ばで命を絶った山伏もいると聞いた。今の至れり尽くせりの自分たちの暮らしを思うと想像を絶する苦悩があったに違いないそう思うと恥ずかしく、大変申し訳なく思うのである。私は坊さんだから読経して彼らの思いに答えるしかない。彼らの信仰心に今の人間はしっかり学ぶ必要があると年々感じる私である。今日読経中に何か大きな木の揺れるような音がした。何だろうと家内がつぶやいた。私は山伏が喜び修行に一層励んでるのではないかと答えた。 私達も己の行に精進せねばと改めて感じた。行は死ぬまで続くと思った。合掌

 

 

 

 

 

*** 2021.4.18  気づき 最近、生活の中で自分中心の行動が多いと指摘をされる。色々とその原因を探れども分かったようで分かってない自分の姿が見える。昨日、当山女性部での恒例のお掃除遍路の日。夕方疲れて帰ってきた参加者との会話で当山のある地区は谷が深く、危険な場所という事が段々と分かってきた事を話した。常日頃当たり前と思ってる事がひょんな事からその当たり前が実は大変な意味を持ってる事を感じられた事はないだろうか。その瞬間から恐れをなして事に当たるのが消極的になる事もある。それと同じく自分はそう気にならない言葉や行動が他人にとっては大変、迷惑で怒りの心を起こさせてる事もあると思うと人間関係の難しさを思い知らされるように感じる。よく”相手の身になって”という言葉を耳にする。自分が体験もしないのに相手身になれないと私は思っていた。現実はそうではないようだ。その人は、なぜ寺に来たのか?どのような事を聞きたいのか?どうしたいのか?との思いにアンテナを立てる事を欠かしてるのではないかと思った。そう思うと私の自分中心の考え方がどれ程周囲の人を不快にさせ、自分までダメにしてるかが分かる。とんでもない人間である。女性部の方との会話から私が気付きをいただいたように感じた。ありがとうございました。自分磨きに精進である。 合掌

 

 

 

 

 

 

2021.4.16 雑用の中で 今日は午前中はおふくろの命日で供養の準備と読経。天気は時折雨の降るぐずつき型。午後日頃できない雑用をこなしながら淋しいのでラジオをかけた。石原裕次郎特集が流れてきた。その後、加山雄三の星シリーズの曲で”夜空の星”の曲が流れてきた。私が小5の頃彼の映画が流行っていて私も彼が憧れでもあった。彼も今月11日で満84歳 爺さんとは思えない。”夜空の星”という曲は、当時の私には神秘的で楽しみと夢を感じさせたものがあった事を思い出した。私達は、長い輪廻転生の旅の中で夜空の星の中のどの星かに住んでた事もあるのではないかと思う。その中で弘法大師と同じ星に住んでた事もあるのではないかとも思う。私達は、今地球にいるがいずれ寿命が来たら地球を去らなければならない。生きてるといろんな不安があるが、それがずっと続く保証はない。必ずいつか又、明るい良い事に巡り合えると思う。将来はそのようになるよと説かれている。般若心経の最後の部分がそうである。だから今、目的意識を高く掲げそれに進んでゆけばよいという事である。加山雄三の”夜空の星”の世界へ行けるのである。この歌を弘法大師が歌ったらどうであろうか。こう思うと楽しくなってこないだろうか。今コロナ禍だからこそこの歌詞に思いをよせ夢、希望、楽しみに向かいあなた方も私も進んでゆきたい。 合掌

 

 

 

 

 

 

*** 2021.4.11 春の道中 今日は当山の月例供養祭。今月はお釈迦様の生誕月 8日甘茶を供養し、今日も参拝した信者さん方にもお釈迦様の像に甘茶を供養し、その恩徳を讃えた。午後より小倉の義母のとこへ月供養に出かけた。毎月の道中である。4月ともなると山々の緑が生えだし、清々しい気持ちになる。その先にはうっとおしい梅雨が来る事など考えられない。緑に映える山と青空 まさに心地良い この境地が極楽浄土とも思った。幸せを感じながら小倉へ向かった。義母のとこで月供養が終わりもう夕方5時過ぎ、家路へ 道中景色など見てると色んな事が思い出される。義父母の人生。自分の無き両親の人生をはじめ自分の事やその他諸々の事柄等。自分の親もこのよういな思いをしてたのかという事を思いうながら運転をしていた。そうこうしてるうちに飯塚の町に入った。この街にくると私はどこかホッとする 幼少の頃より私はバス通学で学校の帰りは飯塚行きのバスしか乗れなかった。そのような事から自分の家まで行ってくれるとの思いが心にあり、安心感があった。そのような思いの中、八木山峠に差し掛かる。あと10キロ足らず我が家だ。夕方になると一日の疲れが見え始めホッとした心になる。行きは早くいかないととの思いで気を引き締め行動的な状態とは大違いである。この峠も何回私は通っただろう 私の親父も何回通っただろう。この峠も自分の住んでる篠栗の町も飯塚の町も私が思い出してる幼少の頃からすると考えられないほど変わった。まさに”色即是空”である。”お前は変わったか どうだ”ともう一人の自分が問いかける。自分だけが周囲から取り残されてるようにも感じる。自分のやるべき事やどう考え、どう行動するか。観察、分析、判断して人生の仕上げを急がねばと思う私である。 合掌

 

 

 

 

 

 

*** 2021.4.8 花まつり 今日は何の日。あまり関心ない人もおられるようだが、お釈迦様の誕生日。各お寺で花まつりが行われこの仏教開祖の誕生を祝う行事が行われた。2500年も経っても人々から忘れられてないというのはすごい事だと思う。お釈迦様の教えは色々とあり、今はネットでも調べる事が出来るのでご存じの方が多いのでここに置いときたい。よく世間では、過ぎた過去の事をいつまでも思い、その事ばかり口にして前を向いてない方がおられる。対照的に将来の事ばかりに思いを凝らし、悩み悔やむ人もおられる。このような方の共通点は現実はどうかという事を忘れてる点である。現実をしっかり見つめて生きてゆかねば道は出来ない。今ある自分は過去の姿。そして今現在の自分の姿は将来の姿。それは今の自分の考え方である。考え方に変化がないと良い将来はないという事。常に観察し分析し判断してゆくのが良い結果を生む。お釈迦様は”過ぎた事ばかりに思いをはせず、まだ来ぬ未来の事に思い悩まむな”と説いておられる。つまり今、現実をしっかり重視せよとの意。今、あなたがすべき事は何かしっかり考え、行動してゆくのみである。 合掌

*** 2021.4.4 選抜 今年の春の選抜高校野球は大分の明豊高校惜しくも準優勝という結果であった。九州勢はいつも最後までは残る確率は低いという私の思いがあった。ところが強豪をどんどん倒し、決勝まで行くとは思えなかった。試合を勝抜く度、校歌が流れるのを聞く度新鮮さを感じた。校歌の最後の方に”明豊力の限り 明豊”の箇所が私の心に残った。自分の持てる力を出し切って進もう。栄光に向かってというものを感じさせる曲。そこの希望が湧いてくる素晴らしい曲。この作詞作曲は大分出身の南こうせつさんとの事を後から知った。この曲がどんなピンチに遭遇した時も選手ひとりひとりを励まし、準優勝まで行ったのではないかと私は感じた。実力は皆一緒 その場の雰囲気やその時の精神の状態、一人一人の性格などが絡み合いも感じられる。精神力の強さが求められるとも感じた。何か仏法にも通じる事を感じる。高校野球は、人生とおなじようにも考えられる。決して単調なものではなく、やまあり谷あり、変化にとんだもの中には、”まさか”という坂もでてくる。そのようないろんな条件の中をいかにして切り抜けゴールに達成できるかという事。その中から共通して感じた事は”観察、分析、判断”という言葉である。この事を実践できたので明豊高校は、決勝まで勝ち進んだと思う。夏の選抜楽しみである。 合掌

*** 2021.4.2  44年  去る1977年の今日私は、高野山の寺に修行の為、入った。色々と戸惑う事が多く、なかなか思うようにできなかった事が今なつかしく思い出される。あれから44年が経ちあっという間である。その間、お師匠さん夫妻も他界され、私の両親も他界し、まさに色即是空である。お師匠さんは”坊さんは拝まなあかんで 朝のお勤めに1日でも出ん日があったら気分ンが悪いくらいなからなあかん”とよく口癖のように言ってあったのが今は懐かしい思いでである。その間、色んな人との出会いがあった。いま、思えば通りすがりの人、あるところまで共に歩いた人、常に一緒ではないが事あるごとに面倒を見てくれる人などである。まさに人生模様 人生の旅人でもある。その中から何を学び、どうそれを人生に生かしてゆくのかという事が意味のある事と思う。私も人生の仕上げ。うかうかとしてはおれないと思う。人生の卒業式まで学び続ける事を常に精進と思う。 合掌

*** 2021.4.1 新しい 今日から4月。新年度 夢と希望を持ち学生生活、社会人の門出を迎えた方が多いと思う。私もかってこのような時があった。新年を迎えた時の今年の抱負と似たところがある。新年度は夢と希望をもって物事に向かう。5月あたりになると4月に思ってた時とは違った現実が顔を出し始め、力尽き5月病にんまる方もおられる。私もそのような時があったのを思い出す。自分が今思う事が、自分のやりたい事だったら困難を乗り越え必ず勝利を勝ち取ると思う。目標に向かい常に考え方、やり方を新しい目で心で進んでゆく事ではないかとこの日になると私は、自分に言い聞かせ先が短いが精進をと鞭うつのである。 合掌

*** 2021.3.31 3月 ”どこかで春が生れてる 中略 山の3月そよて...”の3月も今日で終わり。よく1月は行く 2月は逃げる 3月は去る と言われる。今日弟子さんが来たのでこの話をした。12月は師走で1年の締めくくりや大掃除。1月は新年で民族大移動。2月は確定申告や新年度の役員の選出など雑用。3月は総会の連続、卒業式、引っ越し等。冬場は、このように考えるといろんな事の整理、片づけの時期のようにも思える。4月からは新年度。いろんな計画を立て夏頃まで駆け抜け秋は、その結果が出る。そう考えると後のない私は、一層からげて小走りに進まねばならない。気を引き締め自分のやらなければならない事を着実にと思いを込めて進みたい。 合掌

*** 2021.3.30 掃除 今年の桜は開花が早く私達を楽しませてくれた。28日の嵐でその華麗な花も散り、ひと時の夢と終わった。当山の境内の桜もいつも惚れ惚れする花を見せてくれる。その変わりその後の掃除は、私が担当である。その度に掃除はやおないと思う。綺麗な花で他の事を忘れその華麗な姿に魅了された反面、その後のはかなさはと思うと淋しい。この事は、桜のみならず世の中のあらゆる事にも当てはまる事としみじみ思うようになった。あとの掃除をする事は当たり前 今年もその掃除をしながら汚いから掃除をする。すれば綺麗になる。昔、綺麗になれば掃除はしなくとも良い と思ってた。ところが、掃除をしててもゴミがたまり、段々と汚れてくる。人が生きる事は、それに付随して汚れやゴミがたまり汚くなる。言葉は吐かずとも誰も住んでない空き家の家具やその他の生活に欠かせない品物も生きている。だからそこからもゴミが出てくる。と思った。人を含めこの自然は生きている。その為汚れを出してくるから掃除は、必要。掃除は、周りを綺麗にし、己をも綺麗にする素晴らしい行為と思うようになった。この事は仏前で唱えるお経の意味にも通じるとも思った。まさに開運のみちである。このような事を思いながら、来年の春も境内の桜に華麗な花を咲かせるように声をかける私である。合掌

*** 2021.3.25 この時期 今は春 桜の季節。当山の本堂前や境内の桜が満開。寺のあるこの郷之原は昔から桜の名所で新吉野公園とも呼ばれ親しまれている。という事でほかの桜を見物に行く事はほとんどない。この時期は、冷たく厳しい冬からの開放で身も心も晴れ晴れとしてくる。親しかった人と楽しんで付き合える時期でもある。その反面、いつまでもその関係は続かない。お互い自分の仕事などの事で新しく来る4月には、分かれてしまう。誠に残念であり、経典に説かれてる”四苦八苦”の中の親しい人との別れが脳裏を過ぎる。これも人生と最近感じるようになった。この時期、私がまだ幼少の頃、私の住むこの地の国道近くの桜の木の下で親父とおふくろが仲良く笑みを浮かべ写ってた写真を思い出す。その二人の親も今はない。まさに”色即是空 空即是色”である。過去を見過ぎず、未来を見て人生歩みたい。 合掌

*** 2021.3.23 安定 人間食事をしないと精神が安定せず、イライラしてしまい正確な判断が出来ず、人間関係もおかしくなる。食事をすれば精神も安定し、日常生活に弊害が出る事はない。仏前にご飯(佛飯)を備える事は、精神を安定させるとの意がる。この精神が安定する事も彼岸に至るための大切な修行でもある。以上お話ししてきた事は彼岸に限らづ常日頃から自分見つめとして実行する事が大切と思う。私達は、心の修行の為に生まれてきたのだから  合掌

*** 2021.3.22 施す お茶や水は喉が渇いた時の飲み物として最高である。喉を潤してくれるので心が大変落ち着き、和やかになる。人が訪問してきた時、お茶を出すのはそのような事からと思う。互いがそのような心になるように相手に進める事 施す事であると思う。この行為は”布施”と仏道では説かれる。人が喜ぶ事をして差し上げる事は、人徳を積む事にもなる。この行為をご先祖様にも行う事は人としての値打ちがつく事にもなり、自分、ご先祖様、共に良くなり仏道にかなった行為である。この事が彼岸に渡る大切な事でもある。 合掌

*** 2021.3.21 お香 香は線香とは別に参拝の前に手に塗る香があり”塗香(づこう)”と呼ばれる。香を手に塗るとその香りに引き寄せられ心が落ち着いてくる。このように心を常に落ち着かせる事ができればこの世は極楽となる。このような事からその香りを長く保つとの事から仏教では、戒律を保つと説かれている。戒律とは日常生活でのきまりを守るという事である。仏前に参拝の前に香を手に塗る事は、戒律つまり身、口、心で犯すところの罪を懺悔するとの意がある。香を塗る事も彼岸の境地にゆく一つの方法である。

***  2021.3.20 塩梅 今日は彼岸の中日で昼と夜の長さが同じになる日。やっと寒い冬とおさらばできると嬉しい気がする。お彼岸は仏前におはぎ餅を備える。幼少の頃、おふくろが忙しい中、こしあんや粒あんをねっておはぎ餅を作ってた光景が懐かしい。横からあんこだけつまみ食いをしていた事を思い出す。あんこは甘いので砂糖を沢山いれるものと思っていた。ところがおふくろが塩の袋を開け、本の少しだけ練った餡子に入れたのを目にした。私は辛くなると思いその餡をたべると甘みがましておいしい事。おふくろにたづねたら”甘いからと言い砂糖ばかり入れるのは能がない。その反対の味の辛い塩を入れる事で甘さが倍になるとよ”と教えてくれた事を思い出す。この事は、仏教の教えと同じとこの道に入って感じた。お釈迦様の説かれた”中道(ちょうどう)”のはなしである。この教えは、弘法大師も教えの中でいろんな形で説かれている。物事のバランスである。その中に人生の奥義があると最近、思うのである。このような事からお彼岸の中日は自分のじんせいの在り方を再点検する日でもあると思う。仏前に合掌し心の精算に努めたい。 合掌

*** 2021,3.19 忍耐 やっと冬の寒さから解放された事で一気に桜の花が咲き始めた。例年に比べると10日程早い開花で、私達の喜びも大きい。そこに至るまでの道のりは並大抵ではない。厳しい冬の寒さとの戦いに勝ち、きれいな花を咲かせ、私達の心を鼻梁する。桜の花に限らずよの事は、その準備に時間と手間がかかると私は思う。だからこそ事が完成した時の喜びは一入である。そこに感動の心が生れ、忍耐という言葉がある。仏壇に花を供えるのは、この忍耐の意味があり、この事が彼岸に渡るために必要な事の一つでもある。 合掌

*** 2021.3.18  智慧 知識と智慧とよく耳にする。知識は学問で試験の為のものという認識が私にはある。智慧も同じと学生時代は思っていた。年々色んな方とお付き合いする中でそうではない事が分かってきた。僧侶の道に入ってからは何かとこの言葉が出てくる。般若心経でも説かれていて知識は、人生を生きる中で大切な勉強。智慧とは勉強した事を生活に生かす事と私は解釈している。僧侶の世界では勉学と修行がそれに当てはまる。そのどちらもがバランスが取れて人格のある僧侶として檀信徒から信頼される僧侶となる。このバランスというところが仏教の説く”中道”(偏らない考え方)にもつながる。仏前に灯明を灯すのはこの智慧という意味がある。この智慧も私達が、彼岸に行くための大切な考え方の一つである。合掌

*** 2021.3.17 彼岸 今日から春の彼岸早いものである。今年は昨年閏年であったので一日例年より早いのである。彼岸は、迷いのこの岸より川を挟んで悟りの岸に渡るという意。私達が住んでる人間世界(娑婆)楽しい事より苦しく、辛い事の方が多い。その中であくせくしてる私達である。そこでどうしたらそれらの苦しみから離れる事ができるのかと私達は考える。その一つに精進努力と仏教では説く。正月によく今年の抱負と尋ねられる事がある。年が変わり清々しい気持ちで色々と言葉を述べる。現実は、3日経てば初心を忘れ元の木阿弥となる事が多い。初心貫徹でどのような事があっても自分の志しを遂げる努力をした人は成功してる人が多い。彼岸に墓参りや仏壇に線香を備える。この行為は、線香が最後まで燃え尽きるように私達も己の志を最後までやり通すとの意味がある。この精進も私達を苦しみ迷いの世界から脱却させる方法の一つである。その事を頭においてしっかりご先祖様と対話して頂きたいと思う私である。 合掌

*** 2021.3.13 梅 この時期梅の花が盛りを過ぎかけでさくらにバトンタッチの時期。こんげつ初め当山の境内の梅の花が見ごろであった。ふと脳裏を過ぎったのが高校時代にテレビの画面から流れてくる田端義夫の”梅と兵隊”の歌詞。”春まだ浅き戦線の路傍に咲いた梅の花 せめて一輪 母上に供えてあげて送ろうじゃないか”という歌。梅の花ののどかで穏やかな感じを与えてくれる反面、現実は血なまぐさい戦争に向かうわが身。相反する思いが兵士の心に同居してる。この身を授けてくれた母親に対する素直な思いを私は、この歌から感じる。来週から春のお彼岸 ご先祖様を思い今、生かされてる事をかみしめる時でもある。先祖と言っても何代も前の先祖もあれば近い先祖もある。一番近い先祖は自分の両親。この歌のように自分の五体を授けてくれた母親に思いを凝らしたい。生きてる時は当たり前と思い見過ごしてきた事に実は人生の大切な指針があった事を。そのような思いに駆られる昨今の私でもある。読経しながら自己を見つめたい。 合掌

***  2021,3,11  年月 2011.3.11から10年の年月が流れた。その間、東北では色んな人の動き、流れがあった。あの出来事は、この世の生き地獄でもあったと私には思えてならない。多くの人の恐怖、悲しみ、淋しさが感じられ、胸が痛くなる思いである。昨日、東京の銀座で震災復興の托鉢僧がコロナ感染で66歳の生涯を閉じられたのをネットで知った。残念で悲しく空しい思いがこみ上げてきた。実際現地に足を運び犠牲者の菩提を弔う読経、ボランティア活動などされてる方でもあったとの事。被災者はどれ程励まされただろう。その方はしっかり人徳を積まれたに違いない。僧侶の鏡でもあると同業ながら頭が下がる思いで自分が恥ずかしくもあった。きっと仏の浄土へ行かれると思った。自分磨きをしっかりやらんといかんと己にはっぱをかける私である。10年前の今日震災の犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。それと犠牲者の親族や兄弟、縁のあられる方々の心の傷が早く癒される事もお祈り申し上げます。諦めづ希望を見つけるよう歩いて下さい。 合掌

*** 2021.3.5 弥生 3月は弥生。厳しく、寒かった冬から解放され桜をはじめ春の花々が私達をたのしませてくれる月。世間では新旧入れ替わりの時期で希望と不安とが入り混じった思いをした事もあった。この時期になると思い出すのが学生時代の卒業式。今まで親しかった人間と別々の道を行かなければならない事、今まで親しくもしてない人間がふとした事で見せてくれた優しさや思いやりそのような人との別れ等。何か淋しいいろいろな思い出がある。親しかった人が終生親しいこともある。途中から疎遠になる事もある。反対に親しくなかった人と何かの拍子に親しくなる事もある。まさに人生”色即是空 空即是色”喜んだり、悲しんだりした事も長い年月のもとただの出来事になってゆくと思う。その繰り返しで私達は、互いに輪廻転生の旅をしてると思うと人との出会いや別れも楽しいと思う。  合掌

*** 2021.2.28 すべて 今日で2月も終わり、考えてみるとあっという間であった。今日は月例祈願祭。丁度不動明王の縁日と重なった。これも何かの縁である。今朝、不動明王の供養法の途中の事であった。今日は、本堂のお不動さんの前で護摩を修法するから勿論本堂の中の不動明王が主である と今まではそう考えていた。供養法の中で不動明王の真言千編唱える中で不動明王は当山の護摩堂にも二つの滝場にも十三仏堂にもおられる。本堂が主かもしれないが、本義は大宇宙の彼方のマンダラ浄土へおられると私は思う。そう考えると不動明王から始まり、私達を取り巻く社会、そして地球全体。そして広大な宇宙と繋がってるように感じた。そう考えると私達一人一人、草木、水、土、火、風といった自然みな不動明王だけでなく真言密教の説く仏の世界へ繋がってると感じられた。そう思うと人はいがみ合わず、互いに仲良くしていかんととも思った。あなたも私も仏の子という言葉を思い出した。これも拝む事から感じられた事とも思う。拝む事の意味を教えられたようにも思う。コロナ禍だからこそ一人一人が拝む事が大切であるようにも思えた。 合掌

***   2021.2.23  海賊  今月初め息子が海賊のテレビがあると言い、映像を共に見た。少しだけの時間と思いきや、最後まで釘付けであった。それは私と同じ福岡県に縁のある出光興産の社長の物語(海賊と呼ばれた男)であった。北九州の小倉や隣の下関の町が出てき、独特の北九州弁も聞けて画面に見入ってしまった。外国の業者と徹底的に渡り合い、彼らの息のかかってない中東イランへ目を向け、自分達の作った日昇丸というタンカーで商いをやり、成功した事のドラマであった。私はその出光社長のやる気と心意気、気性は激しく喧嘩早い反面、とても部下思いな面が一事業を成し遂げた元だと感じた。その事に対して強烈に狂うというか突き進む行動が人をやる気にさせるのだとも感じた。私はもうあとどれくらい寿命があるか分からない。出光社長の物語から自分というものしっかり見て人生の仕上げに突き進む事の勇気を胸に精進をと思った。 合掌

*** 2021,2,2   節分 今年の節分は122年ぶり2月日。節分は季節を分けるという意。寒いという冬から春に向かうとの意。と言ってもまだ寒い日が多い。いきなり春にはならない。三寒四温といい寒い冬の気温と温かい春の気温の入れ替わりで春がやってくるのである。これは季節だけに言える事ではなく我々の人生にも当てはまるように思える。いい時もあれば辛く、苦しい時もある。それが交互に来て私達が、それに背を向けづ正面から立ち向かえば苦しみを克服して楽しみを見つける事ができるのである。それが人生の醍醐味でもあると思う。その時私達の心の中に巣くう魔が退散したとも思う。魔は明るい事や前向きな考えを嫌う。このような心で生活を送る事が大切であり、節分の意義が感じられる。 合掌

2021.1.8 新年 謹賀新年 本年もどうかよろしくお願い致します。 と言っても新年はとうにきて一週間過ぎてる。それもそうである。年末は大掃除、星まつり札や新年の札の申し込み、会報の編集等で大忙し。ブログを書く暇もなかった。本年よりその辺の所を少し改革してゆく必要があると感じている。改革と言ってもなかなか思うように進まないのが現状でもある。押しなべて社会全体がそのよいうな状態といってもいいように感じる。だからこそ自分はそうならないように襟を正し、己の至らない点にメスを入れる勇気を持ちたいとも思う。己の欠点をそのまま見るのはとても忍びない。だからといい己を甘やかしては、ツケはいつかは己に帰ってくる。だから傷が浅いうちに治療する事が大切。年末15日から当山に研修に来てたある引っ越し会社の社長さんの社訓が脳裏を過ぎる。気づく事、反省する事という言葉である。この言葉私もかみしめ今年実行していかねばならないと言い聞かせている。 合掌

***2020.12.19 年末 今週日曜に最後の月例供養祭。その後、参加者と1年間の感謝の思いですす払い。今回は毎年参加されてる方が病で倒れ、掃除の段取りが心配されたが、皆一丸となりテキパキと動いてくれたお陰で2~3時間で本堂と外が無事終える事ができ感無量であった。自分も年々お本堂内の大掃除がなかなか思うようにいかないと感じるようになり、12~13人の手伝って頂いた信者さん方の力に敬服である。やはり、人は一人でできる事には限界があると感じるこの頃。大勢の力の結集のありがたさが身に染みる。物事大勢の力でやった後の一体感。絆が一層深まるのを感じ、清々しい思いであった。この思いを大切に精進を誓った。  合掌

*** 2020.11.30 晩秋 今年は、秋の風物である紅葉も落ち着いて見る余裕もなかったように感じた。柴灯大護摩が終わり、その跡片付けや事務処理。滝行、社内研修などの事に振り回され、気が付くと大相撲の九州場所(今年はコロナの影響で東京)。いつも九州場所が終わると冬の到来と言われる。自然は、正直と思う。時期が来ればその時の花や植物が顔を出す。秋の紅葉はその色からして温かさを感じ、ほんのりとした和やかな雰囲気を与えてくれる。ほんの一時でもいいから忙しくてもその余韻にふけりたい。その余裕が大切と思う。そこが仏の世界とも思う。真言密教の説くマンダラ浄土である。私達は、この自然の中で生かされてる。自然とともに生かされてる。自然は、私達が人生で味わう苦しみ、悲しみ、楽しみ、嬉しさをすべて見てくれて包み込んでくれる。そのように感じる私である。この紅葉を楽しんで寒い冬に向かい心を引き締めたい。 合掌

*** 2020.11.28 五三竹 もう当山の柴灯大護摩が終わり一か月が過ぎた。柴灯大護摩が終わり、その後片づけや諸々の事柄がやっと終わり、その護摩の灰を境内の大事な場所にまいた。その一つが当山の五剣の滝の不動明王の後ろである。その場所には五三竹という竹が生えていて、その竹を柴灯大護摩の道場の四隅の結界としてここ2年ほど使用している。その竹が来年は、もっと成長してもらいたい。と私の思いがこのところ強いのである。そこでその場所にも護摩の灰を3~4か所撒いた。最近、朝のお茶等や滝行の時、不動明王を拝むとやたらその竹が今年の秋口よりも群がり始めてるように感じた。何か不思議な気がしてならない。私の思いが通じたのか。不動明王も力を貸してくれてるのかとも感じる。最近、思う事だが、私達と自然と神仏は、一体ではないかとの事である。だからこそこの竹の成長が早いのではないかとも思えた。この事は、弘法大師も色んな書籍で説かれている。それを学ばせて頂いてると思うと合掌のみである。 合掌

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*** 2020.11.18 拝む 昨日、朝滝行の依頼があり、その方のサポートで滝させて頂いた。その方も滝行中に不動真言を唱えている。私も不動明王を拝みながら不動真言を唱えていた。その瞬間、自分の今までの考え方、行動などが脳裏を過ぎる。決して自慢できる事柄ではない。どうあがいても今は今。もう一人の自分が”お前ができる事は何だ。お前は坊さん。拝む事しかできんだろう”と話しかける。思わずそのとうりだとうなずく私。今までより一層心を込め拝む事だと感じた。私の声がマンダラ浄土へ届き、神仏を動かすと思うと元気と勇気が湧いてきた。ありがとうございます。   合掌

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*** 2020.11.1 命乞い 先週当山の柴灯大護摩の日であった。私は、古くから当山に参拝されてる方からその方の義理の兄の件で1か月前から病気平癒の祈願を依頼された事が脳裏から離れなかった。今年のはじめに医者からもって半年と言われてたのが、何とか命を長らえさせて頂いた。私は祈願の依頼を受けて当山の柴灯大護摩が終わるまで延命を祈願させて頂いた。翌日、道場で護摩の跡片付け中にちょっと休憩してる時、気になったので兄弟の方に電話をした。本人は日頃と変わらず、容態は現状維持です。でも、いつ様態が急変するかもしれないとのコメントを担当の医師から告げられてるとの事でもあった。とりあえず、私も当山の柴灯大護摩までは乗り切ったと思い、一安心。翌日深夜、私の携帯が突然鳴った。私は、護摩の後かたずけやそれまでの疲れがでたのかその日は、いつもより早く休んだ。翌日その方の訃報を知らされた。あまりにも突然の事で信じられない気持ちであった。28日通夜、29日が葬儀。その方は人生とても一生懸命に生きてこられた方のようであった。人の事に献身的につくされた人であったとの事 身内の方が結束して葬儀を取り仕切ってある姿を見て、人の絆の強さを教えられたように感じた。血の通った繋がり、そこから生まれてくる心を込めた対応。亡くなられた義理の兄さんはとても喜んであるように感じた。このような人でありたいと今の自分を恥じる私であった。  合掌

***2020.10.26 大護摩 昨日、当山の秋の恒例の柴灯大護摩の日であった。今年は、コロナの影響で無観客で行わせて頂き、寺内の僧侶と弟子の5人で行った。初めての試みで不安は色々とあったが、何とか皆が力を合わせ無魔成満した。幸いに天気にも恵まれた事も私の心が落ち着いた。たまたま、参拝に来られた方が、不動明王と竜神様が護摩の火炎の中に出てあったとの言葉を坊守から聞かされ、準備などで気を使い、護摩の進行の事などの細かな点でも気を使い、体力的にも無理が出来なくなった事などの事が吹き飛んだように感じた。この事も不動明王様や天部のお神様の試練とも感じた。護摩が終わり、御幣やお守りのお加持を終えた後の爽快な気分は、何とも表現のしようのない爽快な気分であった。水戸黄門の主題歌「人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る・・・」の歌手が脳裏をかすめる。怖い顔の不動明王様が褒美をくれたとも思った。昼食の時、弟子たちがにこやかに護摩の時の事をしゃべり、和気あいあいとした様子であった。 ありがとうございました。  合掌

*** 2020.10.7 近況 もう気が付くと10月。ついこの間まで暑い暑いといい猛暑でどうなるのかと思ってたら今度は気温の低下で体調を壊してある方もおられるとの事。さて、今月は当山の秋の大祭の柴灯大護摩の月でもある。前々から考えてた事だが、今年はコロナの影響でどうするかと 恒例の行事でもあり、無観客で行うようにした。毎度の事ながらその用意に手間がかかるのである。柴取りにはじまり、竹切、草刈、道具の点検、細々な事が多い。この行事も外でやる護摩であるから自然の物を使い、神仏に思いを届ける儀式。古来から日本でおこなわれてきた行事。そこには自然を神仏と崇め、その中で生かされてる自分。その自分は、自然と別個の存在ではなく自然と一体の存在である事を肌で感じるものだと思う。私達と自然は、同体という事であり、神仏とも同体という事にもつながり、新たな発見をしながら護摩の準備に時をかけてる私である。  合掌

*** 2020.9.25 彼岸 今月8日に2件の訃報が当山に流れた。1件は当山の信者さん。もう1件は同宗の寺院の住職さん。その寺院の住職のお参りに彼岸の中日に出向いた。祭壇には、在りし日の若々しい住職の写真が祀られていた。その住職との出会いから色んな事柄が思い出されてくる。いつも笑みを絶やさない方であった。今から3年ほど前、脳梗塞を患われ、施設で療養されてたとの事。その写真も祀られていた。その写真でも笑顔を絶やさない姿があった。人は年を取り、体を患うとその形相は、若い時とはガラッと変わるのだなと痛切に感じた。その時、脳裏を15年後の自分の姿が過ぎる。私もこの住職のようになるのか。自分は、この住職のように笑み笑みとできるだろうか。その為にも心の学習を積み重ねないといけないとの思いが強くなってくる。死ぬまで修行やなと感じ、その寺を後にした。人の死から色々、考えさせられる事が多い。”人が色々、教えてくれるのは30までよ。40になった時、自分の顔に責任を持つように生きないかん”とおふくろに言われた言葉が思い出される。私は、そのように生きただろうか。その言葉が時折、脳裏をかすめる。日々、己との闘い。精進、精進である。 このお寺の住職様のご冥福お祈り申し上げます。来世、どこでお会いできるか楽しみです。 色々とご教示ありがとうございました。 合掌

*** 2020.9.12 希望 先週カーラジオから懐かしい曲が流れてきた。”可愛いつぼみが花になり 花は散っても実は残る その実がこぼれて花になる はじめ小さな花の実が いつかは大きな花園に 暮らしの中に根を張ろう あなたも私もみんな皆 明日は咲こう花咲こう” 吉永小百合さんと三田明さんのデュエット曲である。私が小学5年頃の歌である。人のささやかな思い、願い。たった一人の存在が段々大きなものとなり他に影響を与え、願いや思いが達成される事は素晴らしい事。そこには努力が要る。その成果が大きなものとなり社会を明るくして行く。花に水をやるように私達の心にも水(潤い)を与えると心は豊かになり、人生を楽しめると思う。その水は、私達に希望という贈り物を届けてくれる。この歌を聴きながらこのような思いを抱いた私であった。お二人の健康をお祈り申し上げます。 合掌

*** 2020.9.8  台風10号 先週土曜頃から台風10号の事が報道されていた。超大型とテレビやネットで盛んに情報がながれ、こちらもその対策に追われ、神経がピリピリしていた。いよいよ九州北部に差し迫るという時、一瞬緊張が高まる。さあ、通過する時、意外と思ったほどではなかったように感じた。とは言っても風は結構吹いてたし、木々の揺れも激しかった。8日の午後朝鮮半島に上陸後、日本海に抜けたとの情報が流れた。早速、雨戸を開け、本堂周辺から外回りの対策を解いて回った。たくさんの木の葉が散らばっている。隣の家の樹が半分から折れている。当山の境内内のお抱え石のお堂の屋根が吹き飛ばされていた。被害は小さくても出ている。宮崎、鹿児島に比べればいい方だと思った。台風が来る前から私は、密かにお祈りをしていた。台風の中心気圧が上がり、速度が速まりますように、被害が少しでも軽いようにと 自然のなす技には私たちはかなわない。されど自然もエネルギーがあり、私たちの思いもエネルギーがある。台風が強い力なら私たちの祈りも強い。そのような私たちの祈りの力が台風にも通じたのか知れないと一人で胸をなでおろした私であった。  合掌

*** 2020.9.1 97年前 1923年今日 関東大震災発生。多数の行方不明者と死者を出した自然災害。今、いつ来るか分からない南海トラフに怯えながら我々は、生活している。過去の歴史を見ると我が国は、100年毎におきな災害に出くわしてるようである。被害は、100年前も甚大ではあるが、現在発生した場合は、それどころではない。まさに不安と恐怖である。人間が、生きてるだけではなく、この大地も生きている。地震は、我々が寝ていて寝がえりを打つように大地の寝返りとも私は考える。そこからすれば今の我々は、大地のすそ野にいてその寝返りの下にいるようなもの。又いつかは知らないが反対方向へ寝返りを打つ時は、今ほどの状態ではなく軽いようなものと考える。いずれにせよそのような時に生きてる我々の運命と思うようにしている。私たちの先祖もこのような思いを幾度もしてきた事を思えば、我々もこのような経験を通じて自然の驚異に対し、正しく恐れ、それなりに付き合っていかねばならないとも考える。自然と我々は別個である考え方より、自然と我々は、一体という考え方で生きてゆくともう少し世の中が良い方向へゆくのではないかと考える。今日は、防災の日。迫りくる台風や地震に対してしっかり我々は、自然の一員として考え、行動をしてゆく必要に迫ら羅れてるように思う。 合掌

*** 20208.31 声掛け あるバスの運転手の話。そのバスの終点でバスが降車場に着き、乗客がおり始めると運転手が”お仕事お疲れ様、気をつけてお帰り下さい”体調が思わしくない客には”しっかり自己管理して養生して下さい”子供には”今日は遊びに行って楽しかったか”など客によってさまざまな声掛けをしてあるとのい事。私はその運転手の態度に感服した。その事から私は自分の幼少の頃の思い出がよみがえってきた。私は幼稚園、小中学校はバス通学であった。国道201号線福岡天神から飯塚までの普通バスが私の足であった。ある日、飯塚行きのバスに乗ると運転手が笑顔で接してくれた事が大変嬉しく今でも頭の片隅に残っている。”今、学校から帰りようとか”。”学校は楽しいや”と他の運転手とは違った人だった。私もその運転手とどれくらい経ったか覚えてないが帰りのバスを運転してあった。今度は、私から彼に話しかけた事を覚えている。今、思うと彼は私くらいの子供がいて病気か事故でその子供がなくなり、私を自分の子供と思いそのように接してくれてたのではないかとも思う。これは私の憶測であてにはならないと思うが… 仏教では”和顔笑施”といい、人に笑顔で接する事の教えがある。この運転手さんたちは、まさにその実践者であると思う。今度は、それを受けた私が他人にその実践をしてお返しをする番に来てるとその都度、思う。実行の足らない己に恥じるしだいである。  合掌

***2020.8.22 お願い 今年は、新年過ぎてからのコロナ騒動に始まり、半年が過ぎ、それも収まらない中、今度は梅雨末期の大雨(豪雨)最もひどかったのが熊本県人吉市。その人吉市では多くの方々が被災されています。福岡県では、大牟田地区で浸水被害(1.5m)が発生。人吉 南光院さんでは、檀家の7割が浸水、そのうち6割が床上浸水、大覚寺派高野寺さんでは、5m水没、人吉地区では、現在700件近くがボランティア待ちをしている現状です。さらに梅雨末期の大雨で、2次被害が発生。再度1.5m浸水致しております。又、本年はコロナ感染の為、県をまたいでのボランティア活動ができない状況です。このような状況を踏まえ、高野山真言宗 福岡宗務支所では、令和2年7月豪雨災害義援金を募集し、被災寺院様、並びに高野山真言宗の檀信徒の方々への支援並びにお見舞いを行います。皆様のご理解とご協力をお願い致します。協賛されるかたがおられましたら祖聖大寺までご連絡下さい。振込用紙をご送り致します。尚、締め切りは9月末まででございます。

尚、この義援金は強制ではございませんのでご了承下さい。  合掌

*** 2020.8.18 盆 盆も過ぎたと思うとほっとするやら淋しいやら複雑な思いである。盆の最後は16日。この日は一年間のうちに地獄の釜の蓋が開く日と言われる。そこでたくさんのお経が聞けない亡者の御霊にお供え物を致し、読経という最高の施しをする事により、供養の行き届かなかった御霊が喜び、浄土へと渡る事の出来る日でもある。お釈迦様在世の折、彼の十大弟子の一人の目連尊者が、布施行をしなかったが為、餓鬼道に堕ち、苦しんでいるのを彼が、餓鬼道から母親の御霊を救い成仏させた話は有名である。もう一人の弟子、阿難尊者は、餓鬼の世界にしっかり施し(読経)供養の誠を捧げ、餓鬼道に堕ちた御霊を救い、短命を免れた話もある。このように死者でもまだ供養の行き届いてない御霊に読経を捧げ、私たちの思いを伝える事は最高の供養でもあり、私たちの使命でもある。一人でも多くの方が、徳積みをされる事を願う私である。特に、今年はコロナの影響で亡くなられた方も多い。七月豪雨でも多くの犠牲者が出た。その方々の御霊もしっかりと拝ませて頂いた。その御霊の成仏を陰ながらに願う私であった。  合掌

*** 2020.8.5  清さん 昨日は日本映画を世界に知らしめたあの”寅さん”こと渥美 清さんの命日。生きていれば93歳。寅さんの映画は、高校時代から見ていた。博多駅の映画館で明るい外の世界から暗い映画館に入り、開園のブザーが鳴る。次の瞬間 音楽が鳴り、コバルトブルーの画面から富士山の映像が、そして松竹映画の文字。そしてドラマが始まる。東京の柴又の帝釈天の寺、住職(笠 智衆さん)、だんご屋のおいさん、おばさん、妹のさくらさん、婿(前田 吟さん)の顔ぶれが現れる。東京の下町の風情。その時は、日常の当たり前の風景。今は、懐かしい日本の姿と私の心の中には写っている。渥美さんのあのスタイルや面白い話、あの笑顔。懐かしい思いである。もうその当時の光景は二度と戻らない。ついこの間と思ってた事がもう半世紀前の事である。私は、仏教の”色即是空 空即是色”や無常という教えが、脳裏を過ぎる。どのような事でも二度とその光景を見たり、味わったりは出来ない。その事を最近、痛切に感じる。テレビのコマーシャルで中学生の女の子が何人かで笑っている光景があり、”その時は何でもない事が時が経てば思いでに”という言葉にも通じるものを感じる。縁を大切に。時間を大切に。人生楽しんで生きるといった事の意味も感じる。寅さん(渥美 清さん)は多くの映画では感じられない内面的なところがあるとの事。彼は詩人でもあるとの事。昨年の深夜ラジオで彼の歌が耳に入った。”浅草物語”という歌”上に行けば叩かれる。下にいると踏みつぶされる。そんな中を何とか生きる。そんな自分を見守ってくれる観音様” という歌詞が脳裏に残る。渥美さんの人間性や今の私達、日本人が忘れた日本人の心が表れてるようで懐かしい。私は寅さんに会いたい。心の中をほっとさせたい。寅さん、ありがとうございました。あなたは輪廻転生の旅で今、どこにおいでですか。  合掌

*** 2020.7.16 生きる 私は、週2回ゴミ出しを担当している。ゴミ出しはどうしても夜9時から10時一日の疲れも出て眠たい時もある。そのような状態でやるので入れ忘れがあったり、少しばかり入り損ねたゴミが落ちてる事もあり、家族から忠告を受ける事しかり。何故か。別の角度からするとゴミ出しをするのをイヤイヤしてるから気が入らないとも指摘される。もう一つは、ゴミに感謝がないからという見方もあると思う。何で汚いゴミに感謝や というのが世の通例と思う。確かにゴミは汚いし、感染力のある菌もある。毎週ゴミ出しをしてる中で最近、感じた事がある。ゴミの量が沢山あるのを見て、これは自分が生きてゆく為に使い、用の亡くなったもの。これだけ多くのものを犠牲にして自分がいるのか。これだけ多くのものの命を奪ってるのかとの考えが浮かんだ。そのような考えからゴミに感謝をするような心でゴミ出しをすれば落としたり、入れ忘れたりする事がなくなるのではないかという事である。この事から生きるとは、反省、懺悔、感謝というような心を育てる意味もあるのではないかとも思った。毎週早朝からゴミを収集してくれる方々、ほんとうにありがとうございます。私のしりぬぐいまでして頂き、頭が下がるのみです。多くのものや人々のお陰で今日がある事を絶対、忘れてはならない。こころしてゆきたい。 合掌

*** 2020.7.4 滝行 今日は珍しく滝行参加者が今までより多い日のようであった。朝9時からであるが、途中道路状況の影響で遅れて見えた方がおられた。やっとその方が見え、滝行の説明と作法の話。今日の参加者は皆、初対面の方ばかり。不思議な事に遅れて見えた方と他の方がえらい話が弾み盛り上がっていた。その中で滝行に向かい、滝行が終わり、ひと段落。皆さんがお茶を飲みながら雑談。その話の中に遅れてこられた方の話。彼はNPO法人の仕事をしてあり、町のパトロールをしてあるとの事。週3回程、逮捕術の道場で指導してある話をしてあった。私も彼と話してる中で”今、子供がなってないとよく大人は言うが、そのような私を含めて大人がなってないから社会がおかしい。大人の教育が大事です”と彼が言った言葉が脳裏を過ぎる。彼は、日本人としての意義を真から模索してある事が感じられ、年は若いがこのような人がまだいたのかと思うと嬉しくなった。兼ねがね私は、高度成長期から段々と日本人の物の考え方や今までの習慣、神仏に対しての畏敬の念、日本の文化の継承が薄な割れてゆく事が淋しく思ってたところに彼が現れたといえばぎょうらしいようにも聞こえるが。彼と今日会った事は心の面で暗い部屋にやっと明かりがともされたような気になった。私もまだ、若い人に負けられんなとの思いを持たせてくれたようで有り難かった。彼が帰りしな”私はこの寺に来て何か心が洗われたように感じます。また、滝行に来ていいですか”との嬉しい言葉を残して玄関から出て行った。今日のメンバーは初対面にしては、皆意気があってたようにも感じた。私にとってもいい一日であった。彼との再会が楽しみである。  合掌

*** 2020.7.3 得度式 ブログをと思いつつ中々書けなかった状態が、やっと時間が出来書いてる始末。気が付くと7月。もう1年の半分そう言えば先月21日当山で得度式を行った。受者は当山でご縁のあった方で当山の修行体験に見えたのがご縁でもある。その方が当日、新たな弟子として得度を受けられた。嬉しい反面、それなりの責任が私にかかってくる事はプレッシャーでもある。私もこれを機にもう一度、今までの事を点検する時期に来てるようにも感じる。私の時代と今現在とでは色んな事に違いも出てきているからである。この世界は、師匠が黒と言えば弟子は白であっても黒と答えなければならない風潮がある。一般人からすると理不尽にも思えてくると思う。そのような中どのように指導していかねばならないのかが問われる。今は、師より弟子の方が偉く見え、物を知ってるようにも見える時代のようにも私の目には映る。色々と言えばきりがない。そもそも得度をするという事は、出家をするという意味で、神仏に仕える事にもなる。僧侶は、自分の事より他人の事を考え、その人が良くなるように指導する役目がある。その為には、修行もし勉学もする必要がある。色々と壁が立ちはだかり難儀な点もあるが、そこを何とか克服し、上を目指して欲しい。上を目指すとは、自分の事は二の次、他人を喜ばす事を常に考え、行動する事と思う。その結果、自分も喜び、他人も喜ぶという”自利利他”の精神に生きて欲しいと思う。この考え方が、仏教であると私は思う。この実践に生きて欲しいと私は彼に思う。彼だけでなく私も同じく修行の身と考え、当たり前の事を当たり前にやるという行動をと思う今日である。る。                                          合掌

*** 2020.6.23 75年 今日は沖縄戦より75年目。戦争の傷跡は年月が経っても癒えない。それだけにすさまじいと感じた。もとはアメリカ大統領が日本との些細な行き違いが事態をここまで悪化させた。まさに人間関係と似たようにも思える。その事が永遠にそれに加担した人を苦しめる元にもなってるように思えてならない。人は一人一人の寝顔を見ると憎めない表情をしてると私は感じる。その表情が生きてゆくという事で様々な衝突があり、最悪な場合は、戦争となり、互いに悲劇が生じる。なんと悲しい事だろう。このような事態を仏道に縁あるわが身からすると一人一人の心の修行にも感じられる。人はこの世に心の修行の為、生まれてきたと説かれる方もおられる。(高橋信次先生)その先生の言葉を借りれば、そのような思いをするのも自分が過去にまいた種が原因と仰います。そう聞くと反論される方もいらっしゃると思われる。けれども苦しい事から逃げれば逃げる程、その苦しさが時を経る事に色んな症状で変化してきて、それが心の修行の意図する所と思われる。その苦しみをクリアする事で心が、さっぱりとした、清々しい状態になるのだと思う。心は正直。色んな事柄の答えを出してくれる。自分の素直な心と向き合おう。そしたら色んな難問の解決策が生れると思う。人間が生きてる限り、どこかで戦争がおこっている。そうあってはならないのに起こっている。そのような残忍な心が人間にあるという事も踏まえ、そような心を修正し、穏やかな、争いのない境地になるようにしたい。この思いが、高橋先生の説かれる心の修行と思う。人生は六道輪廻の修行の旅。一歩づつ心の修正をして旅を続けよう。縁が来ればマンダラ浄土が見えてくるかもしれない。 合掌

*** 2020.6.10 峯入り この祖聖大寺がの場所は、八木山峠の中腹。昔、この地は彦山修験道の峯入り行のルートの一つであった。この寺のある場所より徒歩で30分くらいの山中で修行していたようでもある。その途中に命を絶った行者もいつとの事。この人知れない山の中で命をなくすという事はどれほど空しく、淋しく、悲しく、辛かったかを思うと胸が苦しかった。今、自分たちは恵まれた環境の中で生活している事を思うと申し訳なく感じた。自分の精進の足りなさを恥じるばかりであった。この地の自然を神仏と感じ、修行してた山伏の心を思うと勤行の声に力が一層籠る自分である。 合掌

*** 2020.6.3 感動 最近、感動という言葉を思い出した。私は、高野山時代同級生(年齢は私より6歳上)から”お前は感動という事を知らない”と言われた言葉が脳裏を過ぎる。私は、時折小学校時代の事を思い出す事がある。当時、私はバス通学でいつも帰りは”飯塚行きの普通に乗るように”と母親から教えられてた。当時は、私が通う国道201は筑豊方面に向かう特急や急行バスが多い時代。飯塚行きのバスを待つ間に特急や急行が何台も通過してゆく。それらのバスはハイカラで椅子に白いカバーが付き補助席が付いて中には時計もついてる車両もあった。あのようなしゃれたバスに乗れる人はいいなという思いを胸にバスを待ってた自分であった。そのような思いは叶わぬものだと思ってた折、飯塚行きの普通バスがやってきてバス停に停車。いつもは特や急行になり通過してゆくハイカラなバスが。そのような思いでバスに乗車。豪華な席。冷房付き、運転席の横には時計が据え付けられ、走行中に時計が動く音がする。そのような状態が私にとり新鮮であった事が思いでとして残ってる。そのような感動を持ち続けたいと今でも思う私である。 合掌

*** 2020.5.24  早朝 早朝のお勤めを日々、行わせていただく中で感じる事がある。何か朝でも7時を過ぎてくると何かしら小さな音を感じる。5時から6時だと違うしーんとした中に柔らかさ、優しさをも感じ、拝んでても素直な心になるのである。気学では早朝は気の流れが一番いいので日頃、懸案の事項などかたずけるのには最高の時だと。そのことからして私は坊さんだから皆様から頼まれた供養事、祈願事をやるのに神仏との対話に最高の時でもあると感じる。深夜の丑三つ時は忌み嫌われてるようである。その時間は、一日のエネルギーが一番蓄えられる時間であるとの事。だから床につきしっかり寝ておく時間でもある。神社にその時間行き、丑の刻参りなど言語道断である。その後、午前4時に起きて活動することは一日のいい期の流れで事を進めるので良い結果が出るとの事。商売や事業で成功してる方は、この時間をしっかり活用してあるとの事。コロナで今、世間は不安な様相である。だからこそこの時間帯に何か考え、この事態を乗り切る知恵が出てくる事にも期待ができるとも思っている。皆さん、早朝の活動してみませんか。 合掌

***  2020.5.17 自分見つめ 私事で大変恐縮な話だが、自分で私は小学一年生生と思ってる。坊さんとして恥ずべき事とも思う。とにかく日常の細かな事から見つめなおしておかねばならない状態。自己満足してるだけで他人からは白い目で見られてる自分。人の心、思いを頭に入れず、自分の事しか頭にない。社会人として最低である。今月初めお笑いのある芸人の話を聞いた。彼は、相方と仕事をしてても相手の言葉に耳を傾けない。自分だけの世界を作り、人も自分を評価してると思ってた。ところがある日、その相方が、彼の今までの行動や発言がどれ程、周りを不快にし、イライラさせたか。だから結婚が出来ない等を伝えたとの事。彼は自分見つめの大切さを痛感し、日々精進してるとの事。私も同じであると心に言い聞かせた。恥をかくのは己。人は唯冷笑するのみであると。これが世の中tだから、忠告してくれる方に感謝する心がたいせつであると感じた。誰なら嫌ごとをわざわざ言ってくれるだろうか。その方の思いにも報いたい。 合掌

*** 2020.5.12 人 ”この世には、人という人多かれど 人としての人は少なし”(宗 道臣師家) 世の中人が多い。万物の霊長と呼ばれる人類。魂はあっても自分の事ばかり考え、行動し、他人の事など二の次という人が多い世の中。この傾向は、現代は頂点。過去もこのような傾向があったとも思う。今年は、2月頃よりコロナが蔓延しはじめ、国内は最悪な状態。4月より緊急事態宣言が出され、国民生活は、窮屈な状態。そのような状態から暴力や犯罪が発生し、人間の本性がもろに見えてる状態。まさにこの世の地獄とも思える。人の形はしてても内面は、夜叉、鬼人と化している。誠に恐ろしい社会でもある。人々は混迷の渦に巻き込まれつつあると思う。生きていかねばならないのは誰しも同じ。自分だけが良くなるのは、人からすると不満の元。他人の事も考え、行動する事も大切になってくる。自分の事も大切、同じく他人の事も大切にする という考え方ならトラブルはかなり減ると思う。このような考え方のできる人が、まさに人としての人ではなかろうか。このような今の状況だからこそ自分磨きが必要と思う。この難関をいかにして乗り越えてゆくかが、戦後生まれの私たちの試練とも思える。しっかり神仏やご先祖様に感謝の手を合わせて前に進みたい。 合掌

***2020.5.5 掃除 毎朝、勤行後自分の部屋、台所、玄関、本堂前から境内を1時間くらい掃除をする。幼少の頃から掃除を手伝わされ、学生時代、坊さんの修行時代など掃除と無縁の時はなかったようである。物をのけたり、かがんだりする事も多い。心の中ではめんどくさい、早く終わらんかなというマイナスの思いでしてた自分がいる。修行時代。ある日お師匠さんから参拝者の発ったあとの部屋に連れて行かれ「お前、どこを掃除したんか」と怒声を浴びせられた。お師匠さんは、塵取りと箒を自ら持ち、私の目の前で「掃除はな、こうやって部屋の隅々からやるんよ」との言葉を残され、その場を離れられた。祖母も同じことを言ってた事を思い出した。掃除をしながらめんどくさい思いや足の痛い思いを克服したあとの気分は清々しい。これが掃除の醍醐味。何か、人生にも当てはまる思いがする。いろんな思いをしながら掃除をする事は”内観”という自分見つめの行為と似た点があると感じた。動く内観でもある。自分自身の弱さと向き合って自分を高めてゆく事にもつながる気がした。だから、昔より僧侶の修行で掃除があるのもその為ではないのかとも思えた。「身の前の掃除もきちんと出来んのは、自分の事もきちんとできん事につながる。そして人に対してもきちんと対応できん事になる」と息子に叱られる始末。掃除と侮れない。そこには人生の大きな意味もある事を感じたわたしである。精進あるのみ  合掌

*** 2020.5.4 滝行 昨日本山からの「新型コロナ終息祈願並びに犠牲者追悼法会」のお願いがあったので朝勤行前滝行をさせて頂いた。最近、コロナの影響で滝行をする方がゼロになり、淋しく感じていた。早朝という事もあり、清々しい気持ちになった。素直な気持ちになってる己がいた。修行体験で参加者に滝行の意味を説いてる自分であるが改めてコロナで疲れた心が癒された気分にもなった。やはり心身清浄というがその意味を改めて感じた。私自身が改めて身をもって体験したこの思いをこれから修行体験に参加される方に自信をもって伝えたいとの思いが強くたった。朝勤行をはじめそのあとの午前9時から始まった「コロナ終息祈願並びに犠牲者追悼法会」にも清々しい心で読経させて頂いた。この思いが神仏の世界に届き一刻も早くコロナが終息する事を願うわたしである。このブログわご覧の方々で心身もやもやする方で心のマイナスを断ち切りたい方は、滝行をお勧め致します。 合掌

***2020.5.3 お願い 今月1日、高野山から「新型コロナ終息祈願並び新型コロナ犠牲者追悼法会」「医療現場支援祈願」が今日の朝9時に高野山大伽藍で厳修されるので、高野山真言宗末寺でもその時間に各寺院で法要を行われ、檀信徒の方々にも自宅で共にお祈りして頂き、法要に参加して頂くようにとのお願いのメールだ届いた。急なお願いでバタバタしたが、趣旨には同感で弘法大師の誓願にも沿ったものとも思い、早速拝ませて頂いた。毎日、この祈願はさせて頂いてる。その度に感じる事は、終息を皆が願ってるのは承知である。その奥には人間が、今まで身体、口、心の三つで作ってきた三業も今回のウイルスの原因の一つではないのか。という事である。そこを突き詰めれば外国や他人がどうのこうの等ではなく、自分の置かれてる立場をもっとよく見る事の大切さに行き着く。自分の日常生活の行動や考え方に問題はないのか。その点をもう少し深く追求してゆき、足らない所を認識して磨きをかけてゆかねばとも感じた。人間としての至らなさを恥じるおのれである。精進あるのみ  合掌

*** 2020.4.25  山伏塚 2007年4月22日。昔よりこの地で修行中に亡くなった山伏の供養の為、塔婆を建立し、毎年当山では、その供養をつとめさせて頂いてる。当山のある場所は、昔より英彦山修験道の峯入り行のルートの一つに数えられ多くの主行者が訪れた地である。志半ばで人里離れた山の中で倒れ、命を失った行者の心を思うと悲しい次第である。当日は、少し日中でも風が強く、寒い天気で読経にも気合が入った。山伏の御霊に届きますようにと読経させて頂いた。今は、贅沢三昧。山伏の峯入りの時代では、想像もつかない事でもある。そのよいうな中に読経をさせて頂く自分が、勿体なくもあり、恥ずかしくもあった。今、コロナで全世界が騒然としてる中、これからは又、昔のような自給自足の時代が来る可能性もあるのではないかとの思いが、脳裏を過ぎった。山伏のようにたくましく生きてゆく精神が求められている気がした。そのような思いを胸に読経を終え、寺に戻った。 合掌

*** 2020.4.18 世論 このところコロナをめぐるニュースばかり。非常事態だから仕方がないとも思う。見方を変えると見えない敵との闘いでもあり、戦争でもある。このような状態では、人間の心理は不安で少しの事でも心が動揺し、時には理性が働かない時も多いと思う。そこでネットに挙げられてるのは総理大臣である。一国の長でもあるからどうしてもその言動に国民が神経を集中してるのである。確かに批判される事はどうする事も出来ない。それに続き漫画家、スポーツ選手、音楽家などの言動にも批判が殺到している。その事から人の思い、思惑を読む事の難しさを痛切に今日は感じた。自分はそのようなつもりではないのに他人にとっては、その言動が大変不快に感じられる事が多いと思う。精神障害にもなりそうな気がする。躁鬱病の人の気持ちが分かりそうな気もした。人と話もしたくない気分にもなると思う。コロナのせいでこのような事になったと思う人も多い。別の見方をすれば人の心の動きがはっきりと分かる。このような心の動きが世の中をマイナス方向に向かわせるのではないかという思いもある。そうならない為に冷静な判断が大切と思うし、今こそ私たちは僧俗を問わずしっかりと祈る事が必要とも感じた。一日も早く終息する事をお互いに祈りましょう。 合掌

*** 2020.4.11 先輩 今年になり学生時代の2人の先輩が亡くなられた。一人はわたしより2歳上、も一人は3歳上。その3歳上の方は、男気もあり、短気、その反面、後輩思いの面もあった。その彼は、心筋梗塞2回、大腸がんも患ったが、なんとか生還。仕事の打ち合わせで役所の階段を上った瞬間、倒れ、即病院へ搬送されたが、途中帰らない人となった。人はわからないもので亡くなって初めてその人の意外な面も耳にする。聞くところによると幼少の頃、ガキ大将だったとの事。その性格が大人になっても残ってて、多くの方に迷惑をかけてた事がわかった。多分、葬儀にも参列された方がどれだけいたかは、私は知らない。彼のそのような面がマイナスに出て、参列者も多くはなかったのではないかと思う。(コロナの自粛もあって)わたしは、この先輩の死から権力をいつまでも振り回す事の恐ろしさ、悲しさ、淋しさを学ばせていただいたと感じた。ありがとうございました。先輩、色々あったでしょうが、安らかにお眠り下さい。  合掌

*** 2020.4.5 桜 日本の花と言えば何といっても桜。桜は春の訪れを告げる花。希望を与えてくれる花。心を和ませてくれる花。私は、遠くまで桜を見に行かずとも私のいるすぐ近くでも十分、桜の花を満喫できる。というのは、私の住むところは、新吉野公園といい、篠栗町の桜の名所でもある。自慢は、本堂の横の桜でほれぼれする。そこをはじめ、前に進んでゆき当山の境内に植えられてる桜の数々。その向こうには八木山峠の山にあちらこちらに咲いてる桜。その光景を見るとコロナの事などそっちのけでその見事な花弁に吸い込まれてゆく気がする。ひと時の贅沢と思う。ほかの事は考えずに唯、只管桜を楽しむ時間。思うとなんとありがたい事だろう。仏さまが与えてくれたものと思えば、その思いの果てしなさに唯、手を合わすのみである。この私の思いが、即、この世に仏の浄土がある事の証明とも思えた。弘法大師の説かれる”密厳国土、密厳浄土”を感じさせてもらってる有り難い一日の短い時間でもある。 合掌

*** 2020.3.28 祈願 今、ネットやテレビでもコロナの話題ばかり。当山もコロナ撲滅の祈願を護摩を修法してさせて頂いた。その後も毎日、勤行の中で祈願させて頂いてる。早く終息する事が先決である。祈願の読経が進むにつれ今まで積み重ねてきた身と口と心の三つの行い(三業)による結果がこのような事態になったのではないか。と感じるようになった。それは世界中の人々が考えないといけない事である。さらには自分(私)にも当てはまる事ではないかとも思えるようになった。人もそうであるが、己はどうなのかである。自己を見つめると自慢できる箇所などない。非常識な点多くある。小学生からの出発だとも思う次第。読経、真言を唱えてるうちにそのような点が脳裏を過ぎる。恥ずかし次第である。妙な事ではあるが、コロナ撲滅の祈願が、己の内面に来るとはとの思いである。これも修行かとも思う。とにかく早く新型コロナは終結してほしい。そのためにも私達一人一人が忍耐する事も必要と感じた。 合掌

*** 2020,3.21 両親 今日は彼岸の5日目。高野山では、お大師さまのご入定の日。御衣替えの儀式が執り行われてる。彼岸は、ご先祖様を忍び、感謝する週間。ご先祖様でもいろんな方がおられる。遠いのが先祖様ではなく近い先祖様もおられる。それは自分の両親である。その両親に感謝してるのかとよく自問自答している。なかなか思うようにはゆかないものである。両親との確執のある家庭が多いようにも感じる。そのような中、先日ネットを見てると芸能人の青木さやかさんの両親との事が書かれていた。彼女は、両親との関係が良くなく、大分苦労が多かったようである。彼女の父親が寝付いていて見舞いに行き、話の中で父親に暴言を吐いた事が悔やまれていた。いつか父親に謝罪をと思ってた矢先、父親は他界してしまった。その思いから母親に対しても確執があり、その母親に対しての思いをクリアする事を課題として悪戦苦闘したそうである。その甲斐があり、母親に対して優しい言葉をかけられるようになったそうでらる。私は、この投稿をみて嬉しくなった。彼女が身近な先祖であり、自分の命のみなもとでらる母親との距離がなくなってきた事は、彼女の未来も明るいと感じた。今日は彼岸の5日目、読者の方々ももう一度、自分の両親に対して思いを馳せてみられてはどうでしょうか。   合掌

*** 2020.3.17 9年前 2011年3月11日 かって我々日本人が経験した事がない事態が発生。東日本大震災。何の罪もない多くのかけがえのない命が瞬く間に消えたかと思うと恐怖と悲しさと怒りがこみあげてくる。今だ、遺体が発見されてない方々がおられる事を耳にすると何ともやるせない思いである。このような災害は二度と起こってはならないと願う。まだ、その後遺症で苦しみ、悩み、悲しんでる方々に何もできてない自分に腹が立ってもくる。今日は、彼岸の入り多くのご先祖様が、私たちのそばへ来られる時期。しっかりと今ある自分を見つめる時。これからの人生、悔いのないように送るにはどうしたらいいかを考える時、自分たちのご先祖様でもさかのぼれば私たちのルーツは同じ地点とも最近、考えるようになった。東日本の震災犠牲者の中にも私たちのご先祖様がおられるとも考える。その方々のご冥福もこの彼岸(3.17~23)までしっかり供養の読経を務めさせて頂きたいと思う私です。 合掌

*** 2020.3.8 通夜 去る5日夕方朝倉まで通夜に行き、帰っての夕方のお施餓鬼。いつもは夕方6じ半から7時の間に行っているが、今日は通夜があったので少し遅れてやらせて頂いた。今は、新型肺炎が流行しており、片時も目が離せない状態。そのような中、事故にも遭わず、新型肺炎にもかからず、こうして無事に帰ってこれたのもご本尊様のお陰、ご先祖様のお陰といつも言い聞かせている言葉が、素直な心で言えた自分に気が付いた。いつもは時間に追われて夕方の片づけ、お勤め、せがきとやってる行動が、今日はいつもと逆。そのようなマニアルに囚われずに素直なこころでできた事は素晴らしい事と感激した。この事が”無”というのかと感じた。いつもこのような心が望ましいのであるがなかなか難しい。そこが修行ではないかとも感じた。日々精進であると思った。 合掌

***  2020.2.26  全世界 昨年暮れから中国で騒がれていた新型肺炎ウイルス。今年1月末ごろより韓国、日本をはじめアメリカなどにその感染が広がり出し、ついに国内でも死者が出る程となり、その広がりが懸念される。マスコミやネットでも色んな対応が言われている。どれが正論なのかが分かりにくい感じである。手洗い、うがい、体温測定、抵抗力、睡眠、食事と対策がうたわれている。私も含め一刻も早く治まって欲しいと思う。世界各国にその影響が広がり、先の見通しが立たない不安がある。そうはいっても前を向いて行くしか方法はないと思われる。人の心の面でも影響は大きいと思う。このような時だからこそ合掌の心がものを言う。今まで日本も戦後の成長期を抜け、平成のはじめ頃から段々と下り坂になり今は底近くなってきた。今まで何でも当たり前と思い、私たちは行動してきた。昔から先祖が築いてきた精神文化をこわしてきた。その結果、今を迎えあたふたとしている。このような状況だからこそもう一度、初心に戻り、”ありがとうございます”の精神の復活につながるように行動してゆく事を願う。私達日本人は、おおらかで、情のある民族と私は思う。今こそ神仏にご先祖様にご無礼を心から懺悔し、しっかり拝む事が大切と思う。

*** 2020.2.25  言葉 お釈迦様の入滅の日2月15日から10目。お釈迦様が最後に自分の弟子たちに説いた教えが”自灯明 法灯明”である。今、この世を去り行く私は、例えたら役目を終えた船である。船は、海を渡り目的地まで人や物を運ぶもの。その船を目的地に着いて、さらに陸の上をひきづってゆくもの。それと同じ私は、今役目を終えようとしてる。そなたたちは、去り行く私を拝むのではなく、今まで私が説いてきた教えを今度は、実生活に生かしてゆく事が大切。もう一つはどんな時でも自分を頼りにできるようにさらに修行を積む事が大切。このような意味の言葉を述べられて入滅されたのであった。今の自分は、どうだろうと自答する。あまりにも情けない次第である。お釈迦様の弟子さん以上に修行に励まねばならないと自嘲する私である。それでも前に進まねばならない。 合掌

*** 2020.2.15 入滅 今日はお釈迦様が、入滅された日である。(新暦)お釈迦様の教えには、日常生活や人生の指針になるものが、結構ある。中でも日常使われる言葉に因縁というものがある。私たちがいるのは、両親がいるからである。父親と母親がいて(因)両者が事を同じにする事(縁)で互いに惹かれあい結婚する。その結果私達が生れたのである。これと同じに日常生活で起こりうる事は全てが因縁でもある。人生は因縁でもある。この事を説かれた仏教の開祖のお釈迦様。”人生は苦の連続”と説かれ,どうしたらそこから抜け出れるのかという事から仏教を説かれた。私たちが、人間に生まれてきたのは、心の修行のためと言われている。(高橋信次先生)因縁という言葉を理解し、勤めてゆく事の意義がある言葉と私は思う。私達一人一人の使命でもあると思った。 合掌

*** 2020.2.6 節分 節分は2月3日に密教系の寺院では盛大に行われる冬のイベント。当山では先月26日に行った。年末から年始にかけどこの寺も大忙し。そして節分祭というイベントがまた、それに輪をかけた忙しさである。当山も今年の節分祭は、何かと今までとは違い大変さを感じた。その忙しかった節分も終わり一段落。今度はその祈祷札の発送が、また一仕事。札を二月三日の本との節分の日に届くようにしなければならない。それもやっと終え、今日は久々のブログである。節分は、冬と春の境目の事。春と言ってもまだ、厳しい寒さが続く。でも、確実にその厳しい寒さの中にも春を感じるものがあると思う。そこに私達は、希望を持ち毎日を生きている。話は変わるが節分祭では、私たちが生れつき持ってる星と今年(2020年七赤金星)との星の力関係のバランスを取り、良い事はさらに良くなるよう、悪い事は、少しでもそのマイナス面が減るようにとの思いで各人のお札を祈願するものである。ここに真言密教の教えが生きている。さらに詳しく見てゆく人間関係、その日、公司のどちらかを優先すべきか、とか日常のあらゆる面に対しての対応などが説かれている。とてもブログでは説明が難しい。色々尋ねたい方がおられましたら当山に電話、メールでお願い致します。又は当山のブログの人生相談のコーナーでも致しております。この機会を利用して皆様方に日本古来の暦の見方などの勉強にもつなげたいと思う私です。 合掌

*** 2020.1.30 動く 昨年、師走より新年明けての息つく間の無いの無い忙しさを今回は余計感じた。大掃除も満足に出来ず、年賀状も書けず、会報の編集と発送、星まつりの準備、新年の護摩の準備などと次々に用事が続いた。その中でこれらの事ができるというのも親に頂いた健康な体があるからと感じた。病気になるとこのような用事はこなせない。まだ、健康であるという事の証。そう思うとありがたいような気がする。動ける事は、親にご先祖様にありがとう。自分の体にもありがとう。仕事にもありがとう。動ける間は動きたい。 合掌

*** 2020.1.23 祈願 今月6日より26日までの21日間、厄除け節分祭のお札の祈願で精進潔斎で祈願させて頂いてる。人にはそれぞれの思いがある事。悩みがある事。人である以上、程度の差こそあれ、悩み、苦しみ、悲しみがあるとつくづく思うこの頃である。たくさんの方の願いを書いたお札を拝ませて頂いてると自分と同じ星の方もおられ、厄年の方もおられる。厄年の星は年を重ねるにつけ皆に平等に回ってくる。そう思うと信者さんの星の供養をしてる私も味方を変えると自分の星も供養し拝んでいると思うようになった。一人の人の祈願は、大勢の人の祈願に繋がり、それは自分自身も拝む事ななるという事である。仏教で説く”自利利他”の教えにもつながると新たな発見があった星まつり祈願でもあった。人とともに歩く事でもある。  合掌

”’2019.12.31 今年 今年は色んな出来事があり、数えきれないくらいです。年末近くなり沖縄首里城の火事、人の救済行でアフガニスタンで30年汗を流した挙句、殺害された中村医師。何かやるせない思いに駆られる私です。それでも時は、そんな私の思いには無関係で過ぎていきます。そして大晦日。日本国民の多くは、元旦の初日の出を拝む計画を立ててる人が多いと思います。それとは裏腹に大晦日の沈む夕日に手を合わせる人はどれだけいるでしょうかとの話をされたある住職の話を思い出しました。どのような事があっても何とか衣食住に困らない程度の暮らしをさせて頂いた事への心からの思いがどれだけあるのかといつもこの時期になると考えさせられます。私も元旦の寺の行事の準備やその他の事に追われ形だけは夕日に合掌してるつもりですが、忙しさにかまけ心からになると反省させられます。一言でいえば”感謝”という言葉と思います。簡単なようで難しい感謝の心。この心に少しでも近づけたらとの思いで来年にかけたいと誓う次第です。一年間、ありがとうございました。 合掌

***2019.11.30 昭和 今日天気予報を見た後、21時のニュースが流れ即、画面に流れた映像は中曽根康弘前総理大臣の訃報であった。彼のうわさは色々耳にした。それは兎も角、戦後の日本を支えてこられた功績は評価されている。剛の考え方と柔うの考え方を併せ持ち色んな政治の問題を解決された人とも言われる。この中庸の考え方は、仏道でも説かれている。お釈迦様が苦行の末辿り着かれた考え方でもある。この考え方が色んな所に要求される事が多いとも思える。今の時代、この考え方が欠けてるように感じられる。欧米のように白か黒も大切、その中間も大切と思う。昭和はこの中庸の考え方であったようにも思える。中曽根さんの遷化はそのような考え方がなくなったような気がする。淋しい心境である。また、ひとつ昭和が消えた。 合掌

***2019.11.21 逆転人生 2日前 NHKで”逆転人生”という番組があってたので用をしながら見た。以前この内容は、別のチャンネルで目にしたものであった。主人公は、元暴走族のリーダーで仲間とつるんで深夜の町を爆音をならし走ったり、しまいには覚せい剤中毒になり、警察に逮捕。刑務所送りになった。投獄中同じ薬で送られてきた人間の姿を目の当たりにして彼は、とんでもない過ちを犯してしまった自分の愚かな行為をつくづく恥じた。そこでもう一度、まっとうな人生をと考え、元の仲間に働きかけ、町のボランティアを思い立った。仲間は当初は、マジですかと信じられない表情だったのが、だんだんと日を追うごとに彼になびき協力的になり、今では町の住民から認められ、頼りにされてる存在にまでなった。彼の育った環境は、父親が母親に暴力を奮っていて彼の幼少期は大変、みじめな思いをしたとの事。そのような中で彼は、悪の道をひた走った人生であった。ところが彼が22歳で刑務所に入り、刑期を終え、復帰してから彼は、以前とは人間が入れ替わったようになり、今では不登校の子を預かり、根気よく対応し、一人前の大人にしているとの事。私は、この番組に大変感動を覚え、今の自分に恥じた。坊さんがやらないかん事を一般人がやっている。頭で考える事より心で考え動く事の意義を覚えた。彼が立ち上げたこの団体の更なる飛躍を祈るわたしであった。 合掌

*** 2019.11.16 認める 最近、ふとした事から小学校の頃を思い出す事がある。私が小3の頃、クラスで担任の先生が音楽の時間に好きな歌を歌ってと言われた事があった。私の番になり当時流行っていた”姿三四郎”の歌を歌った。すると普段、厳しく、口やかましい担任(女性教諭)が”加藤君、うまかったよ よく歌詞を間違わんで歌えたね。先生はびっくりしたよ”との言葉が思い出された。当時、私はあまり先生からよく思われてなかった。言う事は聞かない。人と争いごとはするような生徒だったから仕方がないと思っている。そのような私を先生がほめてくれた事は嬉しかった。今、思うと私の良いところを認めてくれてたなと思い涙が出る。その事を忘れ、その先生は、厳しく、うるさく、人情味の無い人間だとずっと思ってた。でも、ひとつだけは良いところがあった。それは私を認め、ほめてくれた事。そのことから囚人であったが詩人でもあった島 明人さんのことも思い出した。彼は、盗みをして盗みに入った家の人が大声で叫んだので咄嗟にその人を殺め、その罪で投獄されついに恩赦を待たず死刑になったのであった。彼が、詩を書くようになったのは小学5年の時の詩を先生がほめてくれた事が始まりだったとの事。彼はその先生がとても好きであった。自分を認めてくれたからであった。愛染明王様は厳しいようでもあり、悲しげな表情にも見える。それは愛というものを私たちに説いてある姿であろう。わたしを先生が認めてくれたように今度は、私が、信者さんいや、参拝者、いや縁ある方々を認めてやる番ではないかとも思う。小学3年時の担任の先生、私を認めてくれてありがとうございました。あなたのお陰で私は、どんな歌でも歌えます。歌に国境、年齢はないと思います。私は歌は楽しいと思っております。先生今、生きてあったら93歳。私を認めてくれた事今でも嬉しい。本当にありがとうございました。 合掌

***2019.11.15 響き 今日甘木のホールで我が宗の檀信徒研修会があった。阿字観瞑想、紙芝居布教、講演、御詠歌などのイベントが行われ盛大に終わった。最後に青年層の唱える御詠歌で締めくくられた。彼らの声を聴いてると澄んでて心洗われる感じを覚えた。いつまでもそのような美しい声で読経や御詠歌を唱えて欲しいとの私の思いであった。かくいう私もそのような時があった事を思い出す。その澄んだ声が神仏の世界に響き、神仏を動かすのではないかとも思えた。その声は日常の些細なあくせくとした思いをひと時でもいいから忘れさせてくれてるようにも感じられた。そのような澄んだ声と心を手本に精進をと感じさせていただいた。ありがとうございました。そのプラスの心が人生を大きく変える力を持ってる事も感じさせていただいた気分である。 合掌

*** 2019.11.7 伝える 昨日本堂でわにぐちと鐘が鳴るので行ってみると知り合いのお寺さんの篠栗巡拝であった。毎年ながら気迫の籠ったお経を住職はじめ参拝の信者さんがたでとなえられるのでこちらも身が引き締まる思いである。参拝者があるとその方々の顔はもちろん姿全体を見る事にしている。顔は頭の部分。一番下は足である。つまり足元である。悲しい事に参拝されるのはいいにしても本堂の土間の敷居にあたる戸のレールの上を踏んでる方が何人もおられた。私は、時々、幼少の頃の祖母の言葉が脳裏を過ぎる”あんたな玄関の敷居ば足で踏んで入ったろう。敷居ば踏むとは、あんたが父ちゃんの頭ば踏んでいくとと同じばい”との言葉。その団体を見てて祖母の言葉を思い出した。最近は、昔のように礼儀や所作をやかましく言わなくなった。うるさくない反面、これでいいのか。将来の事を思うと取り返しのできない事になるのではとの不安も私は感じる。そのような事はしっかり次世代に伝えてゆかねばならないと思った。かくいう自分は己の常識のなさを痛感させられてる身でもある。己も共に学んでゆく心で精進とも思った。”人のふり見て我がふり直せ”その方々より自分がもっと下であると思って一層の精進を。現役寿命をしっかりおくらねば  合掌

***2019.10,31 大祭 今月最後の日曜27日に恒例の柴灯大護摩を厳修。心配された天気も何とか回復し、晴天に恵まれパワー全開で修法させて頂いた。今年で当山の人間で行うのは3回目。準備や所作についての研鑽に一層熱が入った。自分たちでやらないといけないとの意識が高まってきたように感じた。過去はずーと当山の弟子さんとその信者の方々の力沿い行ってたが、2016年を最後にその弟子さんが高齢と病の退かれた。人に頼り過ぎでは覚えない。全ての面での自己改革が必要とされてるように感じた。いよいよ本番 本堂前から道場まで法螺を吹き、懺悔の御文を唱えながら道場へ。道場内で気迫のこもった所作を行い、護摩へ入った。今回は今までとは違い火の上りが早く、煙を濛々と上げながら炎が真っすぐに上がり、その後は右回りに上がって行った。不動明王の到来を感じながら所作を続けた。いよいよ護摩も終盤に差し掛かり、参拝者の持ち物のお加持が始まる。天に向かい燃え上がる炎で清められる信者さん方の持ち物が神々しくも見えた。しっかりお加護をと唯、祈る私であった。それから燃えた護摩木をならして火渡りである。今年は昨年よりも参拝者が多かったように感じた。何度か火渡りの床をならし、参拝者が色んなマイナスを護摩の火で焼き、プラスの力を頂いて行かれた気がした。そこが護摩の力でもある。それともう一つ火渡りで私たちの体の健康状態を知る事もできるのを参拝者に説明もした。あしの裏には私たちの体の色んな機関のツボがあり、そこを刺激する事で内部の澱みを改善できるのである。火渡りのあとの参拝者の表情は晴れ晴れとしていてその表情を見た私の心もほっとして準備の疲れも癒された気がした。ありがとうございました。 合掌

*** 2020.1.15 お供え 毎月一日、15日。当山は、神様のお花、お供え物の日である。暮れの15日より今日まであっという間である。大掃除、寺の新年の会報の編集と発送、新年の札の発送、その他色々と細々した事柄に振り回され、俗のクリスマスやその他の事に向き合う暇もない。そして迎えた新年。今度は節分星まつりの用意、札書きとその札の祈願。ようやく少しの合間ができ、年賀状の代わりの寒中見舞い書き、新年の祈願申し込み者にお礼状書きと事に追い回されてる次第。今日、やっと独り言を書いてる次第である。そのようなさ中、当山鎮守の山の神様、台所の荒神様、他の2~3のお神様に柴、榊、塩、酒と野菜、洗米を備えなんとか終わった。なかなかしんどい作業と思いながらも一つ一つの作業が終わるごとに気持ちが落ち着いてゆく。お供えが終了するとやれやれと思うと同時に清々しく、気持ちがいいのを覚える。これもご利益かとも思える。物事大変でしんどい事もある反面、楽しくうれしい事もある事を改めて感じさせていただいた。ありがとうございます。 合掌

***2019.10.19 災害 1週間前又、台風の到来により中部、関東、東北地方が台風19号の洗礼を受けた。この台風は今まで日本に来た台風とは桁が違い多くの犠牲者を出し、まだ行方不明者がいるとの事。今年は猪年、台風の発生が多く、尋常ではない。猪年は何かと思ってはない出来事が起きやすい。弘法大師が京都へおられた頃、世も今同様乱れて、疫病がはやり、多くの命が失われた。”人心乱れる時は、鬼人暴れる”と仰られている。鬼人とは、鬼の心をもった人。人は、仏にもなるし鬼にもなる性格を持っている。心にマイナスが多いと心の中は、魔が支配し、尋常でない行為が起きる。その心が鬼人である。私たちの心は、目には見えないがこの自然、宇宙に繋がってると説かれる。私たちの心が、マイナスが多いと自然も怒り、地震、水害、事故などの現象が起きる。その事が世を乱し、多くの人が混迷する事にもなる。我々一人一人が神仏やご先祖様に感謝の誠を捧げる事が今、必要とされてると思う。その事に気づかないと我々の未来はないとも思える。今回の台風19号は今までにはない多くの被害を与えた。早く被災地が復興する事を祈る日々である。犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。来世も人として生まれ苦しみの底にある方の支えになっていただくのを願います。 合掌

***2019.10.7 昭和 昨日金田正一さんが86歳で遷化された事を知り、淋しく感じた。私は野球の事は他に比べ得意な方ではない。そのような事はさておき、彼の母親との思いでの中の言葉がいつも頭にある。というのは彼が母親に言われた言葉”常に正直に物事を見つめなさい”との事を彼はいつも胸に野球界でも彼が審判を務めた時でも公平に正直にを頭から離さなかったとの事。そのような彼の生きざまが野球界でも伝説になったのではないかと私は思った。そのような方が、また、一人亡くなられた事は淋しく、残念でならない。”また一つ昭和が消えていった”との言葉をメールで見た。私の昭和の思いでに残る方々、大鵬関、力道山、植木等、渥美清、藤田まこと、平尾昌晃、美空ひばり、数々の方がいる。”諸行無常”と仏教では説く。体はいつか朽ちてなくなる。反対に精神はいつまでも生き続けると経典では説かれてる。多くの芸能界の方々が残された業績は尽きる事なく私達ち日本人の心に永久に生き続ける。金田監督の事もそうであると思う。その方たちの心を学び、良い人生にしたいと思う私である。 合掌

*** 2019.9.26 さめ 今日は秋の彼岸のさめ(フィナーレ)この間、春の彼岸といい、今年の計画を色々と立てていたかと思うとそれもつかの間、もう秋の彼岸が終わり。まさにあっという間である。彼岸は、迷い苦しみ悩みの多いこの岸からそれらのない安らぎの岸に渡る事と説かれている。それには6つの事柄が大切と説かれている。仏前に供える線香、灯明、お花、お茶、ご飯、それにお参りの時、手に塗る塗香である。それぞれ精進、知恵、忍耐、布施、禅定と持戒(決まりを守る)という意味がある。この意味を理解し、努力してゆけばこの世の浄土へ行けるとの事。この事を理解し、実践してゆくとこに彼岸の意味がある。その姿をご先祖様が見て成仏の道を歩まれるのである。 合掌

***2019.9.23 中日 今日は彼岸の中日。”暑さ寒さも彼岸まで”といわれるようにこの時期は、しのぎやすい時期でもあります。これは仏教の説く”中道”(ちゅうどう)の教えとも重なる。気候だけではなく私たちの日常生活は、この中道があらゆる所に含まれている。まさに仏の説法と思う。この教えの実践が、私たちをこの世の浄土へと案内してくれるものと私は思う。この事がご先祖様の思いにもつながり、供養にもつながると思える。このような考えの元彼岸の残り3日間を送られる事を願う私である。折角、人としてこの世に生を受けた私達。極楽は死後の世界にあるのではなく、この世が極楽になるように精進してゆきましょう。 合掌

***2019.9.20 彼岸 今日から26日まで秋の彼岸。このところ耳にするのが東京の少女の虐待死と昨日の小学4年の男児殺害のニュース。どちらも悲しすぎると私は感じた。少女は”もうしませんから許して下さい”と頼んでるのに親は、しつけといい、食べ物を与えなかった。その結果、死に至らしめたとの事。あまりにかわいそうで惨い事である。あの純真な表情の少女の写真を見ると胸が痛む。あのような事は絶対にあってはならない。もう一つは小学4年の男児の事もささいな少年の言葉に父親が逆上して死に至らしめた事も残念で悲しくてならない。父親は人生をどう考えてるのかとも思う。彼岸の初日からこのようなニュースが流れる事は彼らのご先祖様はどう思われるかと思うと空しく、悲しく、怖く、情けない思いではないかと私は感じる。この世に人として多くのご先祖様方が私たちに命を与えて下さった事を思うとこの二つの事件は、そのご先祖様の思いを踏みにじるように思えてならない。彼岸の初日でもある。私達一人一人が、いのちについて考え直す機会をこの二つのニュースが与えてくれたとも感じる。しっかりと考えたい。 この幼い少年と少女のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

*** 2019.9.16 彼岸花 ”赤い花なら曼殊沙華・・・”と歌われてる(長崎物語)今朝、境内の清掃をしてると彼岸花が咲き始めていた。もう彼岸かと感じ、残暑の中にも季節の移ろいを感じ、この先の行事の事を考え箒を持つ手を休めた。自然は正直。その時期が来たらその時期らしい花が咲き、時期を過ぎれば花弁が落ち、枯れてゆく。人の心もそのようにありたいと思いながら、箒を持つ手を忙しく動かした。私たちが、この世に生を受けたのは心の修行のため、物事を未練がましく考えるより、新しい事が待っている次の世界にワクワクしながら人生を送るようにしたらもっと楽しく生きられるのではないかと思った。人も自然に学びたい。 合掌

***2019.9.2 96年 1923年9月1日、東京を大地震が襲った日(関東大震災)96年前の話である。とは言え、南海トラフ地震が近いうちに来るとの話もあり、96年前とはいってられない。弘法大師さまの言葉には”人心乱れる時は、鬼人暴れる”との一説が脳裏を過ぎる。人間界と自然界は別個のものではなく、繋がってるものと説かれている。人心が乱れる時は、その思いが鬼人(魔)に通じ、天変地異、異常気象、反社会的な行動や言動などが起き、収集のメドが立たない。そこでそれら魔から守るために読経、写経をする事を説かれた。それらは思いをマイナスからプラスに導き、世を安泰にするからとの事。人は人を平気で裏切る。神仏はわたしたちを裏切るどころか助け、プラス世界へ導いてくれる。そこを信じ常に合掌の精神と行動が、私たちを”密厳浄土”へと導いてくれるのである。皆さん神仏を信じ、手を合わせましょう。 合掌

*** 2019.8.23 処暑 今日は暦の上では処暑とよばれ今まで扱ったのが少しづつ和らぐとの意。今年の夏もとにかく暑かった。盆までの早朝の蒸し暑かったのを思うとホッとする思いである。夏も終わりつつあるかと思うと少し寂しくも感じる。毎年ではあるが、この猛暑の炎天下の中、選抜高校野球が行われ全国から選び抜かれた球児達の大会がある。はな勝ちはくそ負けとよく親父が言ってた言葉を思い出す。初回から勝ったチームは後半になると勢いがそがれ、やがて姿を消すという悲しい結末になる事でよく、高校野球にも出てくる場面でもある。反対に初回は中々得点できづ後半になり追い上げやかて逆転して勝ちを収める事も多くある。高校野球はそれだけに留まらず、人生にも通じるものがあると思う。いろんな駆け引き、相手の心理を読み、自分にどうそれを有利にもってゆくか。気の落ち込みをどうプラスに持ってゆくか。色んな面で人生を勉強できるとも思える。野球をした方は、社会人になってもその経験を生かし、人に信頼され、多くの人という財産に恵まれる可能性を持ってると思う。是非、そのようになり、人の支えとなって欲しい。いい人生を送って欲しいと願う私である。昨日、熱戦が繰り広げられた甲子園の夏の高校野球も幕を閉じた。と同時に夏が終わったという感じがした。こうやって時が過ぎ、一年が過ぎてゆくのだと改めて感じた。私も球児に感心せづ自分の現役寿命をしっかりと生きないかんなと思いをはせる 合掌

*** 2019.8.18 盆 当山の盆も16日で終わった。16日は一年で一回地獄の釜の蓋が開く日と言われている。だからこの日は、亡くなった御霊で供養の行き届かない霊にたくさんの供物を 捧げ、多くの僧侶に読経してもらう事でマンダラ浄土へと旅立つのである。(せがき供養)この事は亡者にとっても大変ありがたい事であり、私達生きてる者も功徳を積む事につながるので心穏やかになれる。亡くなった御霊の喜び、生きてる私達も喜び、互いが良い思いをする事が仏教の教えでもあり、弘法大師の説かれる”密権国土”の教えにもつながると私は思う。当山で16日本堂内で法要とせがい作法を行い、その後、各参列者に自分の先祖の戒名を記した塔婆を当山の滝場でローソクの日で以って供養が行われた。滝場には盆供養の申し込みをして頂いた檀信徒の戒名を記した灯篭を飾り、当山の夏の風物詩であった。その日が美しく、マンダラ浄土を思わせるようでまさにその世界そのものであったように感じた。その光景が私の盆の疲れをいやしてくれてる感じもした。 ご先祖様方ありがとうございました。 合掌

***2019.8.6 深夜ラジオ 昨日から台風接近の情報を聞くため災害時に備え用意をしているラジオを枕元に置いて休んだ。天気予報を聞いた後、ラジオ深夜便の番組案内で3時から心の歌、日本の歌のコーナーで寅さんこと渥美 清さんの歌とあった。聞きたいけどその時間は寝てるので無理だと思った。明け方雨の降る音と寝る時、扇風機をかけ、窓も開けて寝てるせいかこのところ明け方3時40分ごろに目を覚ますことがある。今朝もその時間目が覚め、台風情報が気になるのでラジオをつけた。タイミングよく渥美清さんの歌のコーナーであった。歌の題名は”祭りの後”、”浅草日記”、童謡の夕焼け小焼けのアドリブ入りの3曲。最初の”祭りの後”の内容は、祭りは楽しくて最高でこの世の嫌なことを忘れさせる。その祭りが終わった後は、淋しく、切ない。ともに楽しんで踊った多くの仲間との別れを惜しみ、その一人一人に再開を楽しみに語り掛ける といった内容。寅さんでよくマドンナ役に寅さんが別れ際に言うセリフが思い出される。渥美さんの人柄、今の日本人が忘れた人の情が感じられ、心に響くものがあった。それは今の私にもあてはまるものだとも感じた。”浅草日記”は、うずくまれば人に叩かれ踏みつけられる。上に上がれば叩かれる。そんな中を何とか生きてゆけよと見届けている観音様。観音様に備える線香の煙 何度も何度も手で仰ぎ、五体を清めてた母親。そんなあなたが懐かしく、愛しい という内容。私は観音様という言葉に引かれた。優しい顔で助けてくれるだけではない。答えは出してくれないが、じっと見守ってくれるのも観音様。その人がやる気を出し一歩を見守ってる方でもある。答えを出して進むのは自分であるという事を言ってるとも感じた。最後の夕焼け小焼けは、彼と長峰何某という少女と二人での歌、何かほのぼのとした感じを与えてくれるのを感じた。以上の曲から彼が歌うというより語り掛けるような感じがした。今の私が忘れてる事かもしれないとも感じた。渥美清さんは懐かしい人。彼に会ってみたい。 合掌

***2019.7.28 祈願祭 今日は第4日曜で当山は祈願祭なのだが、今月に限り第3日曜が祈願祭。今月は特別で夏祈祷瓜封じが祈願祭と合わさった形である。当日は台風接近の時折、大雨の降る中をわざわざ参拝に来られた方方もおられ、大変ありがたかった。祈願護摩の火は、迫力満点でまさにご本尊様の力をありあえいと感じた。市bン神仏は、常に私たちの隣におられる事を実感させてもらった護摩であった。祈願申し込みの方の諸魔退散、健康を心よりお祈り申し上げたい心であった。 合掌

*** 2019.7.24  久しぶり ちょうど美空ひばりさんの命日より1ヶ月目のブログである。何かしらこのところブログを書く余裕がなかったような気がしてならない。先月の修行体験で気持ちのいい方がおられたのが印象に残っている。接客の仕事をされてる方でとにかく人と会うのが好きでその人の笑顔が見れるのが好きとおっしゃってた事が大変、印象に残った。まさに仏様の境地を行ってあるようですばらしい方であった。年は若いが将来性のある方と感じ、今からのリーダーになってほしいと願う私であった。 合掌

*** 2019.6.24 川 今日は、戦後日本の歌謡界に新たな影響を与えた 歌手の美空ひばりさんの命日。私は、幼少の頃、彼女の写真を見て綺麗な女性だと思った。歌も数多くのヒット曲を歌い一躍有名になった。あの丘超えて、港町13番地、東京キット等、湿っぽいのは、悲しい酒、心に残り、深い意味があるのは、川の流れのようにといったもの。この”川の流れのように”は、仏教の教えと関係してるように私には感じられる。”般若心経”で説かれる”色即是空 空即是色”の箇所がそうであると思う。私たちは、今が大切。でも、その事ばかりにとらわれているばかり。肉体が全てとの考えしかない。人は、どんな偉大な方でも平凡な方でもいづれお迎えが来る。次の世界に旅立つ時、持ってゆけるもの何一つない。肉体はいづれ火葬され骨になり、いつかはこの大地に土として仲間入り。何も残るものはない。何かしら空しく、切なく感じられる。それとは別に一つだけ残るものがある。それは私たちのハートつまり、心である。心は、肉眼では見えないが実在するのである。今、私たちが心で思う事が将来の私たちの姿、今の私たちの姿が生まれてから今までのやってきた結果。だから大切なのは”今” この今をどれだけ大切に生きてゆくかが私たちの人生を大きく決めるポイントでもある。こう思うと過去の様々なマイナスも小さくなり思い出になってゆく。この歌の川のながれのように。水は三尺流れたら清くなると古代インドではいわれたとの事。水は私たちのプラスもマイナスも見てるとの事。出来たらプラスの思いをもって事に当たりたい。私の現役寿命もあと残りわずか。その間、今までの事柄をしっかり清算する事を目標にしたい。次の世界にすんなり旅立てるように 美空ひばりさんの歌を口ずさみながら。あなたのご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

*** 2019.5.28 ご開帳 今日は不動明王の縁日。平成31年4月28日より新しく礼和元年5月28日まで当山護摩堂に安置されてる倶利伽羅不動と八大龍王の御開帳を行った。去る26日の月例祈願祭は明王祭りとして行った。護摩の燃え上がる炎の中に観音様、八代竜王、不動明王などが感得されたようであり、参詣者もその御加護を改めて感じられた方もおられた。まさに真言密教の醍醐味がそこには詰まってるようにも感じられ感無量であった。

*** 2017.5.22 3年 久々にブログを書く。今月は何かしら法務の都合でブログまで手が届かなかった。去る今月の3日に私の先輩の寺院の名誉住職が92歳で遷化された。長崎県で生まれ、この福岡に来て炭鉱で働き、旧国鉄で働き、43歳で僧侶になり、本堂建立。庫裡新築、その他境内整備に尽力され、多くの檀家さんを作り、皆に親しまれ、愛されたかたのようであった。最近、昭和一桁の方の遷化が多い。時代の流れか。そういう私もいい年になり、棺桶が近いと坊守に言われる年齢となった。その住職の通夜式に参列させて頂いた。その住職の人柄をしっかり感じさせて頂いた。私は、自分が恥ずかしかった。”あんた、気がついたらいい年。その割には昔と大してかわってませんなぁ。何してきましたんねん”と言われてる気がしてならなかった。その住職の名言”3日馬鹿3年光明射す”との言葉が脳裏に焼き付いている。周3日目標に向かいまっしぐら。この事を3年続けてしたら必ずや何かの結果が出る。というふうに私は、解釈した。この住職の人生経験から出た言葉と感じた。私も残された人生現役寿命5年。その間にこのような名言が残せたらとも思い、精進の日々である。 住職様92年間お疲れ様でした。私に名言を示して頂きありがとうございます。力を下さいましてありがとうございました。 合掌

*** 2019.4.30 今日 今日は私の記念日5歳になった(還暦が60歳で0歳で65歳)信じられない感じでもある。そして平成が今日で終わり、明日から新年号の令和である。今日夕方お神様の柴の花を変えてると坊守が、私をテレビの前にくるように呼んだ。平成天皇の最後の言葉が述べられてるからであった。天皇のお言葉は、世界が平和である事、そして国民に感謝の言葉を述べられた事であった。こちらが天皇陛下に述べる言葉ではないかとも思え、申し訳ない気がした。この平成という時代は、いろんな意味で激動の時代であったと言われる。中でも自然災害の発生が多かったとも思え、特に東日本震災、阪神淡路大震災がまだ記憶に残っている。その被災地に天皇皇后両陛下が足を運ばれ、被災者に声をかけられた光景が私には忘れられない。被災者はどれほど励まされ勇気をもらったろう。両陛下は徳を積まれた方とも思い、私は嬉しく思う。昭和天皇も日本が敗戦しアメリカの占領下にあった時分、アメリカのマッカーサー元帥に直談判され、時分の命より日本国民が飢えてるから食料を配給してほしいとの内容であった事を元帥の心を動かし、日本国民に食料が配布され飢えを凌ぐ事ができたとの事も私は、ある同業者から耳にした。このような素晴らしい方々が日本の天皇である事は全世界に誇っていいと思う。明日から天皇は126代である。日本歴にすると2679年である。私達日本人はこのことからしっかり日本人としてこの国に生まれた事に感謝して欲しいと思う。それと私達をこの日本に生んで育ててくれた両親にも感謝の念を厚くして欲しいと願う私である。この場を借りて私の親父とお袋にも私を日本に生み、育ててくれた事に改めて”ありがとうございます”と合掌である。 合掌

***2019.4.20 命日 今月16日、私のお袋の命日であった。2004年の今日浄土へ旅立った。思えば忙しくゆっくりなかった人生とも私は思った。私が幼少の頃、寒い冬高熱を出し、その当時は今と違い車がなかった。親父と二人で雪の中、私をおんぶして篠栗の病院まで行ってくれた話をお袋から聞いた事を思い出す。忙しい仕事の合間に昼休みを利用して私と弟のため食事の用意で1時間に1本しかないバスで職場と家を行き来した事も私は覚えている。それと悪そうをして親父から張り倒され外に出され、コソッと台所から入ってくるところをお袋から見られた。その時、お袋の顔から涙が溢れ出て”あんたが性根を入れんからたい”とわたしにきつい言葉を言いつつも私を受け止めてくれた事が記憶に残っている。その時のお袋の表情とガンで体が侵され余命いくばくもないとの知らせを受け病院にかけつけた時、たまたま窓越しにお袋の顔が見えた。その表情は苦しさに耐えられない感じであり、私が親父から怒られた時と同じ表情でもあった。気丈な女性で決して弱音を履く人ではなかった。それだけに私の心の中にはその差がはっきりと写り、お袋の思いがしっかり残っている。いろいろと思い出される事はある。振り返ればお袋にしてもらうばかり、何一つお返しができてない己が情けなく、申し訳なく感じる。私は残された人生の中、その事に対しての答えを出すことも仕事の一つでもあると言い聞かせた4月16日であった。 合掌

***2017.4.18 山伏塚 昨日、家内と不二人で山伏塚に年一度の供養の参拝に行った。2007年4月22日に山伏の供養にと思い塔婆を建立したのが切欠で毎年の寺の恒例になった。私の住む篠栗町郷之原という地区は、古くから英彦山修験道の行者の峯入り行のルートであり、沢山の修験者が訪た場所でもある。修行半ばで惜しくもその命を落とした行者も少なくないとの事。私の祖母が1958年ごろ近所の僧侶等とこの塚を訪れ思いりしてた時、空をみながら突然倒れた事を私も同伴していたのでその光景は、今でも覚えている。彼らの思いがよほど強かったのかもしれない。彼らは道なき道を自分たちで切り開いてこの地に修行の場所を求め峯入りしてた心境を思うと気の遠くなる思いをする。そこまでして彼らを駆り立てたものは何なのか突き詰めたくもなる。それだけ信に対する思いが強かったのかとも思う。その思いもむなしく志半ばで命を絶った彼らの仲間に自分なりに誠を尽くし、供養の誠を捧げたいとの私の思いも神仏にしっかり受け止めてほしいと願う私である。彼らの思いをくみ取り、その志を無にしたくないとの思いがこみ上げてくる私であった。合掌

***2019.4.17 得度式 先月から今月にかけて時の流れの速さを感じた。中でも今年3人当山と御縁ある方が、高野山で得度をしたいと言い出した。ばたばた高野山へゆく準備をし、2ヶ月ぶりに帰山させて頂いた。それも今月2日。この日は私にとり節目の日でもある。1977年のその日、私は小僧として高野山の寺へ入った日である。それから42年後にこのような事になるとは予測もつかなかった。これから私は、この3人をどのように導いてゆかねばならないのか という事に責任を感じた。何とも複雑な心境でもあった。丁度私が小僧として入った寺の住職、私のお師匠さんが当時57歳。その師匠の年令を私は、とうに超えてしまった。今、御師匠さんもおろかその奥さんもいない。まさに”色即是空 空即是色”の意味をつくづく感じた。その新弟子と共に得度の報告でお大師様のおられる奥の院へ向かう途中の冷たい風が身にしみる。私の今までの人生に問いかける冷たさでもあった。その冷たさを感じながら私の現役寿命という事を胸に己をもっと見つめ、奮い立たせる事を思いながら足を進めるうちに奥の院御廟の橋の袂に来ていた。いよいよここから聖域、お大師様が私達をお迎えに来て頂いてる事を新弟子に話し、橋の板をご真言を唱えながら厳粛に御廟へと向かった。お大師様この3人をしっかり見守って下さいとの思いを懐きながら歩く私であった。 南無大師遍照金剛  合掌

***2019.4.8 お釈迦様 今日はお釈迦様の誕生日。ご存知でしたか。お釈迦様は誕生の折り、”天上天下 唯我独尊”と言葉を発せられたそうです。天上天下、自分だけが尊いと解釈され、誤解を生む事もあります。そう解釈するのではなく、自分も他人も同じように尊いという事です。この事は弘法大師様も同様。お大師様は、みな仏心を持ち、この世に誕生している。その心にしっかり磨きをかける事で仏心が輝き、素晴らしい人生が送れると思います。このような思いでお釈迦様の尊像に甘茶を供養し、その徳を噛みしめるのが今日の”花祭り”です。 合掌

***2019.4.7 前夜祭 明日はお釈迦様のバースデー。生きてあれば2502歳。キリストのお祝いはクリスマスと言って超派手にして、なんで仏教の開祖の釈迦牟尼世尊のお祝いはしないのか。この思いを私はずっと抱いていた。そこにある僧侶がお釈迦様のバースデーにはカレーを食べようとのポスターを作っいたのがきっかけで当山でもやったら良いと私が口煮出したのを弟子が聞き、”やりましょう私が材料を調達し、作りましょう”と前向きな言葉をかけてきて早速7日の日曜実施。さて参拝者はと本堂の外へ目をやる。少しづつありだした。早速接待の開始。味の程も上場、参拝者の表情のほころびも見られた。お釈迦様在世のおりのカレーという事もあり、人気が良かった。”また来年もやりましょう”と弟子のやる気満々のに私も同感。カレーの後は、お釈迦様の御身に甘茶をかけいただき、その後、本堂内でお釈迦様にちなんだインド国内の仏跡お砂踏みも行い。参拝者は満足の表情であった。多くの方々とのコミニケーションもとれ有意義な一日でもあった。 合掌

***2019.4.6  祖山 去る2日から3日にかけ祖山(高野山)へ帰山した。高野山で得度をしたいという新弟子を連れて菅長猊下直々の得度式である。丁度その日は私が高野山の寺へ小僧として入った日でもあった。(1977年)まさか42年後このような事になるとは思いもつかなかった。その当時のお師匠さんは57歳。今の私はそのお師匠さんの歳をとうに超えてしまった。新弟子ができた事私にとり、責任が思い。これまでの自分の人生をしっかり問われるとも感じ、あるコンサルタントの方の”現役寿命”という言葉がズシンと私の方にのしかかる気がした。自分の今までの人生を振り返りながら得度式を終え、新弟子とともに弘法大師がご入定された奥の院へと向かった。自分は、物事をどう捉え、どう考え、どう生きるのか。おふくろがよく言ってた”人がいろいろ口やかましく言ってくれるのは30までよ。40になったら自分の顔に責任をもたないかんよ”との言葉が脳裏を過る。日一日をいかに充実させて生きるか。しっかり自分見つめをといかけられた日でもあった。人生の卒業式に”いい人生だった”と思い旅立ちたい 合掌

***2019.4.5 カレー 4月8日はお釈迦様の誕生日。クリスマスは祝うのに何故、仏教の開祖お釈迦さまの誕生日が忘れられてるのはおかしいと前から感じてた矢先、ある僧侶が4月8日はカレーを食べようとのコメントを出していたのを見て当山でもやろうと思い、弟子さんと話し合い決定した。4月7日の午前11時から始める予定。限定50食。どのような味か楽しみである。なんでもお釈迦様在世の折の古代インドカレーとの事。作るのはお弟子さんこの方は、市内の創作料理店に勤務。お釈迦様の徳をしたい古代の味をたのしみませんか。他にお釈迦様にちなんだインド仏跡お砂踏み、甘茶供養、法話(10分)を予定。是非、お越し下さい。 合掌

***2019.3.30 桜 今日は、当山のある郷之原は丁度桜の満開日で見頃である。本堂の横の桜も見頃である。花見など行く必要ない。自分の庭がその恰好な場所で誠にありがたい。やはり去年の4月桜の花の散りがけに”来年も綺麗な花を咲かせみんなを幻想の世界に連れて行き、夢を与えてくれよ”と桜に私が声をかけたからであろうかとも思った。その桜の華麗な花は多くの日本人の心を虜にしたと思う。これも自然のなす技であろうか。私達の心は、自然に通じるものと確証ができると思う。何故なら私達人間も自然の一員であるとの事。美しく華麗な桜の花を見て自然の姿は、私達の心の表れでもあると感じた。是非、来年もこのような花をさかして欲しいと花びらにささやく私である。合掌

***2019.3.23 水、飯 水がないとご飯は食べれない。水は色んな働きがあり、その一つに仏教で説く”布施”つまり施しの意味がある。ご飯は、仏様に供えるのは仏飯といい、ご飯をいただく事で心が落ち着き、冷静な判断が下せるとの事から”禅定”と説かれる。以上6つの事とその意味が彼岸に至る方法である。明日で春の彼岸が終わる。以上の事を多くの方が実行されるならば世の中が極楽になると思う。合掌

*** 2019.3.22 彼岸供物 彼岸のお供えの一つに花がある。花は綺麗だから綺麗な水から育つと思いがち。反対の汚いドロドロとした土から綺麗な花として咲く。人間に例えると現実の本能丸出しの厳しい中から心穏やかで容姿端麗な人として成長するのと同じ。現実の苦しみ、悲しみ、怒りのなかから人として生きてゆくにはそれ相当の忍耐がいる。花は忍耐の意味があり、仏道修行にも重なる。仏前に花を供えるのはこのような意味がある。合掌

***2019.3.21 中日 今日は彼岸の中日。昼と夜の長さがちょうど同じになりこれから段々と日が長くなってゆく。中日の今日お墓参りにゆかれた方も多いと思う。お墓に参る時、まずは線香と灯明に火を灯す。線香は火をつけると最後まで燃え尽きる。この事からどんな事があっても自分の勤めをやり通すとの事から精進(努力)する意と仏教では説く。灯明は灯す事で周りが明るくなり、ものの存在がはっきり分かり、安心が生まれる。この事から智慧の意と説かれる。智慧は知識の事ではなく生活の中から生まれるものでものの見方、考え方にも通じるものである。(続く)

***2019.3.18 彼岸 今日から春の彼岸。待ちに待った春の到来でもある。世間の方は彼岸とは何ぞやと思いながら仕事に追い回され、彼岸が終わってしまうというものと私には思える。仏教では、迷い、苦しみ、悲しみの多いこの娑婆からそれらのない安らぎの世界に渡る事と説かれる。そのため、仏壇に線香、灯明、お花、お茶、ご飯、塗香をお供えすると真言宗では説く。この事は六種供養とも呼ばれそれぞれに意味がある。そのなかの一つに塗香(づこう)があり、手に香りのいい香を塗る事がある。香の香りは身を清め、次に心をも清める働きがあり、仏様を拝む前に行う大切な作法でもある。悟りの境地の入り口の意味でもある。(続く)合掌

*** 2019.3.8 一生 昨日町内のあるお寺の坊守さんの通夜があり、今日はその葬儀が執り行われた。祭壇に飾られてる生前の写真は、その人柄が表れてるように感じられた。若い自分苦労して、住職と二人寺を起こし、今日の基礎を作り上げた人でもあり、その力に圧倒された。葬儀のお経にも心が込められてるのが感じられ、頭が下がる思いであった。孫代表の弔辞を聞いてると”いつも笑顔で元気で接してくれたおばあちゃん”との文から愛情という言葉が脳裏をかすめた。その坊守さんはみんなに愛情を注いであったからこのような素晴らしい葬儀をしていただいたのだなと私は感じた。愛情とは何だろうと自分自身に問いかける私。坊守さんがベットに横になってるそばで手を握ってる住職の姿の事も孫さんの弔辞の中にあった。この言葉から私は自分自身の心の中を垣間見る。もうひとりの私が、”お前は愛情とはどんなものか分かってるのか。自分の親に対しての行動、考え方を内観しろ”と言ってる気がしてならなかった。私の残された現役寿命しっかりと己の心と向き合い、精進せねばと自分を奮い立たせた。このような人生にしたちとの思いをいだきながら 合掌

***2019.3.2 3月春 昨日より弥生3月。いよいよ寒い冬から温かい春への時期。何かと一層気ぜわしくなる時期でもある。幼少の頃は楽しいばかり 大人になると楽しいばかりは言って折れない。その気ぜわしく忙しい中にも春の訪れを目にし、ほんの少し幼少を思い出す。”桃の花咲いて 別れの春だ 花かげにみんな 寄り集まって名残惜しむ思いで新た 別れゆく友よ さらばよさらば”小学6年の音楽の授業で歌った記憶がある。たわいのない思いでといえばそれで済む。確かに別れは辛く、寂しい。特に好きな人との別れは生木を割かれるような思いでもある。高校の2年の時、やっと親しくなりかけた人間と3年時はクラスが代わりその後、疎遠になっていった事(私の出身高校は男子のみ)同じ高校時代のクラスメートと大学でも一緒の科で、彼とも親しくなりかけた卒業を控えたある日(1977年)、彼が事故で帰らぬ人となった思い出もある。この年私は高野山へ登った。時折、その彼の事が修行中も脳裏を過り、なにか寂しく、辛かった事を思い出す。彼の母親の顔も脳裏から離れなかった。この事から最近は、あとからこうしとけばよかったと思うなら、その人とあった時からその人と真剣に付き合いをする事の意義を教えられてる気がした。町内のある寺の住職が”出会いを大切に”と説いてある事をしっかりと噛み締めていかねばならないと思う。私の現役寿命は一桁台。重い腰を上げ、ラストスパートに専念と言い聞かせ早朝に起き、精進を重ねる日々である。合掌

***2019.2.26 冬枯れ 今日の夕方、滝の水の点検でふと寺の前の山の景色が目に入った。冬枯れの光景が目につく。昨年晩秋から暮にかけて切られた草が見事に枯れているのが目についた。その光景の中にもすぐそこまで来てる春に誘いをかけるかのように梅の花が冬枯れのなかにその美しい姿を表している。来月から3月春をまってたかのように多くのいのちの誕生がくる。晩秋の紅葉は美しく名残惜しい。冷たく、厳しい冬は遠慮願いたいと思うのは、人間の勝手な思い。その冬がやがてやってくる春のはなにを育てる肥やしでもある。春を代表する華麗な花びらで多くの日本人に愛されてる桜も冬の厳しい試練を乗り越えそのような花を咲かせる。そのような自然からでも人生を教えられてる気がしてならない。私の現役寿命もあと数年 1分1秒を命がけで生きるようにと言い聞かせる私である。”丈尚さー、きばりやんせ” もうひとりの私が発破を開けている。

*** 2019.2.20 涙 昨日、糸島市のある寺院住職の葬儀に参列させて頂いた。生前、この寺の住職と親友であった方の弔辞を聞いてるうちに目頭が潤んできた。戦後物資のない時代に同じ釜の飯を食った仲間の思いが感じられ、私の親父やお師匠さんの事も重なりその色んな事が思い出され懐かしくもあり、自分には体験もない寂しさ、羨ましさもあり涙がでたとも思った。私は高野山開創1200年(2015年)本山の要請で高野山へ出仕した。伽藍に担当の折、音楽法要がありその中で高野山大学130年記念で校歌(白雲もゆる八葉の 峰に常磐の花開く)が流れ何気なく聞いてるうちにさきほどのような私の心のうちの思いがこみ上げてきて泣いたのを思い出す。今日、感じた事は幼少の頃から私は親父に怒られた時、泣いてると”泣くな 貴様男だろう 何だその泣き方は”と言われた事を思い出す。だから、私はいつでも泣きたいのを我慢して生きてきたと思う。泣いたら恥だ、相手に弱みを見せる事になるとの思いもあった。おふくろが死んだ時もあまり、悲しげな表情をしなかった。信じられないような思いで他人事のようにも感じられた。反面、心の奥深くに幼少の頃親父に言われた言葉が深く残ってたとも思った。2017年その親父も旅立った。私の心の中では親父にもう少し甘えたかったとの思いがあった事。このような思いが重なり、長く我慢してた事の思いが鳴くことの原因ではないかとも思った。僧侶の道に入り明日で丸42年を迎える。御師匠さんも私の親父とほぼ同世代。見た目は温厚そうに見えるが、中身は海軍の特攻隊(私の親父も同じ海軍特攻隊)あの太平洋戦争修羅場をくぐってきたのかと思うと頭が下がる。そのお師匠さんは出家した私には何も教えてくれなかった。ただ、口癖のように”おい、加藤、おまい坊さんは拝まなあかんで”との言葉だけであった。そういう方ではあったが弟子の育て方のうまい人でもあった。私はそのようなお師匠さんにももう少し甘えたかった心があったと思った。ブログを見てる方から”このヤッセンボー”(薩摩言葉で泣きべそ、中途半端の意)と顰蹙を買うこと承知で書いてる次第である。女性は、すぐ所構わずに悲しかったら泣ける。男は泣けない そのしわ寄せでひと目のないところで泣くのかとも思う。昨年の大河ドラマ”せごどん”で西郷ドンが弟が戊辰戦争で死んだ時、男泣きした場面が思い出される。私も一緒に泣いたのを思い出す。ドライな私でもまだ人の血が流れてるのだと感じた。 合掌

*** 2019.2.18 ダークダックス この時期、何故かダーク・ダックスの”素晴らしい明日”の歌を思い出し、顔に似合わず時折、作務ををしながら口ずさんでる私がいる。私は、幼少の頃このコーラスの歌わ聞き、新鮮なイメージを抱いていた。嫌なこと辛いことがあった時、彼らの笑顔とあの声、歌の内容を思うと心癒される気がした。昨年、そのメンバーも高齢を迎えついに消えてしまった事は寂しい。”君には君の明日があり 僕には僕の明日がある 覚えているかい思い出そう 思い出して噛み締めながら 素晴らしい明日に笑顔を向けてゆこう”この歌詞を口ずさむ時、この歌は仏教の教えにも通じると感じた。私達の未来を祝福してるようにも思え、夢を感じる。私は、最近、人は決められた枠の中で苦しい、悲しい、情けないといった感情に終わり楽しい事がないという思いでいるように感じる。私は、楽しい事が好きでその枠を取り省けばもっと広く、自由な世界が広がり楽しく素晴らしいのではないかとも考える。それが弘法大師の真言密教の教えにも通じる気がする。そのような事からこのコーラスの歌はまさに素晴らしい。明日は皆素晴らしい。私達の未来は保証されてるのだとも最近、思うようになった。私達は過去世、現世、来世と肉体は朽ちても精神は朽ちる事なく永久に行き続けると般若心経で説いてある。その事が彼らの歌にも歌われてると感じる。さあ、私も人生のサストスパート 素晴らしい明日を楽しみにして気張りたい。 合掌

*** 2019.2.16 東映 今日本堂であまり普段は口を聞かない次男。たわいもない話をして互いに喜んでる妙な親子?その彼と1984年東映で制作された”空海”の映像を見て色々と話した。北大路欣也さん主演の弘法大師に惚れ惚れする。対する天台宗の開祖最澄上人の加藤剛さんもかっこいい。その動画を見てると懐かしくもあり、お大師さんの言葉が胸にしみ、目頭が潤んでいる私であった。その中で病に苦しんでる人が”もう、生きてても何も望みはない。死んでゆくほうが楽で良い”との言葉に北大路空海が”死んであの世で楽になるより、生きてこの世の極楽を見たいと思わないのか。私達はこの世を極楽にするのが使命だ。生きよそして自分で幸せを掴み取るのだ”との言葉が脳裏を過る。それが真言密教の極意でもあると思う。その言葉から私に残された年月しっかりと精進しないととの思いでゆくのみであると感じた。 合掌

*** 2019.2.14 涅槃 今日はバレンタイン皆チョコレートを楽しみにしてる日。それとは裏腹に仏教徒にとり、今日はその開祖が悟りを開かれ、この世を旅立たれる日で僧侶の間では成道会とか涅槃会といい一晩かけて法要が営まれる日である。お釈迦様の最後の説法の”自灯明 法灯明”は有名である。肉体がくちてこの世を去ろうとする私を拝んでも何の効能もない。今まで私が説いた教えを実行し、己を信じ、支えとするよう生きてゆくのが私の弟子としてのありかたである。という意味の言葉である。この自分を支えとして生きるというところが一番大切な所と思う。自分を信じられないという事こそ情けない事はないと思う。この言葉を書いてる自分ははたしてどうなのかと自問自答が続く。己を高める事しか選択肢がない事に気づく。残り少ない命をどう己と向き合い、己を正してゆくか。自分の弱さに立ち向かってゆくかとの思いが脳裏を過る。ラストスパートしっかり気張りたいとの思いのわたしである。 合掌

*** 2019.2.11 祝日 今日は祝日で建国記念日。日本が誕生して2679年である(紀元前660年+2019年)。この間天皇が在位され現天皇125代との事である。世界中で日本ほど国の歴史の長い国はない。天皇にまつわる話は、色々とあるようで、私はなかでも昭和天皇の存在がこの日本を救ったとも感じている。第二次大戦後の日本は、アメリカの統治下に置かれ物資がなく国民の多くは飢えていた。その時、昭和天皇が自ら進駐軍の本部を訪れマッカーサー元帥に対面を願い談判をされたとの事。元帥は軽い気持ちで口に葉巻をくわえ天皇と対面した。元帥は天皇が己の命乞いのために自分に対面しにきたと思っていたとの事。そこで天皇の口から”日本国民は飢えに苦しんでいる。私の命より飢えに苦しんでる国民に物資の供給をして欲しい。どうかお願い致します”こう言って元帥に深々と頭を下げられたとの事であった。この言葉を聞いて元帥はくわえていた葉巻が床に落ちた事も忘れ、すぐさまアメリカ本土より食料を日本に運搬し、国民に配給したとの事であった。彼の心は、自分の命乞いの事なんかそっちのけで日本の国民の事を主にして元帥直々に直談判してきた天皇の思いにかれは心打たれた。日本にこのような素晴らしい人物(天皇)がいる事は国の誇り。天皇は是非、日本に残すべきだと彼は思った。この事から日本国憲法に”天皇は国民の象徴である”との事が記されたのだと私は思った。この天皇の言葉が、我々日本人はおろかこの日本国を救ったと思う。私達は、全世界の国に決して劣ってると思ってはならない。このような天皇の君臨する国に生まれた事を誇って良い、自慢して良いと思う。この素晴らしい日本に生んでくれ育ててくれた両親に心から御礼をいわないといけない(多くのご先祖様)とつくづく感じたこの日である。 合掌

*** 2019.2.8 水 水は天からもらい水(五木の子守唄)最近、この歌の意味がよく分かるようになった。私達は水のおかげを頂いて毎日を 生まれてきてから今日までおかげを頂いている。水は何の文句もぐちもこぼさず私達を支えている。でも、大雨洪水は水が怒ってると私は感じる。それは水は何も言わないからつい私達は、当たり前と思い感謝を忘れて自分達の都合の良いように生活してるからと思う。だから最近は私達が水にお灸をすえられていると思う。私達が母親の胎内にいるときから今日までずっと私達を色んな面で見守っていてくれてるようにも思う。いくら私達が”人類は万物の霊長”と唱えても人工衛星を打ち上げて宇宙旅行をしても、水にはかなわない。水は私達の一生をしっかり見てると思う。私達の心身がいつも清らかであるようにと心身を清めてくれている。これほど尊いものはない。私達の先祖は、水の神様を大切にしてきた。水に困ると生活ができない。だから色んな供物を供え、その中に人柱をも捧げてきた。それほど水にたいしての思いが強かった。我々は、もっとそこの所を心に止め、行動していかねばならないと思う。先祖様に対し、人柱になった方に対して申し訳がないと思うこの頃である。 合掌

*** 2019.2.3 節分 今日は節分。各地の寺院や神社では盛大に節分祭が執り行われたようである。今年の節分は、例年とは違い大分暖かかったようで参拝者も多かったのではと思われる。冬と春の境目という事から季節を分けるとの事から節分という言葉ができたとの事である。いよいよ明日から立春。新年のはじまりでもある(旧暦)そこで気持ちも新しくしてゆくとの事から豆まきをする。私達の心の奥に平気で侵入してくる魔を滅するのの事が豆まきの始まりとも言われている。魔はいつでも私達の心のすきを狙い、嫉妬をさせ仲違いをさせ、最悪の場合は殺人まで引き起こさせるというとんでもない世界に誘い込むマイナス要因でもあると思う。そうならないためにはニコニコ太陽のように前向きで明るい行動が必要と思う。魔はプラス思考を大変嫌がるそうだから笑顔で楽しそうに日々を送る事が苦手。そこで信仰する事も大切と思う。信仰は感謝の心と言葉の実践を説いてるので魔を寄せ付けない。このようなことから経本には十善戒が説かれている。私達が常に身と口と心の3つを点検し、浄化する事でマイナスを払い、プラスを引き入れるとの意味である。マウナスの多い人は今日を境にプラス思考に変身されたら人生が楽しめると思う。 合掌

*** 2019.1.28 おやっとさんでした この言葉は、昨年の西郷ドンの最後の場面で耳にした薩摩弁。わかりやすく言うと”お疲れ様でした”との意。当山も昨日、厄除け節分祭星祭が、無魔成満した。当日まで3週間、私は精進潔斎の上、申し込まれた札を拝ませて頂いた。これも皆で申し込みのあった方からの氏名、祈願ごとを書き、その札を少しでも長く拝めるようにとの思いである。それだけでなく当日のお接待の用意、暖房器具の点検、お供え物やもち、豆の手配、確認、外回りの受付の用意、古札炊き上げ場の設定、豆まきの用意などと次々とある状態。それにこの時期は天気の心配があり、暖冬とはいうものの寒気の影響で前日から雪模様。幸い少しだけ薄っすらと積もっただけで車の運行には支障はなかった。週の初めは坊守が風邪で体調を壊し、冷や冷やしたが何とか乗り切れたので内心ほっとした。無事、行事を終えて午後3時、信者さん方とティータイム雑談をしながら星祭についての色んな話。その中で今回の坊守が風邪で体調を壊していたことに信者さん方から忠告を受けていた。その事からかティータイムのあと、信者さん方が掃除機をもって私の次男の指示に従い本堂や各所を掃除をしてくれた。私は、思ってもいなかった事でありがたい気持ちであった。このような事から星祭の疲れが半分は心地よい疲れにも思えた。事をなすのは決して己一人ではできない。大勢の人の力の結集で成し遂げられるものと感じた。坊守を始め2人の息子、受付やくじ引き、お焚き上げ場の火の番を手伝って頂いた信者さん方 ほんとにおやっとさーでした。 合掌

*** 2019.1.17  時代 今週はじめに書こうとしてたブログがオヤジの3回忌、研修会、葬儀と今週はじめよりずっと続き、星祭のお札書きと札拝みで今日、この時間になり久々書いてるしだいである。私ごとで恐縮であるが、14日オヤジの3回忌が終わり、一息ついてる所に電話。出てみると私のお師匠さんの奥様が遷化されたとの事。すぐさま16日(昨日)早朝の新幹線で高野山へ葬儀に駆けつけた。お師匠さんの元で修行してた日が、ついこの間のように思えてならない。その時から40年の歳月が流れた。昨年、お師匠様の17回忌、そして今年は奥様がその元へ旅立たれた。影では私も色々と奥様の恩恵を受けた弟子の一人でもある。読経中に写真を見ると懐かしさで一杯で遷化された事で寂しさもこみ上げてきた。考えると3日前自分のオヤジの法事を済ましたばかり、おふくろが来年13回忌。皆、私の前からいなくなった。諸行無常をつくづく感じた。考えて見ると私もじぶんが高野山から篠栗に帰って来て、どう坊さんをしていったらいいのかとの思いで模索してた時のオヤジの歳になった。もう後戻りはできない地点にいる。己が何を今すべきか。どう人生を締めくくるのか。どのように考え行動するのか。との課題に猶予のない事が脳裏を過った。1分1秒を大切に生きる事の大切さを感じながら、己にむち打ち人生の仕上げに進決意を新たにした。合掌

***2019.1.4 新年 謹賀新年 昨年は私のブログを読んで頂きありがとうございました。本年もどうかよろしくお付き合いして下さい。新年の幕が切って落とされました。今年猪年はどんな幕開けになるのでしょうか。といった昨日夕方、本堂の片付けをしてる中”地震だ 地震だ逃げろ”との息子の叫ぶ声。何が何だかわからず外へ。アイホンを見ると、何と3年前の地震が起きた熊本が震源地。まさに猪年の最初がこれかと思った。その時、弟子の言った言葉に”これから起こる事は我々の定めであろう”との言葉を思い出されます。その時はなんの事かは分からなかったが、世の流れを見るに連れこれは天変地異の事ではないのかと私は感じました。2~3年前ある人から聞いた話によると宮崎のあまの岩戸の伝説は、阿蘇山と鹿児島の桜島の同時噴火で昼間でも太陽の光が見えない程、真っ暗であったとの事。そこで人々は、早くお日様に出てきてもらい光をあびせて頂きたいとの思いで必死に天を仰いで拝んだとの事。それが高千穂神楽で伝えてあるとの事。なかなか興味深い話と私は思いました。天変地異はお神様(天地、宇宙)からの私達に対するメッセージとも思えます。日頃から自分たちの周りの物に感謝の心を持って接してゆくことの大切さを伝えてると思います。今こそ私達は、襟を正し、しっかり足元を見て進まないと行けないと思います。このブログを見た方たちでもいいからそう考えて行動される事が、私の願いでもあります。 合掌

***夕日 2018.12.31  今朝の朝日が夕方には夕日に 今年最後の夕日。私達が嬉しかろうと、悲しかろうと、いつもただで私達に光と暖かさを提供してくれる太陽。私達は、忙しさでついその恩恵に感謝を忘れてると思う。よく考えると大変に素晴らしく、尊いものでその存在が無いと私達の今もないと思う。だからその存在に只々、感謝という言葉しか無い。互いがこの宇宙の中の存在の一部。その宇宙のとてつもない広さに圧倒される。そのような中で我々は、生かされてると思うと又、感無量な思いでもある。家族に、親、ご先祖様はじめありとあらゆるものに”ありがとうございます”の言葉しか無い。きょうの大晦日の沈む夕日にも”今年一年大変、おせわになりました”と合掌した。 合掌

***2018.12.18 最終回 今週日曜に大河ドラマ”西郷ドン”は最終回。今年始まった時はどんなドラマなのか冷やかしで見ていた。薩摩言葉が面白いので当山に鹿児島から参拝に来られる方に薩摩言葉を教えてもらい博多弁と対比してるうちに隣の佐賀、長崎、熊本との言葉の違いなどを楽しんでいた。段々と西郷ドンに関心が出てきて人としゃべってても薩摩弁がでるほどであった。自分は馬鹿とも思った。そんな中、私の思いとは別にドラマはいよいよクライマックス西郷ドンと同士は明治政府に妥協せず己の意地を通し、最期を遂げた。西郷ドンの言葉”敬天愛人”つまり天を仰ぎ、人を愛すとの言葉。彼はこの言葉に生きた人と感じた。弘法大師の説かれる”仏性”の言葉を思い出した。人はどのような人であろうと仏になる性格を備えている。元来、仏の心を持って生まれてきているとの意。そのことは天を仰ぐ、つまり神様を尊ぶそして仏の心を持ってる我々を愛すという意味である。だからこそ自分だけ助からず、自分を慕う同士を見捨てず最後まで明治政府に対して自分たちの意地を見せた事は、素晴らしい。反面、彼が命を失った事はとても残念であり、淋しく、悲しい。徳川慶喜と同じ生きる道を選択する事もできたのにとも私は思う。彼の思いは多くの人の心を打つと思う。彼は愛すべき人で鹿児島のいや九州人の誇りでもある。わたしごとき”やっせんぼ”には眩しい人でもある。 合掌

***2018.12.8 パールハーバー 77年前の今日太平洋戦争が始まった。お釈迦様が菩提樹下で悟りを開かれた日でもある。我々仏教徒にとっては皮肉な話である。日米で多くの犠牲者が出た事は言うまでもない。日本の反映はこの戦争で犠牲になられた多くの若い兵士の方々のおかげでもあると思う。それから77年たった今はどうか。衣食住恵まれ贅沢な暮らしをしてる我々日本人。日常生活で”当たり前”という考え方が普通になっていて、”ありがとうございます”の言葉が聞こえてこない。情けなく、悲しい現実である。だから、神仏が怒って自然災害がおきてると私は思う。大正や昭和初期の方々の考え方に学びたい。神仏に対しての自然にたいしての感謝の心を。今年も後1ヶ月を切った。月日の経つ速さを感じ、年末の大掃除にきばっている。明日は、月例供養祭で法要後は、今年の御礼を込め、信者さん達と本堂の大掃除。今日は、あまり信者さん方に負担のかからないように主だった所を掃除した。夜は眠たくなる。”もう、今宵はこれくらいでよかろうかい”との言葉がでそうである。最後に太平洋戦争で犠牲になられた多くの方々に心よりご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

***2018.12.6 相棒 昨日、メールや会報作成に追われ、夕方は少しゆっくりとも思い、相棒を見た。水谷豊と反町隆史の演技になにか魅力を感じる私である。今回のドラマは、ある大学でオカルトなどを研究する学部があり、その教授が、自分の研究に熱心になり過ぎ、ある幼女をしに追いやった。それと同じ過ちをしようとして助手から忠告を受けたが罵詈雑言をあびせ、自分の考えを通した。そこでその助手とも一人の研究生が組んでその教授を殺害したという内容。その中で杉下警部コンビの推理の元、犯人が一人づつ挙げられてゆく。その中でその研究生が、自分が思えばそのとおりに事が運ぶという能力を幼い頃から持っていたとの事。彼女は、不快なことやそのような人を見ると心の中で誰かが、口汚い言葉で罵り、暴言を吐く言葉が聞こえるとの事。そしてその人が不幸になり、ある人は命を失ったとの事。それらが嫌で逃げたいと思ったが逃げれなかった。このような言葉を杉下警部に話、自分もその殺人に協力した事を認めた。このドラマの中で私は、彼女の行動や心理的な点に宗教関係者として感じたことがある。結論から言うと彼女のようなタイプの方は、寺をお参りしてよく相談する方々に割と程度の差はあっても多い。共通して言えるのは、不足不満の多い人で、人間関係が不得手。その原因は特に幼少の頃の親子関係に問題がある事が多い。先ず、そこをしっかり手を入れてゆかないとこのドラマのような事になってゆくと思った。私は、このドラマの内容は今の社会の事件の事も取り上げているように思う。人との対話。神仏やご先祖様への感謝。我々の先祖がやってきた事の意味をしっかり踏まえる事の大切さを言ってるとも思う。これがあればいまのような社会の犯罪、事件がもっと少なくなると思う。このブログを書きながら東京渋谷のハロウィンや外国人労働者の受け入れなどの事が脳裏を過った。日本はどうなるのかと 合掌

***2018.12.1 今年 先月の末にブログの更新をと思いつつできずに師走に突入。なにかときぜわしい。ブログや一口法話、寺報の編集、大掃除、来客の接待と先がどうなることかと そんな中来年度の星祭(厄除け節分祭)の案内状の発送に追われ先月が終わった。毎年、この時期になるとこの星祭の事が脳裏を過る。よく親父たちが”星祭の度に又、一つ年を重ねるな”とつぶやいていた事を思い出す。この法は弘法大師が、民の幸せを願い命がけで唐(中国)に渡り、お師匠さんから伝授された秘法である。それだけに学べば学ぶほど奥が深い。我々は知らず知らずのうちにこの天地の秩序の中で生かされている。その上で神仏やご先祖の支えで生かされている。その思いに心をはせ、日々、”ありがとうございます”の心で生きる事の大切さを最近、感じる。そこに信仰心が芽生えるのではないかとも思う。このようなことを感じ、今年も後1ヶ月を切った。仏教の説く”刹那”(その瞬間を大切に)”色即是空 空即是色”、因縁の教えなどを噛み締め、過ぎゆく今年をしっかり、大切に生きてゆきたいと願う私である。 合掌

***2018.11.18 新しい 先週の大河ドラマ”西郷ドン”は大きな場面があった。それは幼馴染の主人公と一蔵どん(大久保利通)が意見の対立から激突。欧州視察から帰国した岩倉使節団は何の成果も出さず帰国。他の政府関係者の大久保に対する対応は冷たかった。私は、西郷ドンは庶民派。一蔵どんは学識派、役人と感じる。そこから彼らはたもとを分かってゆくのである。それは弘法大師と最澄上人との関係にも似てる気がした。西郷ドンと一蔵どんは共に幕府を倒し、新しい世の中ば作らにゃいかんとの思いでここまできた。時代の流れで彼らのいう新しい世の中になった。そこには西郷ドンが思った世の中とは相反するものであった。私は、新しい事をする事は評価する。その過程は、多くの犠牲が伴う。そのような事なくみんなが笑ってその世を作ってゆくのが西郷ドンの考える新しか世の中ではないのかと感じられた。まさに理想と現実の違いともいうのか これが世の中とも思う。坊さんである私が、このような事を書くのはいささかおかしい気もする。だからといい今の日本のようになーなーで済ませるのもどうかとも思える。その結果が今の日本社会の色んな所で現れてきてるとも思う。今年は明治150年 西郷ドンや一蔵どんや坂本龍馬などの多くの明治維新を成し遂げ新しい世を開いた方々の思いに我々は戻り、襟を正して行かねばならないのではとも思う。新しい事をするのに失う事の数も考えてゆきたい。その中には日本人の心もある事を  合掌

*** 2018.11.13 研修会 去る11月8日~9日の1泊2日である企業の研修会が当山であった。指導者となる方々の研修会であった。内容は、2班に分かれて篠栗遍路、当山での修行体験(滝行、写経、瞑想、法話)であった。私も普段の修行体験とはわけが違い企業の研修会であるのでしっかりと襟を正し、気合をいれて望まないととの思いで少し、気も張っていた。彼らの計画を実行しつつ、緊張の中にも楽しみつつやれる事ができてホッとした感じも受けた。若い人ばかりであったのでパワーもあり、気合も入っていたのフェやりやすい面もあった。さすが将来の指導者ななれる人たちだなと感じた。私も自分の対応の仕方や話の仕方にも失いつつあった自信とやらが蘇ってきたようにも感じた。何人かが又、時間を見つけてうかがいたいとのコメントを残していたのが嬉しかった。彼らの将来に期待したい。 合掌

*** 2018.11.1 火渡り 先月最後の日曜に恒例の秋の大祭柴灯大護摩を厳修した。ブログもその関係でなかなか書けず今日やっとの思いで書いている。いつもの事ながらこの時期は、火渡りの準備で大忙しである。息子が手伝ってくれたのが大きな力となった気がする。どうなるか分からない状態の中、なんとか当日になり、天候の心配もなく、晴天にも恵まれ、無魔成満した事は、不動明王様や御本尊様、お大師様、はじめ多くのお神様のおかげである事をしっかり感じさせて頂いた。法要の始まるまえに本堂前で松明に点火した火の炎が迦楼羅炎に感じた。不動明王がしっかり力を注ぎ励ましてあるようにも感じられた。しっかり精進してれば神仏がしっかり見ててくれてるとの思いが感じられた。そしてこの法要のラストを締めくくる火渡りでは多くの参加者が火渡りをして自分の体内にある様々なマイナスの思いを焼き尽くし、清々しい表情になっていた。こうして得たプラスの思いで残された今年を精一杯送って頂きたいとの思いを込め、火渡りを務めさせて頂いた。 合掌

***2018.10.22 男泣き 先週の大河ドラマ”せごどん”主人公の弟が越後の反乱軍を治める戦で戦死した。吉之助はその遺骨を持って薩摩へ帰った。そこでその弟が西郷家の為に黙々と働き、吉之助の分までしっかり働き、愚痴一つ言わず西郷家を支えてきたのであった。多くの薩摩の兵を戊辰戦争で亡くした事の後悔と懺悔が彼の脳裏を過り、その中に戦死した弟への思い、懺悔の気持ちがこみ上げてきて一人、縁側にたたずみ泣いた場面が私の脳裏をかすめる。あれを男泣きというのかと。男は人前で涙を見せるなと言われてきた。だからこそほんとに泣きたい時、大声で泣いたらいいと思う。それは、己の心に素直に生きる事にもつながるとも思う。私もその場面でこみ上げて来たものを感じた。汚れて腐った自分の心にも人の心が残っていたかと感じた。これが仏心にも通じるのかとも思った。 合掌

***2018.10.5 思い出す 今日台風25号の対策をしてる中、ふと親父の事が思い出した。親父と一緒に台風の対策をしたものだった。その親父も過去の人となった。親父は、生まれて10ヶ月で父親が破傷風で31歳で死亡。どんな思いであったろうか。親父(光幸)の事を思い無念でこの世を去ったのであった。その後、母親は親父を連れて働けない。当時は今みたいに福祉が発達してなかったので子供をおいての母親の労働は困難でもあった。縁あってこの篠栗の寺に養子縁組の末、先代夫婦を養父母として幼少期を過ごした。その中でどれほど母親が恋しかったろうか。特に思春期の頃はその思いにかられた事と思う。このような境遇で育ったので人にはとても良かった。人からはいい人で通っていた。生涯そのいい人であり続けた事は、大変であったろうと思った。その点に私は敬意を表したい。私は、ホントの両親がいて幸せである事を最近つくづく感じる。親父からは良い事も悪い事も教えてもらったと思う。”人生生きてれば良い事半分、悪い事半分”と言ってたオヤジの言葉が脳裏を過る。今でも親父が生きてるように思う事がある。我に帰ると親父はこの世にはいないと気づく。生前のオヤジの言葉を指針として人生の仕上げをする時期でもあると 行動あるのみと自分に言い聞かせる。 合掌

***2018.9.28 冷静 私達は、お腹が空いた時は、気分がイライラしてつい、感情的になります。食事を摂ると空腹感が満たされ心も安定してきます。しっかりと物事を捉え判断する力も出てきます。仏前にご飯を供えるのは禅定(物事をしっかり見て聞いて的確な判断をする)の意味があります。以上述べてきた事が心を悟り(彼岸)に導くものです。合掌

***2018.9.26 戒め お参りで最初にする作法は手と口を清める事。手を清めるには水で清め次に香を塗る。香はその香りで嫌な事つまりマイナスを払い、清々しい心にする。その事は、日常でもマイナスにならないように心の点検をする必要がある。その事から戒めの意味になる。

***2018.9.25 施し 外で体を使った時、どうしても喉が乾く。その時、水を飲むとその乾きが収まり新たな活力が生まれる。歩き遍路の時も同じであり、他人からお茶の接待を受けた時の嬉しさはたまらない。そのお茶のお接待をする方は施し(布施)の行をして徳を積まれてるのである。同じく仏前にお茶を供える事は、仏様に布施をさせていただいてる事でもある。この行為も彼岸の境地に至るものである。 合掌

***2018.9.24 精進 彼岸に仏前に供えるお膳は精進料理。精進料理は肉、魚を一切使わない料理で修行中の僧侶は、一切口にできない。何故なら、肉魚を口にする事で神仏との更新が不可能になり、衆生済度が困難になるとの事である。仏道は困難な中にも教えを守り、修行を続けてゆく事が大切である。仏前にお勤めをする時、必ず線香を備える。これは線香が最後まで燃え続け、いい香りを私達に与えるように、最後まで貫き通すとる事から精進の意味がある。この事も彼岸中に心に刻んで置きたい。 合掌

***2018.9.23 中日 今日は彼岸の中日で”暑さ寒さも彼岸まで”ということわざがある。気候的にちょうど過ごしやすいという意味であり、仏教の”中道”の教えにも通じる。今日は天気もよくなり、墓参りに行かれた方も多かったようである。墓参りには線香、ローソク、お花を持参する。そのお花について説明をしたい。花は綺麗だから清らかな水のある所で育つと思ってる方が多いと思う。実はその反対の汚くてドロドロした土壌から綺麗な花と咲くのである。このドロドロとした土は、私達人間の住む娑婆と同じと思う。その中から清らかな心を育ててゆく事が仏心の誕生となるのである。色んな困難に打ち勝って心を磨く事は忍耐が必要である。同じく花もそうで忍耐力があるから綺麗な花びらを咲かせるのである。その事が仏前に花を供える意味である。花は仏教で”忍辱”(にんにく)と説かれている。 合掌

***2018.9.22 彼岸 今日は秋の彼岸の3日目。彼岸とは”苦しみ、悩み、悲しみの多いこの岸から対岸のそれらのない安住の極楽のある彼の岸に渡る事”と仏教辞典にある。それは我々の理想郷でもある。どのようにしたら実現できるのか になってくる。私達が、仏壇に供えるものに何があるだろうか。まず、灯明、線香、お花、お茶、ご飯、塗香の6つである。その供物にはそれぞれ供える意義がある。灯明(ローソク)は周りを明るくする。そうする事で何があるかはっきり分かる。分かる事は悟りにもつながる。人間は、何故悩み、苦しむのか。お釈迦様は我々の心の無明(むみょう)があるからだと説いてある。その無明をなくしてくれるのが明かりである。この事が仏前に灯明を灯す意味である。(続く) 合掌

***2018.9.17 正義 昨日の大河ドラマ”西郷ドン” 幕末の改革派坂本龍馬が暗殺された。そこから西郷ドンの運命が大きな転機を迎える。日本を異国に渡す慶喜を生かしてはおけないと彼は判断し、至急慶喜討伐の意思を固め行動に出る。そんな中、彼の弟が西郷ドンに”兄さは戦争は罪もなか人を苦しめ悲しみの底に落とす。無意味であると言ってたやなかか。その兄さが今は戦の鬼に見える”と言ったシーンが脳裏をかすめる。彼は、慶喜討伐を日本の為と正義であると説いてるが、そこには大きな犠牲があるという事。これが正義なのかとの考えも浮かぶ。人はいつの世でも殺し合いをしないといけないのかとも考えさせられる。万物の霊長と呼ばれる人間が、、、このような矛盾の中で生きて行かねばならないのだろうか。この事も仏教で説く”六道輪廻”つまり心の修行の過程なのだろうかとも思う。昨日の西郷ドンは正直いって正義とは何ぞやとの問を投げかけてるように感じた。来週は西郷ドンの弟が戦士するシーンを予告で目にした。なんと悲しい事だろうか。 合掌

***2018.9.7 防災 今月は防災月間。95年前の今月1日関東を震災が襲ったとの事は皆さんご存知でしょうか。そう思い今月の独り言を書こうかとしてた矢先、6日朝地震の話を息子から聞いた。発生地は北海道であった。台風に続き、地震までと思うと私の心は悪夢を見てるかのようであった。昔よりそのような現象が同時にあってはならないとの思いが強かった。今はその私の思いもむなしく北海道で現実に私のいやな事が起こってしまった。本当に人の世は、一寸先は闇であると感じる。その中で私達は、迷い、さまよっているのだと感じる。暗闇には明かりが必要。心の暗闇つまり不安には神仏の存在が、必要と思う。そこには希望があり、安心がある。私達の先祖が、長年やってきた信心が物を言う。自然のありがたさに私達は、手を合わせる時期でもあると思う。忘れてた信仰心を各自がもう一度、復活させよう。その思いで閉ざされた暗闇に明かりを灯そう。そして未来は明るいとの思いで一歩足を踏み出そう。このような考えから防災の事も考え、対策をしよう。 合掌

***2018.8.31 夏 今日で8月は終わる。初盆参りと当山の盆せがき供養などに追われるうちに今月もおわりかと思うと月日の経つ早さを感じる。特に今年の夏は暑かった。それも尋常の暑さではなかった。日本だけでなく北半球の国々でも気温が上昇し、異常高温とネットでは騒がれてる。これも温暖化が関係してると思う。我々が便利さ、快適さを求める余り、自然を破壊してきている事に原因があると思う。我々、人間も自然の一員。それを忘れ儲けに走り、環境を破壊する事は我が身を痛めつけるのと同じとも思う。自然の中を住処として借りて生活させて頂いてるとの考え方が忘れられていると思う。今年の夏の暑さは、その事を自然が私達に言葉として伝えてるとも思う。数年前、当山に参拝され、当山滝場で瞑想された方の言葉が脳裏をかすめる。”今の日本人の何でも当たり前と思う考え方に愛想すかせてお神さんなんかどこにもいてはりませんわ”との言葉が。

***2018.8.20 文化 盆とせがきが終わり当山も一息。他は、せがき供養が日を変えて行われてるお寺も多くある。その寺の住職を始め寺内の方々やお弟子さん達の労を思うと何とか乗り切って欲しいと祈る思いである。平成に入り毎年思うことは私が幼少の頃に比べるとご先祖様に対する思いが薄れてるように感じる。私は苦言を言うのは大変嫌いである。年々お盆の頃になると水難事故や交通事故が多く感じる。被害者の立場になれば”何故、自分がこのような目に合わないと行けないのか”との思いで感情的になる事が多いと思う。ご尤もと私も同感である。そこで、お盆とは何かと考えて欲しい。浄土に旅立った多くのご先祖様がこの時期に子孫の事を見にやってくる。この時期にキャンプやレジャーにゆく事はご先祖様に寂しい思いを与えてるのではないかと思う。だからこの時期こそしっかりご先祖様と語り合って欲しい。自分たちが当たり前に生活できてる事はご先祖様がたのお陰ではないかと私は思う。この事を考えずにして自分たちの娯楽ばかりを追い求めてるだけではあまりにも寂しい。だから、水難事故や色んな災難に見舞われると思う。熊本のある寺の住職が”ご先祖様に対する供養は日本人の努めでもあり、この行為は日本人の文化でもあります”と述べてあった言葉が私の脳裏をかすめる。この文化を今の日本人に後世まで伝えていって欲しいと思う。世界の人々に誇れるところまで伝えて欲しいと思う。もっと日本人は、先祖が残し守って来たものを大切にして日本の良さを見つけて欲しいとの私の願いでもある。 合掌

*** 2018.8.15 盆 今日で盆も終わり。明日は当山のせがき供養の日である。8月16日は年一回地獄の釜の蓋が開く日と言われ大勢の亡者がお経の声を待ちわびてる日でもある。この日は百味供養をしてたくさんの浮かばれない亡者に布施をし、読経の功徳により、地獄の苦しみから救い、浄土へと送り届ける日でもある。亡者は姿、形は見えなくとも常に私達に読経の要求をしてると言われる。だからこそ読経というプラス言葉を使えばそこの場が即、仏の浄土となるのです。その事がせがき供養の意義にもつながると思う。このプラス言葉が、私達の運を向上させ、希望を与えてくれるのです。この事が私達が、ご先祖様にしてあげる事の一つにもなり、私達が徳を積む事の一つにもつながる。 合掌

***2018.8.10 位牌堂 今日朝勤行で位牌堂で当山の先代や祖母、親父、おふくろの名を呼び、読経してる時、今の自分がこうしてあるのは親父、おふくろの縁あっての事。自分が偉そうな顔して説教がたれられるのもその御蔭、日常生活で当たり前の事ができるのも両親のお陰、その思いの中から心にこみ上げてくるものが感じられた。これが”感謝”というものなのかと身をもって感じた。いや、感じさせておらったと思う。お盆を前にあなた方から頂いた元気な体でお参りに行ってきますと両親に独り言を言いながら朝のお勤めを終えた。心磨きもわすれないようにとの声がしたようにも感じられた。 合掌

***2018.8.8 津川さん 今日は北九州のお寺の初盆参りに出かけた。初めて行くお寺なのでナビがあっても道に迷った。その時カーラジオから俳優の津川雅彦さんの訃報が流れた。又、一人有名な方がなくなった事で私の心も一抹の寂しさが漂った。彼は、数多くの映画に出演し、監督もこなし、人間としてもスケールの大きい人だったとの事。人生78年生きてきた証なのだろうか。仏教でいうところの悟りの境地とでもいう所という事を私は感じた。北朝鮮の拉致被害者の件でも協力をしてあった事や2000年の7月大雨被害にあった飯塚嘉穂劇場の債権にも先頭に立ちその復興に尽力された事なども彼の人間性を表してる所と思う。人としてどうあるべきかを示してくれてるようにも感じた。人徳を積むとは彼のこのような行動を指すのだとも思う。彼の死は残念で寂しいが、その生き方は是非、手本にせねばならないと痛切に感じた。津川さんのご冥福をお祈り致します。 合掌

***2018.8.1 8月 今日から8月早いものである。盆のことを色々と考えていたらその月になった。日本列島民族大移動の時期でもある。先祖様との対話に故郷に帰ってくる事は嬉しい事でもある。ご先祖様との絆を大切にしてる事にもなり、家庭円満の秘訣にもなると思う。ここ50年近く高度成長に入り、暮らしは豊かになった。その半面、失われたものも多いと思う。その一つが神仏やご先祖様に対しての畏敬の念と思う。私達は、ご先祖さまのおかげでふじゆうする事なく暮らしてゆけてる。そして神仏からその土地を借りて生活させてもらってる。その点をもう一度しっかり考え直す時期が今と思う。懺悔と感謝が求めたれてる時期が、今だと思う。この盆を迎えるに当たり、もう一度その点を私達個人しっかりと反省し、行動してゆく事が今、日本人に求められてる気がしてならない。ほんとの日本人のおおらかさを取り戻してゆきたいと願う私である。 合唱

***2018.7.25 いのち 今年は梅雨明けが例年に比べ10日程早いせいで梅雨明けより毎日猛暑の連続。毎日死者が出るほどの暑さ。かって経験したことのない暑さである。夏は、暑いのが当たり前だが、少し異常である。梅雨の最中には近畿地方で地震があり、どこかがおかしく、怖いことでもある。先月終わりに画像で”生命の誕生”というタイトルの番組を見た。私の頭に残った箇所は、この地球も何億年もの月日をかけて地震、洪水、火山の噴火、などの繰り返しで現在の姿ができた事。恐竜時代も寒波襲来により絶滅した事。その中を生き抜いてきた動物や植物。新たな環境に適合するためにいろんな変化をしてきた。その中で人間も同じ経歴を持つとの事でもともと人間は、木からできてるとの事であった。学生時代の同輩で彼を見ると私は、木の又に似てると思っていた。本人には言ってないが(笑) そのような事を感じる私がおかしいのではないかとも思えた。そういう私も自分の幼少時の写真を見ると同じように木に似てるとも感じた事もあった。その事は、この番組を見ておかしくはないのだとも感じた。人としてこの世にうまれるまでの進化の形跡とも感じた。この事からして人も自然の一部とも思え、弘法大師が、法界はすべて人間とつながっていると説かれてる意味が分かった。人間も自然の一部。その自然が人間の利益目的の思想に侵されるとはがてその反動が、返ってくる。それが今の時代ではないかと思う。だから、人が、簡単に感情を抑えきれずに反社会的な行動をとったりするのではないかと私は考える。言い換えると自然からの報復が、今来ていると思う。温暖化の防止とは言っても快適さを求めてきた我々には、自殺行為。このような時であるから神仏に対しての懺悔と感謝が急務であると思う。私達は、自然と一体 自然が荒らされる時は、人間にも危機が迫ってる。この事に思いを凝らし、もっと神仏に感謝の念を凝らし、今の時代が、抱える諸問題の解決に立ち向かって行く事が問われてると最近、考えるのである。  合掌

***2018.7.15 梅雨 梅雨の終わりは、雷と大雨と言われている。福岡は今日が山笠のフィナーレでこれが終わると梅雨明けが近いと言われている。今年の福岡の梅雨明けは例年より10日早いようである。梅雨明けは嬉しい事と私は思う。その半面、最近は猛暑が訪れ今日も各地で熱中症の患者が出ており、特に大雨の被災地では深刻な問題である。今回の大雨は、かって経験した事のない規模の大きいものである事が特長である。誰も好んで大雨の被害者にはなりたくない。なのになぜ、多くの人が命を奪われるのかとの思いに駆られる。早く復興になって欲しい。多くの被災者の笑顔が見たい。何もできない自分は、そう祈るしか方法がない。そのような無力な自分に腹が立つ。今こそ我々が、もっと自然に感謝が出来その恩恵にしっかり手を合わせる事が必要な時期であると私は思う。そのような事を今日の護摩に参加された方々に伝えた。被災地の早期復興と亡くなられた210人のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

***2018.7.6 役者 今年の大河ドラマの”せごどん” 毎週楽しみに見ている。最初は、なかなか薩摩弁の”せごどん”が言えなかった。でも、毎週、見るたびに薩摩弁が出てくるので聞いている。信者さんで鹿児島の方がおられるので、その方に薩摩弁を教えてもらっている。せごどんや大久保利通、その他同士の会話を聞き、博多弁と比べてみると面白い。隣の熊本弁との対比も面白い。主人公の鈴木亮平さんは、兵庫県西宮市出身との事。バリバリの関西弁を喋ってる彼が、鹿児島県人になりきって”おいどんな薩摩の西郷でごわす”の言葉は、鹿児島人で私は好きである。彼は、その役になりきっている。そのために彼は、しっかり食べて体重を増やしたとの事。まさに役者である。私は、芸能人に限らず人は皆、役者と思う。人は”なぜ人として生を受けたか”との問を投げかけられた事がある。人は、心の学習のため、この世に生を受けたとの事(高橋信次先生)。私は、この世では坊さんとしての役を神仏から与えられてると考える。坊さんとしての勤めをはたさないといけないのである。その事が、役になりきるという事にもなる。鈴木さんが、せごどんになってるように。やがて私も寿命が来たらこの世をさらねばならない。来世では、何の役になるのかなとも思う。それは神仏が決めるもの。肉体は骨となり土になっても私の精神は不滅である。この世でできなかった事は来世でやれると考える。そう思うと苦しみや悲しみや怒りの多い人生を楽しんで送れるのではとも思う。六道輪廻(ろくどうりんね)と旅をしながら、役者になりその世界を楽しんで行きたいと思う。 合掌

***2018.6.20 いつか 今月18日いつか来ると思った地震が発生。てっきり東海か関東と思いきや、近畿地方であった。大阪北部が震源地という事で大阪、京都、奈良が揺れがひどかったとの事。私は仕事柄、京都や奈良の寺や神社、近畿各地にいる知人の事も心配である。2001年以来各地で地震が発生しており、この事がやがて来ると言われてる東南海大地震につながると言われている。この現実から日本各地どこにいても安全な場所はないのではとの疑問が頭に浮かぶ。助かりたいから、安全な場所を見つけて安心したいからと思いつつ、助からず死ぬ事や万一助かっても日常生活で不自由な思いをする事も頭に浮かぶ。そのような事はそこに置いて、今、自分がやってる行動が非常時にはできないから、日常やってる行動に心をこめてやる事に精をだす事が大切ではないかと思った。まさに”感謝”という言葉の意味を見出したとうにも感じた。当たり前と思ってる事などすべての事が貴重にも思えた。できる時にやっとかないかんなと思い、日一日を送りたい。寿命の尽きるまで 合掌

***2018.6.13 49日 今週10日は当山の供養祭。その前に篠栗の信者さんの49日の供養に行かせて頂いた。その時、観音経を読誦した。その時、これが終われば寺の月供養祭。その後、小倉の母親の月参りと思った時、観音経の一説の文字が私の心に柔らかさと安堵感を与えてくれたのを感じた。忙しくてもきばりいよと言ってくれてるように感じた。私は、この家で観音経を読経するのは今日のこの時間。この時間は二度とないと思うと一字一字心を込めて読む事と感じた。仏教の教えの”刹那”や”一寸の光陰軽んずべからず”の言葉が脳裏をよぎった。このような事から今日は充実した日であると感じた。これも人生であろうか。ありがとうございます。合掌

***2018.6.8 掃除 昨日当山の山の神周辺の掃除をしてる中、高野山時代の事が脳裏をかすめた。寺に住み込んで泊り客の世話、来客の対応など多くの雑務があった。よく仲間と”給仕やお茶くみばかりして何になるのか。アホくさ”と愚痴をこぼす事も度々。今はその事が大変、役にたってる。坊さんならだれでもする事でもある。その中で来客にお茶をだす時も何かしら抵抗があった。特に、自分と年の近い女性だとよけい抵抗があった。今、思えば人を意識してたからそのような思いがあったのだと思うようになった。仏様にお供えしてると思いで出せばよいのだ とかんがえればすんなり行動できるではないか。あの方は不動明王様、次の方は観音様、薬師様、地蔵様といった具合に十三佛に人をあてはめたら面白く、楽に心がなれるのではないかとも思う。お大師様に言わせると人は、誰でも仏性があるとの事。そう思うと誰とでも気安く話せるではないかとも思った。こう考えると人生は楽しい。 合掌

***2018.6.3 明王祭り 先月27日先週の日曜当山では、明王祭りを行い盛大に護摩を修法させて頂いた。ことしで6年目になる。この行事に当たり、7日間護摩を修法する習わしにしており、昨年までは私がさせていただいていたが、今年に入り、長男と次男で交代で修法させて頂いており、明王祭りでは、次男が是非、前行も当日も自分がしたいとの意思が硬いので次男にお願いした。当日、添え護摩木もいつもより多く祈願にも知らないうちに気合が入る。護摩の炎も天井に届かんばかりの勢いであった。護摩の火は、私達の心に巣食うマイナスを追い出し、プラスに変える力があると今までの経験から私は思う。先月の護摩はまさにその事を実証するものであり、真言密教の意義を参拝者に体験させる良い機会であったとも思う。体験こそが真言密教の真髄であると私は思う参拝者の中には龍神が見えた、炎が八大竜王に見えた、護摩の炎の中から笛の音が聞こえた、等の声があった。そこには見えない世界からの伝言もあると思う。その意味もその方が考えて行動する事も密教ではないかとも浅学非才の私は感じた。最後に次男の真剣な修法に敬意を評したい。彼の精進を祈る私である。合掌

***2018.5.28 お滝 昨日は明王祭りで盛大に明王様方の御前で護摩を修法させて頂いた。本日もその流れで護摩を修法させて頂いた。その前に滝で禊を行う前の読経で滝の水が左右交互に落ちてる光景が目に入った。まず左から次に右からこの事から魔を払い、次に清めてゆくことの意味を教えて頂いた気がした。これはすべての事にも通じる事ではないのかとも感じた。真言密教に両部マンダラがあるように・・・・やはり真言密教は体験の宗教といわれる意味も改めて感じさせて頂いた。 合掌

***2017.5.23  日大 今、日大のアメフト部の件でマスコミが賑やかである。監督、大学は何故、逃げるのか。誠にうんざりである。それに比べ、監督の言葉に従った宮川君は、堂々と会見に臨み学生にしては大人びた対応を見せ、被害者や対戦相手の大学にもきちんとしたお詫びを述べ誠にあっぱれであると思った。今後、彼は好きであるアメフトはしないと決めた事は残念であり、悲しく、辛く、悔しい事でもある。監督や大学は一人のやる気ある人間の人生をダメにしてしまおうとしている。本当にこれでいいのか。勝ちにあまりこだわりすぎて起きた事件と思う。宗 道臣先生の言ってあった勝敗に走りすぎて本当の心を見失わないように務めねばならない言葉の意味がそこにあると思う。私は、宮川くんに何とか立ち直ってもらいたいと願う。彼をしっかり守って欲しいと思う。イカレが、人を憎み、世をすねて道を外れてもらいたくないとひたすら願う気持ちである。上に立つ人の不祥事はもう、沢山である。ほんとに道を求める人に光が欲しい。宮川くん私もあなたを応援しています。前に向かい進む事を願います。 合掌

*** 2018.5.20 3回忌 今日、当山では信者さんの母親の3回忌の法事を行った。自分のお経を評価するのも何だが、久々いい声で読経ができたなと感じた。声を聞いてると高野山での本山で行われる各種の法要で使われる声明が思い出された。その澄み切った声は高野山の山全体に響き渡り、神仏の応援歌のようにに感じられた。私の声明も本堂全体に響き渡り心に曇りのないような声にも感じられた。神仏が応援してくれてる事を感じた。心のそこから唱えられる読経の声は素晴らしい そこに神仏がおられ、亡き方の御霊もより一層浄化され、大日如来の元への旅路が早くなるとも思った。曇りのない心は仏様の世界(マンダラ浄土)へつながるのである。 合掌

***2018.5.13 昨日、息子が護摩を修法するとの事で朝4時半に起き、勤行をした。本堂でのお勤めを終え、位牌堂に行った。そこの御本尊は観音様。その御本尊にお参りした時の事、いつもは義務的に身体に感謝との言葉をかけて観音様をお参りしている。その日は不思議と自然に感謝ができ、観音様の真言を唱えながら自分の身体に”ありがとうございます”との言葉がスート入ってきたように感じた。やはり早朝にお参りするのはこのような事があり、心が素直になれるので、早朝に勤行や修行をする意味がわかったような気がした。早朝は、気の流れが抜群にいいので神仏との対話もしやすくなるのかと感じた。大変、有意義な時間を与えられた気がした。 合掌

***2018.5.8  五島 昨日、テレビで長崎県五島列島のお大師さん祭りの事が放映されていた。その日は弘法大師空海上人がご入定された日である。高野山では旧御影供(きゅうみえく)が毎年行われている。私達、真言宗徒は弘法大師は亡くなられたとは言わず、ご入定されたと言う。それは、835年3月21日にこの世を旅立たれマンダラ浄土(弥勒菩薩の元)へ行かれた。大師は弟子たちに「我今より56億7000年後、この世が末法を迎えた時、弥勒菩薩と共に下生してこの世を救わん」との言葉を残された。との事から未だ別の世界に生きておられ私達を守護してくださってるとの信仰がある。このような事から日本各地に大師伝説のある所では色々と行事が行われてる。その一つが五島列島のある島である。弘法大師は、五島の近くの平戸から中国に渡られたとも言われている。五島のお大師さん祭りでは、お大師様を祀ってる家で参拝者にお茶や食事をお接待し、小学生がお大師様にお布施を供え、そこの守堂者からお菓子の接待を受け「ありがとうございました」と素直で大きな声で挨拶してた姿に感動した。そこには今の日本人が忘れてるふれあいの心が感じられた。この子供さんたちがその思いを持ち、素直に育って欲しい。そして弘法大師の事を勉強して後世に伝えて欲しい。この日本に世界に誇れる弘法大師がおられた事を そのように思い、彼らが後をついでくれる事を願った私であった。合掌

***2018.5.5 先輩 一昨日久しぶり学生時代の先輩に電話した。私より2年上の先輩で、その同輩の方が昨年10月に遷化された事を耳にした。彼はすい臓がんで64年の人生に幕を閉じた。発病後は仕事を辞め家族との時間を持ち、写真はいつも笑みを絶やさずいたとのことであった。私は先輩の精神に脱帽した。自分は病と闘いながらも笑顔でいつも生活されてたその信念まさに生きてく上の鏡である。先輩、次の世界ではこの世であなたがなしえなかった事を是非、なして下さい。あなたが人生の最後まで信念を貫いて生きられた事に拍手を送ります。私も先輩を見習ってよい人生にしたく思いました。ありがとうございました。次の世界を楽しんで下さい。 合掌

***2018.4.30 感動 今日朝勤行で位牌堂を参った時、ふと本尊観世音菩薩の傍らに花瓶がありその中に何種類かの花が供えてあった。当たり前の光景といつもは思ってるのが、何かしらその花の美しさというものに心ひかれてしまった。安心立命の境地とでも言おうか 心より素直に美しく、心なごやかな気分にならしていただいた。まさにこの世の浄土とはこの事かとも思った。この花をいけてくれた奥さん(坊守)に影から手を合わせた私であった。ありがとうございます 合掌

***2017.4.27 生き様 今月23日同じ区の方の通夜に参列した。その席で故人の人柄を喪主が述べてあった言葉が脳裏にやきていている。”故人は酒も飲まず、家族に愚痴も言わず、好きな庭いじりに没頭し、好きなタバコも欠かさず、家族思いの人間でした”との言葉。人はこのように生きていかねばならないとの見本を示された思いであった。私自身を振り返るとどうかな。耳の痛い気もする。人の生きざまを見てどのようにあるべきかをしっかり考え、行動して行かねばならない地点にある事を改めて思い知らされた気がした。心緩めず、慎重に、精進をと感じた。いい生き様を示したい。 合掌

***2018.4.21 贈り物 昨日午後北国の北海道からの贈り物が届いた。見てみると黒豆大福 早速御本尊様にお供えさせて頂いた。中に手紙があっった。見ると当山の御札やお守りを注文してある方でそのお陰を頂いてる喜びと御礼の心でされたとの事。久々心が穏やかになった気がした。お礼の電話をしたらその品物は手作りとの事。道理で口にした感じがその辺のコンビニでの味とは一段と違っていた。その方の思いがその品には感じられて口にした途端食べがいを感じた。最近、朝の間樹木の伐採やたけのこ掘りとゆがき、その他境内の清掃と寸暇を惜しんで体を動かしてるせいか甘いのがほしい日々。そのような私にとり結構な贈り物であった。普段は中性脂肪や糖尿の事を思うと遠慮してる大福。でも、その日だけはつい、食べてしまった。大変おいしかったのが心に残った。幸せでもあった。これからも人に喜ばれる黒豆大福を作っていただいたく思った。日本一の黒豆大福を目指して下さい。 合掌

***2018.4.14 参拝者 今日は雨風が午後より強くなり、明日15日のお神様の花のお供えが終わりかけた。その時、参拝者があり朱印を頼まれた。その方は、熊本のご夫婦で農業と山の樹木の伐採の仕事をされる方であった。2016年の今夜9寺半に起こった熊本地震の被災者でもあった。まだ自宅も崩壊したまま手付かずの状態。じっとしててもらちが明かないから今日は、篠栗参拝に来られたとの事。その方は、農業したり山の樹木の伐採などされるので神仏や自然に対しての理解があり、山で仕事をして昼時になると自分の食べるご飯を2~3粒地面に供養するそうである。尋ねてみると地の神様に供養する意味との事であった。考えて見るとなるほどそうである。私達はこの地を神様から借りて生活をしてるのであるから理にかなってる考え方と思った。今後もその考え方で精進されるようにその方に伝えた。このような方に出会えて私は嬉しかった。それと熊本地震の復興と犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。そのご夫婦の幸せもお祈り申し上げます。合掌

***2018.4.7 寿命 今週の3日先週に続き当山の信者さんの葬儀が入った。その日の正午、突然、私の携帯が鳴り出るとその方の奥さんからであった。その方Nさんは昨年より様態が悪く大学病院に入院していた。3日の夜中、急に様態が悪化。ついに帰らぬ人となった。私は信じられない気持ちであったが即、彼の枕経を唱えに斎場へ向かった。彼は、50歳で小学校6年になる息子と今年小学校に入学した娘がいる。二人の子供の心を思うとやり切れない思いがこみ上げてくる。親子で写った写真を見てると彼の人柄が感じられ家庭のあり方を教えられたような気がした。それと葬儀の時の写真は微笑みかけてる姿であり、その姿が見れない寂しさがこみあげてきた。彼は50年の寿命を生まれてくる時に与えられてきたと思った。小さな子どもを残し、旅立つとは彼も思ってはなかったろうと考えるといたたまれない。奥さんにはしっかり拝んでもらいたいし私も日々、しっかり拝ませて頂きたいとの思いである。私もどれだけの寿命を授かってるのかは知らない。やるべきことをもう一度、冷静に考えて日々を送らねばならないなと痛感させられた。彼には迷わずに大日如来の元に行ってもらわねばならない。その為に読経の意義があると思った。Nさんあなたは最後まで諦めず病気と戦い寿命を全うされました。あなたは家族の誇りと私は思ってます。あなたを少しでも早く大日如来様の元へ送るお手伝いをさせて下さい。 合掌

***2018.4.1 感謝 先月末29日正午、葬式の以来の電話があった。誰からかと思うと当山の境内整備に協力されたkさんがたった今、亡くなられたとの電話であった。即、枕経にゆき葬儀の段取りにかかった。昨日、葬儀も無事終わり、自坊に帰り夕方のお勤めで今日一日の反省の中で何といっても今日は葬儀で一日が終わったようなものである。よく考えると無事に葬儀ができたのも会場までの道が整備され楽に行けた事、私の体が元気な事、食べ物が食べれる事、言葉が喋れる事、考えると色んな人や物のお陰で葬儀を無事、終えることができたと心から思えた事。ほんとに素晴らしく、有り難い日であった。心から自然にそう思えた事は、私の喜びでもあった。亡くなられた方には、悪いが人は生きてれば必ず死が訪れる事。その前に段々と体の機能が低下してゆく事などを考えるとどう生きたらよいかとつくづくと考えさせられた気もした。kさんが旅立たれた事は淋しい。反面、その葬儀を通じて”感謝”という言葉を感じさせてくれた事、とてもありがたかった。ここに密教の意味があるとも感じた。 合掌

***2018.3.24  ラジオ 彼岸も今日で終わり 彼岸参りを車で移動中カーラジオの番組で冬期オリンピックのスキーの新種目で金メダルを取った選手と今年1月に亡くなった星野仙一さんの思いでのトークが流れていた。二人に共通する点は、辛いから、悲しいからと言い、そこにとどまらずだからこそ前を向き一歩踏み出そうとする精神の持ち主という点であった。そうする事で不安と戦う中でなにかひらめくものがあり、そこにヒントをえて一回り大きくなれるのではないかとも感じた。あまり考え込まず先ず、行動することの大切さを彼らは会得してると思う。成功してる人の秘訣がそこにあるように感じられ私も心がけたいと思い、なにか新鮮な心になった。 合掌

***2018.3.22 供養 彼岸もあと2日で終わり いつもお勤めの時、感じる事に”もうこれだけ供養のお勤めをしたからいいね”という言葉に考えさせられる。供養の読経は、その功徳により個人の心が浄化され、仏の世界に行くという。(弘法大師は大日如来の元へ行くと説かれてる)その事からするとこれでいいという事にはならないと思う。私たちが生きてる間は、ご先祖様に対しての供養は大切な勤めと思う。それは私たちの心と体を授けていただいたのだから 合掌

***2018.3.18 彼岸 今日から24日まで春の彼岸。一般の方々はあまり意識はしてないと私は思う。仏教では、迷いや苦しみ、悲しみの多いこの岸から対岸の苦しみ、悩み、悲しみのない向こう岸(彼の岸)に渡る事を彼岸と説いている。この一週間だけが彼岸であとは何も関係ないと思ってる方もおられると思う。この彼岸の意味を理解し、日常でも実行してゆく態度が大切ではないかと思う。その手段で仏飯、線香、灯明、お茶、お花、塗香の6つの供養がある。この供養を通して自分のある姿を見つめ、高めてゆく事が私達に体と命を与えた私達のご先祖様の供養にもつながると思う。 合掌

***2018.3.15 この時期 7年前の今月11日は私達日本人の記憶に忘れる事のできない災害の日。東日本大震災発生の日。私はあの映像がまだ脳裏をかすめる。恐ろしく、悲しく、悔しい思いがする。この思いはわたしだけでなく大多数の日本人が持ってると思う。ついこの日、小倉まで月参りに行く車中のラジオから震災関連の番組が流れてきた。横浜に避難してた震災犠牲者に対するイジメの事が放送されてた。悲しく、痛ましく、悔しい思いであった。避難者は好きで災害にあったのではない。それなのに何故、あのようなむごい行動をとるのかと思うといじめた人間の心があわれでもある。自然災害ではあるがこのように心に深い傷を負った方々の心が少しでもいいから平穏に戻って欲しいと願う。あのふるさとの自然は元に戻らないかと思うと誠に悲しい。時折、小学校時代の音楽で歌った”はるかな昔”を思い出し口ずさむ事がある。”白い雲浮かんでた いつかのあの空 駆け下りた草の道 はるかな昔・・・”この歌をくちずさみながら被災地の人の事をいや、心情を思うと胸がつまる。この震災で亡くなられまだ、遺体が見つかってない方も多くおられるとの事。早く見つかってほしい そう願いながら毎朝の勤行で犠牲者の供養、被災地の早期復興を陰ながら祈る私である。合掌

***2018.2.26 痛み 先週土曜日(24日)恒例の将軍地蔵大祭に大村まで行った。帰宅後に右手の手首が痛く、腫れてきた。過去に腱鞘炎をやったのでそれだなと思った。翌日が祈願祭で護摩を修法する予定であるが、当日の明け方右手の手首が痛いので護摩は息子に修法してもらうようにした。その痛みに耐え寝床で夜が開けるまで横になった。色々な思いが頭を過る。知らぬ間にねてたのだろうか。ひとりごとで”ありがとうございます”の言葉を行ってる自分に気がついた。人にはよく”感謝”だとかっこよこく言ってる自分が、本当はその”感謝”が不足してるのではないかとも思えた。聞き手である右手を痛めて五体が満足であることにどれだけ真剣に感謝してるかを問われてるようにも感じた。痛みや不自由を体験して健康のありがたさをつくづく感じた。人間の体健康な時は、何一つ考えない。体の何処かが不自由であると何一つ満足にできないとつくづく感じた。やはり、健康で当たり前、飯が食えて当たり前、人が笑顔で声かけてくれて当たり前という心が、多かったのでそのしわ寄せが、私に来たと感じた。不安で、痛くてどうしようもないが自分の撒いた種でもあると思い、痛みを与えて頂き、考えさせて頂いた神仏やご先祖様に”ありがとうございます”と言ってる自分に気がついてた  心から”ありがとうございます”と言えてたような気がした。 合掌

***2017.2.22 今日 20日は当山の町の霊場会の総会。その席で南蔵院の住職の話で”自分が今回被災地の福島へ行った時、その地区のトラック運転手は仕事の都合や被災して自宅に帰れないので集合住宅で寝泊まりをしてる。彼らはいつどのような事態が起こるか想定できない。だから今、やれることをやるという精神で毎日を送ってます”との内容であった。それを聞き私は、自分らはまだ余裕がある。その反面、被災地の方々は、そのような余裕はない。だからこそ今、自分ができる事を精一杯やる事に集中してあるのだと感じた。その事は今の自分にもしっかり当てはまる事と思い、精進という言葉が脳裏を過ぎった。 合掌

***2017.2.17 供養 毎朝のお勤めで信者さんから頼まれた供養(先祖、水子)で読経させていただく。そのたびに思うことは、私の読経がどこまで届いているだろうか。この事をこの道に入りよく思う。弘法大師空海上人は、亡くなった方の御霊は、読経すればする程、成仏の道を辿り、やがては永久の世界に入ると説かれている。永久の世界とはなんぞや?と思われる方もおられると思う。最もな事である。永久の世界とは、私達の心(精神)は大日如来の元でいつまでも生き続けるという意味である。そのことから供養というものは、今日したからそれで良しというものとは違うと思う。なかなか成仏ができない御霊もあると思う。だから自分の寿命がある限り読経をする必要があると思う。なぜならそれが私達の使命でもあるからである。毎日やることの積み重ねが、その人が徳を積む事になり、やがてその事の結果が現れるのである。やるからには心から成仏を願い、一心になることではないかと最近、つくづく思うわたしである。 合掌

***2018.2.9  1年前 去年の2月7日 午前8時 私の親父がこの世を去った。(満93歳1か月)アッという間の出来事であった。病院から連絡があり、病室に行くと医師が人工呼吸をしていた。もう親父とお別れかとは思いたくなかった。そう思う間もなく呼吸が停止。最後まで一生懸命に生きた事は頭がさがる。その日から私は只管、親父が早く大日如来のもとへ行けるよう読経した。読経を続けるうちに49日が来た。それから1年 今月4日(日曜)に1周期の法事を寺でおこなった。この1年の間に色んな事があり、考えさせられる事がいくつもあった。”生きてる間、良い事半分、悪い事半分”と生前親父が言ってた言葉が脳裏を過ぎった。こうして人は生きてゆくのだなとしみじみ思う。その事を通じ、人生を勉強してゆく学びの場でもある。こうして輪廻転生の旅が繰り返されて行き、私達は永久に学びを続けてゆくのである。その中で私は、親父とこの世では親子として縁を頂き、色んな体験を重ねる。来生ではその立場が逆転するかもしれない。まさに亡き村田英雄の歌”人生劇場”である。来世はどのような役で親父と縁があるのか楽しみでもある。親父の肉体はこの世にはないが、雨となり、水となり、太陽の光となり、私を支えてくれてるとも考える。だから親父の精神は生きているのである。そう思うとすべて周りのものに合掌したくなってくる。まさに大日如来でありマンダラ浄土でもあるように思える。もう親父はマンダラ浄土へ辿りついたのか との思いにしたる私であった。 合掌

***2018.1.29 昨日当山の節分祭星祭りであった。この日の為、昨年11月の終わりには信者の方々に案内状と申込書を送った。今回は申込みのあった順に昨年12月よりポチポチ星祭り札を書き、新年明けて7日から当日まで申し込みのあった御札を精進潔斎して拝ませて頂いた。その星祭りの御札の祈願をしてる中に感じたのは、私達は星祭りのご本尊さまとは無縁と思う方が多いと思う。無理もない事で、私も昔はそうであった。私と星祭りの御本尊(一字金輪)とが同じのはずがない。私は凡夫。一字金輪様は銀河系のはるか彼方におわしますなる。と何年か前まで思ってた。ところが何度も本尊様や不動明王、うすさま明王、愛染明王の修法わさせて頂いてる中で自分でもわからない不思議な事が何度かあった。それは私達の世界(娑婆)と仏様の世界(マンダラ浄土)は別々の世界ではなく、この世と繋がってるのではないかとの思いがパッと脳裏を過ぎった事である。一字金輪も私達も同一。開運厄除は神仏に祈るも大切。一方では、自分が厄除けのご本尊一字金輪であり、自分の厄を自分で払う事が究極の事で、大切な点と思った。学生時代に知り合いが少林寺拳法をしており、その先生が”自分が信じれる人間になる事”と門下生に説いてあった言葉が脳裏を過る。弘法大師の説かれる”即身成仏”(この身が生きたまま仏となり輝く)ではないのかという事にもつながるように思えた。このような思いを持ち、精進を続ける事で少しでも心が落ち着き、物事に前向きに対峙して行ける一つの道でもあると感じた。この思いで新しい年を(2月4日立春から)精進したいと心新たにした。 合掌

*2018.1.24  今年始めてのひとりごとである。新年の行事、星祭りの札書き、その他連絡事、葬儀などバラエティな事が続き、なかなかブログを書く暇がなかった。今、仕事の合間を見て書いている。昨日、昼過ぎ 近くの左官さんが挨拶にみえ、茶でも飲みながらの雑談。彼は私の寺から5キロ程の場所にすんでいる。(飯塚市)寺の色々な事をいままでしてくれた方でもある。互いに住んでる所は山の中。そこで話をするうちに過疎の話になった。私が住んでるところも過疎地。一山越えた集落は、4件あった世帯が今、1件その家も老夫婦2人ぐらし。消えかかった火のようなものである。彼の住む集落も飯塚市とはいうものの山間部。何件かの家が空き家状態。そのような中、将来の事を考えると 互いに思うことは田舎から都会へ若い人は流れてゆく。家も親も捨てて。山里の良さがなくなり、忘れ去られてしまう。若い人も今まで私達の先祖が言い伝えてきた事もシャットアウト。日本人の文化までがなくなろうとしている。誠に悲しく、寂しい次第である。昨年暮れに私の住む区でも区長さんが呼びかけこのような内容の話をされ、区民との対話があった。私は寺の行事で参加できなかったが、どのような意見が出されたかは知らない。多分、結論は出てないと思う。過疎の話は、全国的にも広がってると思う。二人で話をしながら時代の流れとの事になった。とはいえ何か脳裏を寂しさや恐怖の思いが過る。仏教の説く”因果応報”の教えが脳裏を過る。今まで戦後、私達(私)は苦労をしないで生きてきた分のしわ寄せがきてると私は考える。これから先の老後の事など思うと不安はつきない。それらのこともしっかりと向き合い戦後のしわ寄せの借金を払う時期とも考えた。合掌

***2017.12.31夕日 今日で2017年も終わり大晦日である。新年のカウントダウンが始まる。初日の出を拝む事で楽しみにしているかた、海外への旅行に出かける方、スキーに行く方と様々。そのような方に聞きたい。あなた方はこの1年間どのような問も忘れる事無く無償で光を提供してくれたお日様に”ありがとうございます”と手を合わせましたか?と。初日の出を拝むのも新年を迎えるのに大切。大晦日の沈む夕日に感謝の言葉を翔ける事はもっと大切ではないでしょうか。私達は、常に自然の恩恵を受けてる事を忘れてはならないと思います。 合掌

***2017.12.30大掃除 年の瀬でどこも大忙し。その中に大掃除がある。どこの家庭も1年間にたまったホコリを落とすのには四苦八苦のところも多い。お寺は、又格段とその頻度が高い。1年間、色んな方が訪れ、色んな思いを持ち、置いて行く。それらをきれいに吹き飛ばし、清淨な気を入れるために年末の大掃除の意味があると最近、思うようになった。私達の心の赤もきれいに取り除くことにもなると思う。罪障消滅、”懺悔懺悔 六根清浄”の心境でもある。 合掌

***月供養2017.12.11 今日毎月お参りをさせて頂いてる小倉のある檀家さんの話。その家の主人は、2008年11月11日 812年の生涯を閉じた。とにかく戦後の大変な時代を生き抜いてきた人。真面目で仕事一途な人であった。誠に愛すべき人でもある。口数は少なく少しとつきにくい面もあった。家族は”お父さんは後ろを振り向いた時、一人もついてくる人がいないような人生をあゆむなよ”とのことばを口にし、とにかく人にはよかったとの話をしてあった。私は、その話からおふくろがよく行ってた言葉を思い出した。”あんた 男は40になったら自分の顔に責任をもちきらないかんよ”との事。さあ、責任をもてる顔になってるのか。後ろを向いた時どれくらいの人がいるのか。一刻も猶予がない 自分の人生に責任を持てる腹を作る時が来たと思い、更に精進をと思った。その小倉のお父さんは、”なくなっても近所の方が政子さんあんたの旦那さんは果物がすきやったよね。この果物お父さんにお供えしといて”との言葉を時折耳にするとの事。そのお父さんの人柄。良い財産である。お父さん あなたはいつまでもかけがえのない人です。合掌

***お参り2017.12.10 今日は、当山の納観音。今年最後の供養祭の後、1年間の御礼で信者さん方と本堂の大掃除をした。ちょうど掃除も終わりに近づいた頃、3人の参拝者があった。よくみると毎月参拝される隣町の先生。先生方が読経の時、私は失礼になると思い本堂の脇に身を避けた。読経の最後に「願わくばこの功徳を以って 我らと衆生と皆共に仏道を行ぜん」との言葉を耳にした時。私の脳裏をかすめたのは、私がいる本堂の中を黄泉の国(霊界)としたならば先生の読まれたお経はありがたく心休まる気がした。この事から亡くなった方の御霊は黄泉の国(霊界)にいても、私達の唱えるお経を聞くことがどれだけ有り難いかが分かるような気がした。だから、供養の大切さがわかった気がした。たった1分くらいの間の事であったが私にとり、大変、意義のある時間でもあった。先生、ありがとうございました。 合掌

***供養2017.11.25 去る平成27年4月6日を堺に供養する方が1人増えた。佐世保市のあるバス会社の方である。その方は、篠栗参拝の途中バスのシャフトの具合が数日前に点検してたにも関わらず不良になったのでバスの下に潜り込んで点検をしてたところバスが動き出し、その下敷きになりそのまま亡くなられたとの事 。大変に恐ろしく、悲しく、むごたらしい事故であった。その方は、仕事熱心で思いやりがあり、責任感の強い方との事であった。私は毎朝、その方の菩提を祈らせていただいている。その方の供養の時、1949年に長崎で起きたバスの事故で乗客を守るためバスを止めようと必死になり、そのバスの下敷きになり命を落としたある車掌の事を思い出した。いい事をしたのに何故、むごい死に方をしないといけないのかと納得がゆかないのはみな同じと思う。そこで頭に浮かんだのが誰でも前世があり、そこでした行いの結果がこの世で現れると言う。この方は事故によって前世の借金を返したのだと思う。そしてまた、新たに生まれ変わりその続きの人生を歩んで行かれると思う。人は誰でもこの輪廻転生の繰り返しをしてると言われる。心の学習のため、心の修行のため人として生まれてくるのだとも言われる。(高橋信二先生)こう思うと人との出会いには何らかの意味があると思う。そこには仏教の説く”輪廻転生 ”や真言密教の説く”曼荼羅”の意味もあるように思える。日々をしっかり充実して生きたいとも思う。合掌

***今朝。夕べ 2017.11.15 早朝に目覚め事をなすとすんなり行くとの話を聞く。私も早朝起き午前7時までにお勤めやお茶とうをおわらせたら良いとの話を聞いた。それは早朝は一日の中で最高に気の働きが良い時間帯で運気も良いからともいう。日頃懸案になってる事もその時間帯にやると大変、能率があがり仕事も捗ると耳にする。私も早朝に起き、お勤めの用意などしてる時に今、新鮮な気も時間が経てば新鮮でなくなる。今朝の出来事で新しい事も夕方にはそうで無くなってる。その時の”一瞬”がもう過去にと思うと寂しい気がする。でも、これが世の中 時間は待ってくれない。その時間と上手く付き合いながら人生を送らないといかんなとも思うようになってきた。ゆったりとした中にもメリハリをつけ、割り切って考え、行動してゆく事も大切と感じるこの頃である。もう、今月もちょうど半分、忙しく、気ぜわしかった酉年も後、46日で終わりかと思うと寂しい。反面、残された日を中身の濃いものにしたいと思ってる私である。 合掌

***柴灯大護摩 2017.10.31 今月29日の日曜当山秋の大祭柴灯大護摩が開催された。今年は今までより様相が変わり、寺内のものが中心になり行う事となった。例年大勢で手伝ってくれてた弟子が体調不良で昨年限りで引退。その信者も同様。自分達で力を出し合い、色々と研鑽を積んだ。本番近くに台風22号の接近。下手をすれば暴風雨圏に入る事も囁かれてた。私は、ひたすら台風が九州から遠ざかる事を祈った。前日28日は雨の中、準備に明け暮れた。少しでも雨が少ない事を念じて。初めて寺内の者だけでする柴灯大護摩、神仏はどう出られるのだろうか。期待と不安が交差する中、いよいよ当日を迎えた。早朝目をさますと雨音が聞こえる。2早くやんでくれよ”私は雨に語りかけた。朝8時手伝いのお寺様方が見え、雨は遠慮なく降ってる。小降りになるのを見計らい道場に向かい準備をした。だんだん雨はふらなくなった。本番になり、少し降り、衣体が濡れ気持ちが悪かった。護摩は思ったより上手くゆき安心した。私の二人の」息子も想像以上に堂々と役をこなした。彼らを私は見直した。他の助法にみえた町内の寺院住職、私の高野山の先輩住職も見事な作法をされ法要を引き立てて頂いた。この方々に”ありがとうございました”と手を合わせずにはおられなかった。これも神仏やご先祖様の影のお力終えのおかげ、参拝者のお陰と合掌した。 合掌

***体験2017.10.15 もう今月も半ば。今月最後の日曜日当山の秋の大祭”柴灯大護摩”である。この日のために何ヶ月も前から着々と準備をしてる次第。今年は過去手伝ってくれてた方々が高齢でできないとの事。さて、これまでの培ってきた力を出してゆかねばならない。この行事は、信者さんが祈願した護摩木を祈願した後の火渡りがこの行事を引き立てるのである。普通に考えると火をわたるなど考えられないと思うのが通常である。ところが渡ってみると”熱いより気持ちが良かった”と言う方も結構おられる。何故か。そこには目には見えないが何かの力が働いてるとも感じる。その感じるという事が体験であり、そこに真言密教の世界があると私は思う。話を聞くだけでは解からない事が体験を通じてわかること。こんあすばらしい事はないとも思う。この体験は何も宗教に限らず日常のあらゆる面に通じるとも思う。その事から私達は常に密教を体験してるとも思う。そこには神仏の力の存在がある。さあ、今年もあと2ヶ月。今年の色んなマイナスをプラスに変え活力をつけるのが火の役目。柴灯大護摩の火渡りまさに今述べた事を感じる近道。是非、縁のある方は参加されたし。 日時 10月29日(最終日曜) 午前11時 当山野外道場にて 合

*滝着 2017.10.8 昨日修行体験で滝行をやった。終了後、次は写経その間に滝衣を回収。その時、滝衣を持つた時。重たいと感じた。滝衣だけなら軽い。でも水がかかるとこんなにも重いのかとつくづく感じた。今、少し左肩の周りが痛く力が入りにくい事もあるが・・・人間の体の7割が水と言われてる事を思うと体調不良の人の看護の時や酔った人の介抱の時、人の体の重さを感じる。そのことから水の重量は半端ではない事を感じた。やはり自然の力の凄さを思い知らされた感じであった。たかが人の来た滝衣を持っただけで・・・そう考えると私達は自然にもっと謙虚に向かい合わないといけないと感じた。私達もその自然の一員であるから 合掌

*** 環状線 2017.10.4 昨日ネットでもテレビでも48年間続いた大阪環状線が最後の運転になった事が話題になった。テレビの映像ではある男の子が”寂しい”といってポロポロ涙を流してた光景が私の脳裏から離れなかった。私は大阪市民ではないがここ何年か福岡の自宅でも関西弁で喋る事が多い。この道に入り40年目。九州弁の威圧感に比べ関西弁は優しくも感じ、関西弁に親しみが出てきたのかなとも思う。九州と高野山の行ったり来たりの人生を送ってきた一人。ここ何年間は高野山ゆきは新大阪からjrで大阪から環状線に乗り換え新今宮へそこから南海線で高野山へ行っている。大阪から人参色した環状線に乗ると””次は福島、西九条、弁天、大正、新今宮で南海線はお乗り換え”とのアナウンスが頭にこびりついてる。発車する時の”チンチン”と車掌が鳴らす鐘の音も懐かしい。やはりここにも時代の波が押し寄せてきてると感じた。まさに”諸行無常” ”色即是空 空即是色”である。私達はこの内容の中で生きてるいや、生かされてる。そこから何を感じ、何を学ぶのか 寂しい、悲しいの感情だけでは生きて行けないと思う。過ぎた昭和の名残を思いつつも心は前を向いて進んでいかねばならないと自分に言い聞かせた私であった。いつか京都の鉄道記念館、門司の鉄道記念館に行きたい。 合掌

***1か月 2017.9.30 1か月後は当山の秋の大祭である柴灯大護摩。今年は今まで手伝ってくれてた弟子や信者が、高齢や病気などで手伝いが困難との事。そこでこれまでに色々と自分なりに研鑽してきた事に磨きをかけるため、寺内の者が一丸となり柴灯護摩の成功にかけて精進してる最中。今日町内の寺院で同宗の青年僧の団体主催の柴灯護摩が行われたので寺内の者で見学に行った。今までの当山のやり方を見直していい点、やはりここは残していきたい点などが感じられ有意義でもあった。自分のとこならず他の方面を見て研鑽する事も活力になると感じた。そこから自分のやり方を見つけて実行する事の大切さを感じた。不安と希望の交錯する中、神仏の加護を念じ、精進することを改めて本尊様や不動明王様に言葉をかけた私であった。 合掌

***研修会2017.9.15 今日は午前中から北九州で檀信徒研修会があり盛大であった。その中である寺院の御内室が高野山参与会40年の表彰を受けられた。その方は、他面でも本山に貢献してある。面に立つ人ではないが、威風堂々とした所があり、正直頭がさがる思いであった。自分を知り、コツコツと努力をし、自分の持つ技を磨き上げた所は尊敬に値すると思った。私自身を思うと恥ずかしく感じた。”おまい男だろ 今まで何やってきたんだ 馬鹿野郎”ともう一人の自分の声が聴こえる。精進の大切さを痛切に感じた。坊さんは死ぬまで修行という 怠けぐせのついた横着な時分にむち打ち残された人生無駄にできないとの思いを新たにした私でもあった。それと今日のために1年前から会場の下見、研修会の内容や御詠歌、法要の練習、会場設定などに打ち込まれた役員の方、青年僧の方々本当にお疲れ様でした。ここに御礼申しあげます。今日の研修会は味のあるものであった。 合掌

***2017.8.31 景色 今月中頃、テレビで中井貴一の”サラメシ”で鉄道作家の宮脇俊之さんの話。彼は鉄道を味わうよりその土地の景色を楽しむ。その土地の駅弁を食べながらその土地の味を楽しむ。とのコメントが私の脳裏を過る。現代は新幹線、飛行機、高速バスの時代。風景を楽しむより目的地にいち早くゆく事に重点が置かれてる。そこには余裕のないただ忙しい私達の姿と心が繁栄されてるように思える。鈍行に乗り、日頃新幹線や飛行機では気付かない色んな点を見る事は、現代の私たちに一番大切ではないかと思える。今、心の病をかかえてる方、たまには仕事、その他の柵を捨てて鈍行列車の旅でもされたらいかがですか。そしたら自然に心の闇が曇りが取れ清々しい気分になりと思います。私も駅弁を食べ、その土地の景色、人の思いを胸に、鉄道の度は好きである。小学3年の春休み博多からお袋の故郷宮崎に向かう途中、都城で列車の待合の時、ホイッスルヲ鳴らしブルーの列車が何両も通過したのを今でも覚えている。行き先は、東京。かっこいいな。あの列車に乗りたいとの思いが湧いてきた。金持ちの人しか乗れんのだろうとの思いもあった。その列車は西鹿児島発東京行きの寝台特急富士と思う。懐かしく良い時代だったとの思いがこみ上げてくる。このような環境の中に身を置けば、人は人としてのあり方に気づき、犯罪に身を染める事もなくなるのではないかとも思う。時代の変化を読み取りそれについて行くことは大切。それには流されずにどこか心の中には昔の日本の事をしっかり保管する事もより大切に思う。今月は初盆や盆の行事におわれブログを書けなかったが今日やっと書けた次第である。 合掌

***2017.8.15 お盆 このところ盆のお勤めと我が家の初盆との事でブログが書けない日が多く今月も半分になり、少しの時間が取れたので書いている。この所盆に入り、水難事故やその他の事故が多いと思う。その事で他の人からの批判もあると思うが、私の思うところを書いてみようと思う。昨日の奈良県内で70歳と68歳の夫婦の乗ったヘリコプターが墜落し夫婦が亡くなった事を知った。悲しい事である。10年ほど前の盆にキャンプにきてた人が夜半に降った雨で川の中州に取り残された事などが思い出される。大体盆という期間をなんと思ってるのかと言いたい。ご先祖様が各家庭に帰って来られ、ご先祖様との対話の時期。今ある自分をしっかり見つめ、健康な体を頂き、生活にも難儀をしないようにして頂いたご先祖様に思いをはせ粗相のないようにと心をくばらねばならないのがお盆と思う。それをないがしろにしてレジャーやその他に費やすのはいかがなものかとも考える。日本人は、もう一度ご先祖様に対しての思い、神仏に対しての思いを考えなおして行かねばならない時期に来たと私は思うのである。 合掌

***2017.7.31 水害 1973年の今日私の住む篠栗は夜中に大雨に見舞われ水害が発生。その37年後7月24日にも水害が発生。今年は同県内の朝倉地区と隣の大分日田市が水害で甚大な被害を受けた。過去からすると年々被害が増大してると思う。私達の生活が便利になった分、反対に自然を壊しておりそのしわ寄せがこのような形で来てるようである。これ以上被害がふえませんようにと祈るしかないと思う。これから台風シーズンことさら大雨が心配である。私達の先祖も自然災害にはなすすべも無く、ただ天地に祈った。現代の私達も祈ることの大切さを肌で感じ、色んなものに感謝の心を示す事の大切さが今、問われてるように思えてならない 合掌

***2017.7.28  油断 一週間ぶりのブログ。夏祈祷の札の発送や再祈祷、初盆、盆せがきの事などあり、思うようにブログがかけなかった。いつもお参りをしてる時に唱える御文で”私達は、生まれてよりこのかた 身と口と心で知らずしらずのうちに沢山の罪を作ってきたから懺悔を致します”という意味の言葉を唱える。最近はその箇所が一番大切なように思える。家の中の掃除も一日でもサボればゴミがたまり不浄になり、やがて私達の健康に大きな被害をもたらす。同じく、身口心の3つで犯す罪も点検をおこたると大変な事につながると思うようになった。あまり使いたくないことばですが、”魔”に心が支配されるという事です。私達の心のすきを狙い、いつも様子を伺ってるとも思う。だからこそ常に謙虚である事が要請されると想う。自分の心は自分でしかコントロールできない。油断大敵。気を引き締めていきたい。 合掌

***2017.7.21 支え 先週105歳の生涯を閉じられた日野原先生の訃報を耳にした。誠に残念である。先生は常に前向きな方と私は評価していた。老後は先生のような考えで楽しく贈りたいと密かに思っていた。その最中の先生の訃報を知り、誠に残念でならない。年齢には不足はない。先生の精神がとても素晴らしく感銘を受けてた。100歳で奥さんに先立たれ大丈夫かと思ってたが何とか切り抜けられてた矢先、自分が逝かれたのである。まさに”諸行無常”である。先生を慕うのは仕方がないが、いつまでもその事にだけ思いを注ぐのはどうかとも思う。先生の考えを汲み取り前向きに考え、行動する事が先生にとっても供養になると思う。自分自身をもっと高める努力が大切だとも思った。 合掌

***2017.7.6 大雨 梅雨の最中の台風3号その後、前線の活発化で大雨の被害。そこは自分の住む福岡の南部朝倉。そこは福岡から大分に向かう要所でもある。昨日の集中豪雨で見るも無残な光景がテレビやパソコンの映像から目に入ってくる。その地区には同級生、先輩、同宗派の寺院などがあり、安否が気になる。私の住む篠栗も8年前の今頃、水害に見舞われ地獄の状態だった事を思い出す。それが原因である高齢の女性が躁鬱になられご主人が大変な思いをしてあったのも思い出す。水は日頃はおだやかで大した事はないが、一旦勢いがつくとアッという間に大量になり、私達の財産はおろか命までも奪ってしまう凶器にもなる事を感じた。そこには自然の脅威があり、自然は神仏でもある。神仏の前では人間は何もできない。ただ、早くこの大雨が止む事を祈るのみである。この祈りの思いを私達は、今一度考えて行動しないといけないと思う。この水害が一刻も早く終わりますように、被災者が早く通常の生活に戻れますように、水害の犠牲になられた方のご冥福をお祈り致します。 合掌

***2017.7.5 都議選 今月2日の都議選で自民党候補が次々落選した事が今後、大きな波紋を呼ぶような気がする私である。要因は、マスコミなどで取り上げられてる通りと思う。ある方のコメントで総理大臣は、”自分の気にいった人達には対応が素晴らしいが、そうではない人にはその正反対。そこの考え方が、応援先で言葉に出た。その点が今度の都議選での敗因の原因、そこをきちんと理解しないと砂上の楼閣である”との事。総理がどこまで理解力があるか知らないが、このコメントの中で”気に行った人達”という言葉に私は、自分を当てはめてみた。結局、私も総理と同じ考え方をしてるのである。この際、しっかりと考え方を改めないと大変な事態が待ってるという事。総理も私もしっかりと自分見つめをしないと取り返しのない事態に陥ると危惧する思いである。自分の気付いてないところを見る勇気が大切。そこから這い上がる勇気も大切。このような事を身をもって示していただき総理ありがとうございました。 合掌

***2017.6.30 50回忌 今日は坊守の祖母の50年忌 午前11時より法要を努めさせて頂いた。人生の中で50年忌を務める事は多く無い。その法要をするという事は、私達の人生に大きな意義があると思った。人生の半分であり、人としてのあり方、生き方を考えさせられた。祖母は信仰心が篤く、息子のために自分の好物のいかとたこを断って一心に祈願したとの事を耳にした。その思いが仏様に通じ息子は短命を免れ81年間の人生を送ったとの事。その話を聞く度、私は頭が下がる思いと怠けてる自分が恥ずかしい思いが脳裏を過る。祖母の一心さに学び、己の弱さと戦い、精進してゆかねばと自分の至らなさに鞭打つ想いである。この祖母のような思いを持ち、精進する方が今の日本では見られなくなった。仏様は、私達の”真”(まごころ)を受け取られる事を私も含め今の日本人は学び、行動する事の大切さを50年忌法要で改めて教えられたきがしてならなかった。ありがとうございました。 合掌

***2017.6.19 この間 先週、坊守との会話で女優野際陽子さんの訃報を耳にした。”ああ、又 想い出の方が亡くなられたな”との思いが脳裏を過ぎった。私は、学生の頃、”キーハンター”で彼女の存在を知った。あの頃の女性にしては他の女性より一歩進んでる感じを受けた。私の同級生が彼女に憧れラブレターを私が、代筆した事も思い出した。黒柳徹子さんと彼女は、60年の親友との事。黒柳さんが彼女の人生を”破天荒な人生”といってあったのが私には心に残った。いろんな人生がある。島倉千代子さんの歌にもある”人生色々”である。野際さんの人生に改めて学びたい。あれこれ考えずに考えた事を行動に移す事。彼女はこのような姿勢で自分の道を切り開き、自分の人生を生きたと思う。あなたがはつらつとした姿でアクションをこなしてた姿がつい、この間のように感じます。その姿も二度と見れない。過去の事となりました。又、一つ私の心に寂しさがふえました。”色即是空 空即是色”ですね。私も自分の人生を良くしたい。そのためにあなたから生き方の指針を示して頂いたと感じてます。ありがとうございました。あなたはスクリーンの中で主役をして来られました。私は自分の人生の中でしっかりと主役を演じたいと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

***2017.6.15 3感 昨日、諸用で車を運転中にラジオで感激した言葉というタイトルで加山雄三さんの話があった。彼は、私の幼少の頃の憧れでもあった。今年4月11日で彼は、80歳。テレビでまだ若大将の頃のスタイルでギターを片手に歌っている姿は、年を感じたけれど変わらなかった。どうしてかな?とわたしなりに考えてたところであった。彼は、3感を実践してるとの事であった。それは、何事にも関心を持つ。少しの事にでも感激をする。何にでも感謝をするとの事。この事は仏道にも通じる事とも思い、改めて私も精進する思いを強める機会にもなった。憧れの加山雄三さんをイメージして ありがとうございました。彼の長寿をお祈り致します。 合掌

2017.6.13 先週始め御礼で県内のある名刹を訪れた。梅雨とはいうものの晴天にめぐまれ、いいお参りをさせて頂いた。その寺の観音様は大変、素晴らしく久々お参りさせて頂いたのもあり、大変神々しく感じた。この寺は昔、修験道でも栄えた事もあり、山内には沢山の坊があったと伝えられている。その寺に養子とリ嫁でで入られた先代夫妻の精進の後が境内のいたるところに見られる。55年前そこの寺まで市内かたバス開通の記念写真が飾ってあったのが目についた。いろんな事を感じながら現代の状態の事が脳裏を過ぎった。先代や先々代の時代は大変な時代であったと思う。今は、便利になり安泰でもある。その安泰も日本全体でみれば下り坂。そこの住職との話の中、今をどう乗り切るか。この地区も過疎の波が押し寄せて来ている。バスの便も昔に比べると大幅に減っている現状。この事は私が住んでる地区も同じ。全世界で過疎化の問題が出てきている事も思うと先が見えず、やりきれない思いである。このような中、どう坊さんとして考え、行動していかねばならないかとの思いをいだき帰宅した。 合掌

***2017.6.4 1周期 今日夕方、町内の信者さんの母親の1周期に花を届けに行き、読経をさせて頂いた。その母親の件で信者さんはかかりつけの病院の院長との関係が壊れてしまった。読経が終わり、信者さん(亡くなられた母親の息子)とその件の事での話の中でほうれん草の話になった。報告、連絡、相談の事でどんな些細な事でもこの”ほうれん草”をあてはめればいろんなトラブルが軽減するとの事であった。今の社会の各界でのトラブルもこのほうれん草が今、求められてるのではないかと私は、感じた。他人事ではなく、今の自分にもピッタシ当てはまる事と思い、彼の家を後にした。 合掌

***2017.5.29 手伝い 昨日、当山の春の大祭明王祭りでおかげをもち無事終わった。前日の夕方仕事の都合で来れないある信者さんが申し込みに見え、久々なのでゆっくり話がしたかったが、明日の準備でそのような余裕がなかった。近況など話してる中で力のいる仕事があったので手伝ってもらい、信者さんがほかに何か手伝わしてほしいとの事だったので護摩堂と本堂の掃除を手伝ってもらった。昨日は明王祭りが終わり、昼食後信者さんとの懇談、参拝者との対談などしてる間に弟子と1人の信者さんが護摩堂のイスをふき、片づけてあった。その後、私が護摩堂の掃除をしてると鹿児島からこられた方が一緒に掃除を手伝ってくれた事 いい事が多くかんじられた。こちらから言わずとも信者さんがしてくれる。ありがとうございました。それと大祭には参加できないが早朝に参拝に来ていただき博多のおまおうというイチゴのお菓子をお供えいただいたかたのみ心から御礼申し上げます。午後、長崎から団体で来られ長崎でとれた魚のかまぼこをお供えいただいた方にも心より御礼申し上げます。皆様の幸せをお祈りさせていただきます。このような気持ちのいい思いをいただいたのも不動明王さまのほうびなのかな?とも感じた。ありがとうございました。

***2017.5.26 清掃 今週は当山の明王まつりの準備で何かと気ぜわしい日が続いている。昨日、朝日課の境内清掃中に感じた事。今の時期、竹の葉が感心なくらい毎日、落ちる。朝きれいにしてても夕方はしっかり散らかってる始末。竹の葉はある意味で竹の死体でもあると思う。私は竹の葉の死体処理係?このような事を考えながら気がつくと30年この寺の住職をしてる。掃除をしながら思うことは、季節の変化を感じながら1年が過ぎてゆく。その変化に心を通わせるながら今という瞬間を大切にとの事を最近、思うようになった。自分にに都合がよかろうが悪かろうが色んな出来事が起こる。お釈迦様は、”諸法無我”と説いてある。色んな出来事は、縁により起こる。との意味である。特に時分に都合が悪い時や事柄に楽しんで対処したいと思うこの頃、その瞬間は二度と来ない。だからこそ、楽しみたいと思う。もう初夏の様相。今年も半分に差し掛かって、早いと感じる。だからこそ時間を大切に使いたい。人生の仕上げに努めたいと思う。 合掌

***2017.5.18 月供養 今月11日小倉で月供養のお勤めが終わり、ある話から今月13日に福岡でマグニチュード7の地震が起こるとの事を耳にし、誠に不快であった。対策はしないと行けないので必要なものはいつでも揃え逃げられる準備をした。まだ細かいとこまではできてない。それから一週間が経とうとしてるが、地震は来ない。内心ホッとしてる反面、近々来る可能性は大きいと思う。私達日本人は、何の因果かわからないが、地震の多い日本という国に生を受けた。この事はそれらを通じ、心の学習をさせられてるとも思う。小さな国日本、日本人は勤勉だから第二次大戦の廃墟の中から目覚ましい発展をとげ経済大国となり、私達は豊かさを手にいれた。でも、その豊かさも陰りをみせはじめ、近年は、度重なる自然災害の被害でまだ、復興が遅れてる地域がある。豊かさに慣れた私達は、突然の変化に対応できるのか?と災害を通じ考えさせられる。何でも当たり前と思い生活できてる事をもう一度、考えないといけないと思う。そこに”ありがとうございます”の心がないから神仏の鉄槌(特に神様)がくだされてるとも思う。神仏に畏敬の念を持ち、しっかり私達日本人は、祭事をする事を改めて要求されてる気がしてならない。私達の先祖はそれをしっかりしてきた。だから今の日本があると思う。私達日本人は互いに考えないといけない。 合掌

***2017.5.17 100日 今日で私の親父がこの世を旅立ち100日が経つ。ところで親父さん大日如来様がみえましたか。時折、まだどこかで生きてるように思う事がある。肉体はないのに そう思い現実に帰ると寂しさがこみ上げてくる。私は、親父さん お父さんと呼べる人はこの世からいなくなった。なぜなら、坊守の父親の方が年は私のおやじより若いのに10年近く前、旅立って行ったからである。”お父さんそらないぜよ”との思いである。世の中、理屈どおり行かない。そこには宗教的な意味があるようにも思える。人間の”業”とも思え”輪廻転生”の世界を感じる。だからこそ人との出会いを大切にとの考え方になるのだろうと思う。私と親父もそうだと思う。親子としてこの世で暮らした事、この人を父親として生きて来た事、何かしら意味があると思う。親子として色々あったが、”親父さん良い事も悪い事も教えてくれてありがとうございました。私は、それを指針としてこれから人生の仕上げをしてゆきたいと思います”との思いで今から100カ日の供養をさせていただきたいとの思いである。 親父さん 観音様と共に大日如来様のマンダラ浄土目指して旅して下さい。合掌

***2017.5.12  言葉 37年前の今日、宗道臣先生が遷化された。先生の言葉に”半ばはわが身の幸せを 半ばは他人の幸せを”とあった。ややもすると今の時代は、わが身のことばかり優先。他人は後回しである事が多い。わが身がだれでもかわいい。それと同じく他人もわが身がかわいい。だからこそ他人に良くすることがわが身にもかえってくるとの事。ここに互いがともによくなってゆくという事になる。これが仏教の教えにもつながってゆくと思う。この考え方は、弘法大師が掲げてある”密権国土”にもつながるとも思える。一人でも多くの人がこのような考え方になれるようお祈りいたします。先生、私たちをしっかり見守って下さい。先生のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

***2017.5.10  久々 先月は何かと行事に追い回されブログを書く暇もなかった。気がつくと5月も半ば近くで年も1歳増えた始末。誕生日の日はそれどころではなく、今月1日より高野山での法務があるのでそれの用意や月末という事もあり神様のお供えものなどの事で大忙し。そのような中で北朝鮮の事も気になる。近隣国でもあるので万が一の時の事を思うと胸が痛む。どうして人間は戦争が好きなのか?やめれないのか。人間の業なのか。北朝鮮のやってる事確かに違法。過去を思うと日本にも責任があるようにも思える。歴史を遡れば、秀吉の朝鮮出兵、日本の半島統治。その後敗戦米国と旧ソビエトの半島での戦争等で国土が二分された事に対する日本へのマイナスの思い。それらを避けては通れないと私は考える。今日、韓国の大統領が決まった。北朝鮮に友好的な大統領である。さあ、これからどう動くのか。平和的にいつてもらいたいと祈るだけである。たった一人の感情的な思いが多くの民を迷わせ罪を作るような事はしないで貰いたい。その思いでいっぱいの私である。 合掌

***2017.4.23 愛 毎朝の勤行で愛染様をお参りして縁結びの方の祈願をする時、思う事の一つに”愛” とは何かとの問いにつまずく。わかってるようで分かってない自分の姿がある。最近になりその愛染様の姿を見て感じたのが、顔に近いほうの手に蓮華と三鈷杵をもってある姿。蓮華は極楽浄土をイメージし、三鈷杵は真言密教で説く三蜜つまり身、口、意の三つのを 清める意味がある。三蜜の修行を積むと心が 極楽浄土の境地になり、笑いがでてくる。笑いが出てくるとは余裕がある事。そうすれば許す心も出てくる。相手を許し、認めてあげる事も”愛” の一つではないのかとの事である。 合掌

***2017,4,17  助ける 今日は朝から北朝鮮の事がネットに上がってるので見て困った問題と思い、気が重かった。夕方ニュースを見てると77歳の男性が踏切に入っていったのでそれを助けようとした52歳の銀行員の男性が77歳の男性と共に列車にはねられ亡くなった事。このニュースを聞き、私は何ともやりきれない思いであった。なんで助けようとした人が死ぬのか。誠に理不尽というか無情というか。その52歳の男性は職場でも面倒見のいい人だったらしく多くの人から慕われていたとの事。だからこそその死は誠に残念でならない。このような人に永く生きて人の支えになって欲しいのにとの思いが募る。

この方はしっかり徳積みをされた方とも思える。この世での役目が終えあったので次の世界に呼ばれたのだとも思った。じぶんだったらとっさにそのような行動がとれるのかと思うと自信がない。彼は真の勇気のある人と私には思えた。ほんとの人としての人とも思え尊敬に値する方でもある。死を持って私たちに説法された事しっかりと胸に刻みたい。心から事をするように精進したいと思った。彼のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

***2017.4.16  残り物 今日は私のわたしのお袋の命日。墓掃除にゆき、お供え物をして寺に帰り、本堂にお袋の位牌、お供えの鼻を供える準備をしてると2ヶ月ぶりに当山に預けられた不動明王を参拝にこられた方がみえた。彼は、ガンが見つかりその治療で入院してたが、10日程前に退院した。客間に通し、お茶と菓子を出し、色々な話の中で”よく残り物ですがよかったらどうぞ”とものを出す人がいる。彼の知人がこのような言葉をかけられた時に”残り物ならその辺の土にでも供養のため供えて”と答えたとの事。彼が”仏様にお供えしたお下がりです。よろしければどうぞ召し上がって下さい。という言葉をかければ人は気持ちよく答えてくれる”と言った。この事から私はこころくばりというのを学習させられた。坊さんはとかく人様からいただきものをする。つい、慣れから表面だけで言葉を言うことが多い。(全部の坊さんがそうではないが、特に私がそうだと思い恥でもある)心から言葉を使う。態度に表す。まさに心の修行をさせられてる気がしてならない。この参拝者とはなしたのも何か意味があると思う。不動明王の演出かとも思った。心の修行の大切さをこの私に分からせるために。 合掌

***2017.4.15  見守り 昨日から茨木で起きたベトナム国籍の小学生殺人のニュースが流れている。なんと犯人が分かった途端唖然とした表情が関係者のもならず国民の間にも広がった。被害者が通う学校の生徒の安全を担う見守り隊の会長が犯人だった。この事は何もこの学校だけの問題ではなく私達日本人の一人一人の問題でもあると私は思う。学校の父兄からの信頼の失墜は免れないと思う。子供達の安全を人一倍考え、行動してる方々にとり誠に悲しく、残念な事と思い、私の胸は痛む。

この犯人は謝罪などでは到底済まされない。地獄巡りツアーを閻魔様から勧められる事間違いなしと思う。人から信頼される立場の人が何故、このような事件を起こすのか考えられないのが夜の常。仏教では十善戒を説く。私たちは気が付かないうちに体と口と心で多くの罪を作ってると。だから何はともわれ日常生活の中での懺悔が大切になってくる。その行動のない人は、どこかでひどい目に遭う事が多いようである。中でも心の中の思い程怖いものはない。中でも憎悪の念が、私達の日常生活で多くの惨事を起こしてると私は、思う。

こういうふうに考えると今回のこの殺人事件の犯人の心の中が何らかの病原菌で侵され機能が麻痺してたと思う。早く自分の心のあり方に気づいてほしい、改心して人の心を取り戻してほしい。この事は私達各人にも当てはまる事と思う。だから一日の始まりには感謝、終わりにも感謝と懺悔、反省が大切に感じられる。常に心していかねばならないと感じ、犯人の心の病が早く癒やされる事を祈る私である。 合掌

***2017.4.14 1年 ちょうど1年前の今頃、突然地響きがして大地震の警報が役場からな布流れた。遅いでテレビのチャンネルを回すと震源地は、熊本。私は阿蘇山が大爆発を起こしたと思った。その日から1年がたった。まだ東日本震災から間もないのに九州のど真ん中がやられるとはとの思いでいっぱいであった。すぐさま熊本から参拝になる方々に電話を入れた。つながらないとこもあったが、私の寺に参拝する熊本の方々は無事であった。今だに多くの方々が避難生活を余儀なくされてる状態。

自然災害のむごさに恐れおののくばかりであり、そこには自然の恐ろしさも感じられた。だから昔の人々は点を仰ぎ拝んでたのだなとの思いが脳裏を過ぎる。太古の太鼓の昔、九州は来たと南に二分されてたそうで阿蘇山と桜島の同時爆発で一つになったとの事。この事は天岩戸の伝説からうかがえるように思える。この事から私達は、もっと自然に理解を示し、感謝の念を深めることの大切さを神様から指摘されてるように思える。

”自然の中に住んでやっている”との考え方を見直し、”住まわさせていただいてる”というふうにしてゆけば災いも減ると思う。少しでも早く、復興してほしい。多くの人に九州観光に来てほしい。最後にこの熊本、大分地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。併せて早期復興もお祈り申し上げます。 合掌

***2017.4.10  新学期 春は別れの季節でもあり、新しい出会いの季節でもある。初めての出会いの時は、どことなくとつきにくいと感じた人も共に行動したりする中でその人の事が分かり、段々と味が出てきて親密さが出てきた時に別れがやってくる事は人生でよく体験する。こんな事ならもっとよく付き合っとけばとの思いが後から出てくる。”袖スリ合うのも他生の縁”という 人との出会いは何かそれなりの意味があると思う。その縁の良し悪しに関わらず受け入れてゆく事の大切さを感じる。そうやって人生を楽しんでゆく考えが仏法であるとも感じるこの頃である。 合掌

***2017.4.9 良縁 毎朝本堂内の愛染さんの前でのお参りで感じる事は、愛染さんの持たれてる矢と弓である。これはどんな意味があるのかを考えてた。ある朝、自分の心の中をじっくり見て心を曇らせてるものを捉え、確認する事の意味かと感じた。その原因が分かればしっかりと腹を据え、それと向き合い、戦ってゆく事とも感じた。その思いを克服した時に祈願成就、良縁が訪れるのではないかとも感じた。自身の心の闇と戦うのであるから並大抵の事ではないと思うが、これも心の学習と捉えるようにきがんしゃにも思いを送る私である。 合掌

***2017.4.3 高校生 先月28日より今日3日まで当山では修行体験で広島の男子高校生を預かった。最初はどんな子かなと思い、駅まで迎えに行った。彼は初対面の割には私に色々と話しかけてきた。今まで接した高校生とは違っていた。一週間を通して感じた事だが母親のしつけがされてるのか大人のような面もあった。私の高校時代とは雲泥の差と感じた。私は彼ほどなく1を聞いたらその半分も理解できない提唱であったと思う。彼の親は服を製造し、販売する仕事であり、自分も将来は後を継ぐかも知れない。今は、目的がはっきり定まってない。と話していた。私は、彼が当山で修行体験した中から得たもので自分の目的を見いだせる事を祈る。押し付けでするより、自らやる事に期待をしてる。こう思うと中学時代に”自主性を持て”と親父からある事で叱られ説教された事を思い出した。彼の長所は素直な点と感じ、それはそのまま神仏の心にも通じると思い、彼がこの寺に来たのは神仏から私の心の学習のために呼ばれたとも感じ、朝9時の列車へ乗せ見送った。何か寂しさも少し残った気分であった。合掌

***2017.3.27 49日 今日は私の親父でもあり、当山の老僧の49日。法要が済み私と息子と私の弟の3人で墓に納骨に行った。私は後からついて行った。二人の後ろ姿を見て一人は私の弟、もうひとりは私の息子。子供だった息子がおじと共に歩く姿。私の弟が今年還暦。その二人の姿から時代の流れ、時の流れを感じずにはおれなかった。幼少の頃、親父に連れられ兄弟で盆に送り火を焚き墓に行ってた事を思い出す。年月は経ってもこの地の景色は変わらない。こうやって親から子へ子から孫へと事が受け継がれてゆくのだなとしみじみ感じた。もう親父もいないのだなと。お袋はとうの昔旅立った。こうやって私も人生の深みに入ってゆくのだなと。男としての本当の独り立ちとも感じた。人生の仕上げの時期かもしれない 合掌

***2017.3.24 好き 今日までが彼岸と思ってたら昨日で春の彼岸が終わった。彼岸中、信者さんの仏壇参りの途中、車のラジオで宝塚出身の」森ちあきさんの話があってた。彼女は宝塚という過酷なところでの経験から”自分を好きになること。自分を褒める事”そうする事で次の活力が湧いてくると。”一日が終わったら自分の体に今日一日をありがとうと声をかける”との事だった。彼女の考え方に私も同感である。私は毎朝、洗面後に鏡に写った自分の体に”ありがとうございます”と笑顔で声を翔ける事にしている。人に迷惑ばかりかけてる私を支えてくれてる全てにありがとうございます。生きるという事は周りのものに迷惑をかけている事とも思う。だから他人から迷惑をかけられたら不快に思い、感情が高まる。だからこそお互い様ではないのかとも思う。そこかた許すという考えが生まれる。許すと心がらくになり、体の不調もなくなる。そう考え精進をする事が修行であり、心の学習とも思うこの頃である。合掌

***2017.3.22 拝む 毎朝勤行で愛染様を拝んでる時、いつも思うことがある。それはこの仏様には手が六つある事。その中で最初の両手に五鈷と鈴を持ってある事。私なりにその姿から感じるのは、五鈷という仏具は、私たちの心の奥の潜在意識の世界を意味し、そこには過去世の色んなデーターがあり、その中に自分以外の事柄を大切にし、自分の同じくらいその事柄を思う心もある。その思いが”愛”ではないか。そのことを気づかせるのが片方の手に持つ鈴杵ではないかという事である。愛染様のどことなく険しくも悲しそうな姿は、私たちがその事に一刻も早く気づいてほしいとの思いの表れとも感じられる。 合掌

***2017.3.18 愛染さん 先週の日曜の朝勤で本堂内の愛染様を拝んでる時の事。いつもながら良縁祈願の方々の名前を唱えながら愛染様は愛を説く仏様。でも顔つきは優しくなくどことなく厳しくもあり寂しくもある表情に私には感じられた。第一番目の両手には五鈷と玲。二番目には弓と矢。三番目には三鈷と蓮華。いじょうの仏具や道具などを持っている。その事から愛を説かれてると感じた。愛とは単なる恋愛だけを強調してるのではなく、私たちの心に巣くう色んな煩悩と戦い、それらをクリアして穏やかな心を得る事ではないのかと感じた。愛とは何ぞやとの問いかけが毎朝の勤行で愛染様をお参りしてる時、私の脳裏を過ぎる。 合掌

***6年 2011、3.11この日は私達日本人に取っては忘れてはならない日となった。東日本大震災の日である。14時46分に発生多くの人命や財産を奪った。その後被災者の生活も様々。最近、横浜で起きた被災者に対しての差別的な態度が問題になっている。私もその事で心が痛む一人である。その被災者も好きでそうなったわけではない。それなのになぜ、そのような仕打ちをされねばならないのかとの思いがいつも心にあり、まさに生き地獄の思いであると思う。何もしてあげられない自分が情けなく、悲しい思いである。そのような境遇のなかでもその方は粘って生きてほしい。あなたが悪いことをしたわけではない。自身を持ち生きてほしいとの私の思いである。人はあなたを冷たくあしらってもあなたがまっとうに生きてれば神仏があなたに味方してくれる事を信じてしっかり生きてほしい。私の願いである。震災6年目の今日このような思いを持ち読経させて頂いた。 合掌

***2017.3.6他人 本日早朝から遠賀郡の岡垣町まで供養に出かけた。そこから時折お参りされる先生の母親の23回忌の法要を昨日依頼されたからである。法要後、先生と妹さんとの話で”自分の事は自分が一番知ってる”と言い、”他人が忠告しても言い訳、弁解をして素直に話を聞かない人程、自分が分かっていない”との事。その話を聞き、今の私にあてはまる事と感じた。今日呼ばれたのはそのような意味があると感じた。人の言葉は、耳をほじって有り難い気持ちで聞く事。今の私に不足してる事を教えるために呼ばれたとも思う。先祖様や神仏の図らい、シナリオには驚かされる。頭が下がる。ありがとうございます。もっと謙虚な心になって人生の仕上げをしよう。 合掌

***2017.3.5 よなのか(47日) 明日で当山の老僧こと私の親父がこの世を去って47日(よなのか)。思えばあっという間の出来事であった。理屈では分かってても他人事のような気がしてた。昨日いつもの如く親父の霊前に座り、線香お供養し読経してる時、生前の親父の声、しぐさ、表情などが脳裏をかすめた。もう、その姿はどこにもない。生前のいろんな事は何だったのかとの思いが募ってくる。不思議なものを感じる。その不思議なものこそ神仏ではないかとも思った。真言密教の本尊様でもある大日如来が形、顔、言葉、表情などを表していたとも感じた。私の親父自身の人間世界を生きてゆくための体はその役目を終え、白骨となった。反対にその精神は今も生き続けてる。私達が人間界に生まれたのも心の修行のためと言われる(高橋信次先生)親父はこの世での修行を終え、次はどの世界へ行くのか。その世界で13年前旅立った私のお袋、8年前旅立った私の義父、養父母、生みの親とどのような縁をもつのか。みんなで笑顔で仲良くして貰いたいと思う私である。 合掌

***2017.3.4 おつとめ 今朝いつもの様に朝勤行の時、位牌堂に古い信者さんが信仰してた地蔵尊をお参りしてる時の事。その方々が当山に参拝されてたのがついこの間との思い。思いとは別に年月は40年以上も前の事。篠栗霊場もその時分に比べれば色々な変化を遂げた。札所の移転、遍路道の新設、八木山バイパスの開通、国道201の通行量の減少、霊場守堂者の変遷など我が家でも祖母、お袋から今年親父までがこの世から旅立った。お釈迦様が説かれる”諸行無常”そのものである。そのような思いが地蔵菩薩をお参りしながら脳裏を過ぎった。今後、時分は物事をどう捉え、どう考え、生きていかねばならないのか。自分の人生の仕上げを着々と進めて行かねばと思う。地蔵尊と同じ私もこの寺の古いものになってゆくのだなと思いが募った。 我が体 仏と共に 古くなり 合掌

***2017.3.1 弥生 今日から弥生3月。私が出た高校も今日が卒業式。この月は別れの季節でもあり、新たな出会いを迎える月でもある。四国遍路で最後の88番大窪寺を打ち終えた後の喜びはひとしお。もう来る事はないと思いつつ1番札所霊山寺も前を通ると何かしら又参りたくなる心境になる。何か不思議な感じを受ける。この事は今まで何度も新年を迎え別れと出会いを繰り返してきた人生と似てる気がしてきた。又この事は私達がこの世を去り、次の世界に行き縁あって又、人間界に生を受ける事にも似てると思う。仏の世界マンダラ浄土とこの娑婆が同じでもあると最近感じるようになった。別れを寂しがるばかりでなく新たな出会いの始まりと考えれば楽しさが出てくるとも思う。人生楽しく送らねば損であると思うようになった。どんなに苦しく、情けなく、悲しくともそれらが永く続く保証はない。それらを心の修行(前世の借金を返す事)と思い、クリアすれば楽しい次の世界が待っていると考えれば楽にそれらを乗り越えられるのではないかと考える私。辛いことと楽しいことは隣り合わせ。幸福と不幸も隣り合わせ。人生うまく設計されてる。苦しいこと、悲しいこともあまりその感情だけにのめり込まずゆとりをもち対処してゆきたい 合掌

***2017.2.26 息子 今日は祈願祭。長男も次男も護摩の助法をしてくれた。その後、昼食をとり、次男は高野山へ出発した。3月1日より100日間の加行に入り、真言密教の阿闍梨の資格を取るためである。去る5年前、膝を損傷してからの再度の挑戦である。ゆく前より読経や作法の勉強、教理などを自分なりの計画を持ってしていたようである。彼がどのように変わって帰郷するのか思うと楽しみでもある反面、不安でもある。子供時代の感覚が抜けない私でもある。子供が成長した分、自分は年を取ってる。うかうかはしていられない状態。どう考え、どう接してゆくのかが課題でもある。おやであり、師僧でもある私 これからが新たな事の始まり 親として師僧としてどう考え、前に進むのかが正念場でもある。心してゆきたい 私自身も人生の仕上げとしてふんどしの紐をしっかりと結び直し、精進してゆかねばならないとの思いで息子の後ろ姿を見送った。 合掌

****2017.2.20 人生 もう親父がこの世を去り今日で二七日 文殊菩薩から今頃裁判を受けてるかと思う。私のおふくろがなくなり、施設に親父が入ってから今まで思いもしなかった親父の過去、生い立ちの事が脳裏を過るようになった。親父は現在の筑紫野市山家に1924年元旦生を受け、10ヶ月目に父親を破傷風で亡くし、それから母親が篠栗の拝み屋石橋香岳とその内縁加藤ナリの養子になった。親父の幼少、青少年時代の心の中を思うと悲しく、寂しく、辛く、悔しい思いを多く体験したと思う。そう思うと私はいつしか目頭があつくなり、頬を熱いものが流れてるのを感じた。激動の時代を生き抜いた親父 親子の縁薄く愛情も感じることもなく生きてきた親父 だから人を大切に人から嫌われないように生きてきた親父に私は頭がさがる。そうしてきたおかげで人からは慕われいい人と思われて来た。それが親父の人生。だから人の痛みや悲しみや寂しさがわかってたと思う。だから人という財産をしっかり作ったと思う。そのあなたを見てこれからどう私が人生の仕上げをするかがこれからの仕事。自分がどう変わり、人として値打ちをつけるかを 親父さん、見守って下さい 合掌

***2017.2.13息子より 先週は早く感じた。当山は檀家寺ではないのにとにかく葬儀の連続であった。北九州のある寺の住職の葬儀、当山の檀家の葬儀、当山の老僧の葬儀とめまぐるしかった。だからブログまで手が届かなかった。今日、少し余裕ができたので書いている。中でも当山の老僧のが一番比重がある。老僧は私の父でもあり、戦中戦後を生き抜いて来た男でもある。それだけに私の心の中の羅針盤でもあったと思う。父親と息子といっても男という点は同じ。色んな手続きや諸々の雑務の中にも色々と思い出す事があり、そのたびに目頭が熱くなる。幼少の頃”男がすぐ泣くな”や高校時代の先輩が”男は親が死んだ時以外はなくなよ”との言葉の影響もあってか泣く事を我慢してたのか親父の事を人に話してると泣き声になって喋ってる自分に気がつく。”親父さんあんたが死んだ時くらい泣いていいだろう。男親がいなくなった時くらい同じ男だからいいだろうと”つぶやきながらの私である。施設で7年間世話になってた親父。帰る時、必ず親父の手を握って帰ってた。いつまでこのひとの顔がみれるだろうかと思えばである。その手でどつかれた事も何度もある。悔しく、恐ろしく、憎たらしくもあった。反対にその手でしっかり支えてもらった事もあった。親父の同級生の友達の手とは感触が違う手 それは世界に一つしかない私の親父の手 もうその手に巡り合う事はない そして私には”お父さん”と呼べる人はいなくなった。私の家内の父親は私の親父より4歳若かったが8年前81年の人生に幕を閉じた。義理の親父にもっと生きてほしかった。でもそれも人の定め。親父さん”いいことも悪いことも教えてくれてありがとう 男の優しさを教えてくれてありがとう あなたは辛い人生をしっかり生き抜きました 93年と1ヶ月の人生お疲れ様でした 大日如来のもとを目ざして旅立って下さい” (あなたの息子より)合掌

***2017,2,2 十夜が橋 四国の大洲インターのすぐ真下に番外札所十夜が橋がある。その地で弘法大師が修行の折、一晩の宿を願った所、断る人ばかりであった。跡からその地の人々は、明日食べるものにも事欠く生活をしてた事で大師は仕方なくある橋の下で一夜を明かしたとの事。その地の人達の苦しみを思うと一晩休む事すらできず、一晩が十晩くらいに感じられた事からそこに寺が建立され十夜が橋と言われるようになったとの事。お大師様が民衆に対しての深い思いがこめられている場所でもある。その時、読まれた歌は今朝の一口法話に書いていました。このような事から四国遍路の時は、橋の上では杖をつかない事になりました。いつも私達の為走り回られてるお大師さまにゆっくり休んでいただきたいとのお大師様にたいしての思いやりの心でもある。ありがとうございます。弘法大師様  合掌

***2017.2.1  星祭 先月最後の日曜29日 当山の星祭であった。天気が少し思わしくなかったが何とか盛大に終える事ができたことに心より感謝である。思い起こすと年末から星祭の案内はもとから正月行事の案内、会報の発行に向けた準備、正月の準備など慌ただしい中を星祭の御札の事を考えながらの1ヶ月。過ぎてしまえばあっという間である。毎年の事ながら大忙しの月でもある。このような忙しい中を私達の先祖は、新年を迎えるための準備をしてきた事を思うとその心に頭が下がる。と同時に私達世代が次世代に過ぎゆく年に感謝し、新しく迎える年を快く迎える事を伝えて行く義務を感じる。自分達の親がよく口にしてた言葉、態度を今、自分が口にしたり、行動してたりする。こうして人は年を重ねるのかと最近、感じるようになった。今年は、まだあると思ってた時間は勿論、事柄もすぐ目の前に現れるので、心していきたく感じている。今までの対応とは別な対応が迫られてる事も感じる。今、思った事や感じた事は実行に移すように心がけたい。そこから新たな発見が生まれ、自分の人生がプラスの人生になるように精進するのみである。

***2017.1.21 寺子屋 今年始めてのよしき先生ギャラリーでの寺子屋 講師は飯塚市の教育委員会のかたでもと小学校の校長をしたあった女性。彼女は、現在の飯塚市の教育の取り組みや小学校の児童の虐待やいじめの問題に対しての様々な取り組みなどを熱心に話していた。その講演の最後のはなしで”うさぎとかめ”の話で結果的にうさぎはかめに負けたのはご存知であろう。うさぎがかめがのろいから自分には勝てないと甘く見て、少しくらい休んでも大丈夫とたかを括ってた。反対にかめはのろいけど相手はうさぎだけでなく誰でもよかった。ただ、山の頂上のゴールに辿り着くのが目的であった。だから勝ち負けは頭になかったとの話。なるほど、物事諦めずにやりとおす事の意義を教えられた。私は、この話を聞き、自分を恥じた。何事も当たり前と思っていつの頃からか行動してた事。初心を忘れ自分流に考え、行動してる事などそのよういな積み重ねが自分を蝕んでいる事などである。今日は、そのために神仏やご先祖様が来週に迫った星祭の諸準備で忙しい中、私の心の浄化の為、寺子屋に行かせたのだなとも感じた。ある小学1年の生徒が”私がかめだったら寝ているウサギさんを起こして山の頂上までゆくのに”との話。この話からクルヨンしんちゃんでもこのような場面があった事やある整体師の息子が徒競走の時、最後の人間を待って共にゴールまで完走した事などが脳裏をよぎり、人の心の温もりを感じた。この1年生の心がそのまま育つことを祈る気持ちでいっぱいである。自分も原点に帰って歩く事であるとも感じた。ありがとうございました。

***2017.1.15息子 先週の中頃、町内に住む信徒総代の奥さんが星まつりの申込書を持参した。久しぶりの対面で子供の話になった。彼女の次男は現在横浜の大手の企業の社員。ことしの春ごろ、現在の都と勤め先を辞め自分で会社を起こすとの事。両親もその息子の仕事を手伝う事になるとの事。頼もしい男になったと思った。学生時代は野球部の主将 町内の悪ガキは彼の一声で行動してたとの事。彼は幅広い心の持ち主だったようでそのような面が社会に出てプラスになってるようである。久々気持ちのいい話を聞いた。私の息子と同じくらいの年齢ではあるが、なかなか見どころのある男である。これから先が楽しみである。このような大きな人間になるように男を磨かなっくてはならない。改めて男の度量を教えてもらった気がした。うかうかはしてられない。常に精進 合掌

***2017.1.8大工さん 今日は月齢供養祭。終了後信者さん型とさん方とお時を頂き、雑談中来客。なんとこの本堂を始め、境内のかくお堂を建立した町内にすむ大工さん。新年の御札を求めにこられ、私は彼としばらく話した。彼は、15歳の時、ものづくりに興味を覚え、22歳から大工の見習いとして弟子入り、修行。50年の歳月が流れ今がある。その中で”私は笑顔で人に対応するのをモットーとしてる。笑顔でいれば人が来てくれ相談してくれる。それを真摯に聞き、実行すれば仕事になり、その方がお客さんになってくれる。私は、人と笑顔で対応することを楽しみにしている”との言葉。なんとプラスで前向きな人だろうと改めて感じた。そのような話を聞くとこちらも楽しくなってくる。この事がこの世を極楽浄土にする事にもなり、弘法大師の解かれる”密厳国土”の建設につながるとも思え、今の私に対して仏界からの説法にも感じられた。私の心の中のボルテージが上がってきそうな言葉でもある。ありがとうございました大工さん 又、話にきて下さい。 合掌

***1.4信徒総代 今日の午後当山の信徒総代が、自分達夫婦と息子夫婦で新年の参拝にみえた。総代も80歳ついこの間まで若いと思ってたのがアッと言う間におじいさんである。彼も昨年病にかかり一時、生死をさまよったそうである。その体験も色々と語ってくれ、一昔の彼と比べると人間に丸みが出てきた。年を重ねるとはこのような事なのかと還暦過ぎのひよこの私には感じられた。彼は、経文を暗記してなくとも心で”南無阿弥陀仏”と唱える事。常に”ありがとうございます”と手を合わせる事が最近、多くなったと話していた。そして人生を楽しむことでもあると。良い年の重ね方の見本でもあると思えた。顔しかめても笑っても一日は同じ、一生も同じ。ならば笑い顔で人生を送ろう。良い人生に築きあげよう  合掌

***1.3親、子、孫 今日夕方又、親父のとこへ行った。元旦は私と息子2人で行った。ふと脳裏をかすめた言葉に親から子、子から孫への言葉であった。元旦の初護摩で息子2人が助法してくれ、ふたりとも声は大きく聞いてて気持ちが良かった。ついこの間まで息子が座ってた場所に親父がいたのが、今はその姿はなし。その親父は今、ベットで横になり、満足に口も聞けない。そこには仏教でとく”諸行無常”の言葉の意味が感じられる。このようにして時が流れ、時代が変わって行く。だからこそ今、何ができるかを考え行動してゆく事が人生を充実したものにするとの思いを持ち、精進してゆかねばならないと感じた。 合掌

***2017.元旦 今日から新年の幕開けどんな年になるのか。今日は親父の誕生日93歳、すごい事である。糖尿病と付き合いをしながらの事だから半端ではない。夕方、法務を終え、私と息子2人とで親父のところへ行った。いよいよ食事を受け付けなくなったので鼻から栄養補給である。激動の時代を生き抜いた姿、色んな体験を続け、今という瞬間を生きてる姿。親父は何を思ってるのか、どうしたいのかなどに思いをめぐらした。人は死ぬまで修行というが、このような状態でも修行なのかと思うと厳しくやるせない。これも私達の先祖が体験したみち。今、親父がその道を歩こうとしている。私は、その姿をしっかりと見ときたい。いずれ自分も同じ道を歩く身だから。そう思うと今、やれる事を精一杯やることに思いがゆく。愚痴不満を口にする暇を別のプラスの方向へ向ける事の大切さを親父が教えてくれてるようにも感じた。できるだけ永く生きて下さい。もう少しあなたの顔を見ていたい。そしてあなたに話しかけたい。私の思いを伝えたい。 合掌

***12.31夕日 今日で2016年も終わり 変化の多かった年でもある。そのような年が暮れようとしている。皆新年を迎える準備で忙しい。私も同じく超忙しく、今年は余計に忙しさを感じる。昔、南蔵院の住職が、”初日の出を拝む事は、皆競い合って出かける。反面、大晦日の沈む夕日に手を合わす人は何人いるだろうか”との言葉が脳裏を過る。超忙しい中、夕方の5時20分の夕日に”今日一日ありがとうございました。今年一年ありがとうございました”と合掌し言葉を唱えた。お天道様もありがたい存在のひとつであると改めて感じた。

***12.28懺悔 今日は28日。真言宗寺院では今日が護摩の日であることは常識である。私も毎月28日は、護摩を修法させてもらっている。ふと今日28日護摩の終わった時点。これまでの人生を振り返ってみれば、自己のマイナス面ばかりが増えてくる。毎朝の修法。その時に必ず唱える十善戒 信者に守るように偉そうに言ってる本人が、守ってない現実。神仏からのお叱りは厳しい。やはり、人間だからといい片時も心に油断があるとその隙間から入ってくる”魔”。これは僧俗問わず平等にやってくるのではないかと思う。”魔”というとマイナス世界を代表するものと私は、思う。僧侶は、常日頃からそうならない為に修法があると思う。だから生きてる限り、我々は懺悔が必要に感じた。自分がきついなと思うときにこの”魔”たるものが我々の心を狙っているとも思えた。その怖さを感じる事は大切。でもそれにビビッては何の効果もない。一つ腹を大きく持ち、縁ある事柄に縁ある人との触れ合いに前向きに対応できる僧侶を目指して精進の必要があると感じた。 合掌

***12.26食欲 1週間前親父が床ずれが原因で今日発熱し、施設からその近くの病院に移った。今日病院から連絡があった。食事が喉を通らないので点滴をしてるとの事。夕方親父のところへ行った。担当の看護師に訪ねた所、5口ほど食べたあとは欲しがらなかったとの事。喉の筋肉も衰えて来てるのかと思うとやるせない。やはり、食欲とは大切だと感じた。そういう自分は昼食後に甘いのが欲しくなりどら焼きを2個たべた。食欲があることは喉の筋肉がしっかり働いてる証拠であると感じた。改めて食べれる事はどれだけありがたいか。恵まれてるか。幸せかと感じた。そのような働きをしてくれる事にありがとうございますと合掌した。 合掌

***12.21 しまい弘法 今日朝勤で大師堂でのお勤めの中で2日前の21日(終い弘法)先月縁あって当山にマンダラを奉納された兄弟が参拝にこられた。私も毎日、大師堂でお勤めさせていただく時に思い出す兄弟である。今年夏遷化された兄弟の母親がとても信仰心の厚い人で自宅でマンダラも拝んであったとの事。そのマンダラが粗末にならないようにと当山へ相談にこられたのであった。縁あってそのマンダラが当山に来る運びとなり、先月の21日に引き取りに伺わせて頂いた。そこで当山大師堂にお祀りする事となり、この1ヶ月間毎朝行法をさせてもらっている。その方の母親の遺徳を曇らせる事のないように精進してゆく事を自分自身に言い聞かせてる私である。

***12.22 お勤め 昨日朝勤で護摩堂でお勤め中、護摩堂が完成するまでの事やその後の護摩行の事が脳裏を過ぎった。もう完成してから何座護摩を修法したろうか。その時は、大変でも過ぎてしまえば大した事でもない。十善戒の事を最近、信者さん方に説くようになった。人間、油断すればすぐ心に魔が入る。そうなれば善人だった人が突如として凶悪な人に変身してしまう。誠に恐ろしい事である。ヨーロッパの狼男を思い出す。この事も今述べた事と一致するようで心のあり方は、国境がないようである。このような人の心の状態を知って弘法大師様が、十善戒を重視されたのであろうと私は思う。高野山の大師教会の授戒道堂があり、参拝者が授戒を受けるのもお大師様の思いが表れている。僧侶とか在家とかに限らず生きてる人すべてにあてはまると思う。そこの先頭に立ち、信者を指導するのが僧侶である。その僧侶の一人の自分はどうあるかと思うと頭が痛い。何回護摩を修法しても滝にかかっても真の意味で心が清淨でないと神仏には通じないと思う。心の浄化の大切さを思い知らされたようにある。 合掌

***12.19父母感恩和讃 ”ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 門出の父の御姿を 幻のこと想い出で 優しき母の面影を 涙と共に浮かべたり 夕闇せまる奥津城に せつなさ語る兄妹を 諭す法の師声さえて み空を翔ける鳥一羽 父かとぞ思う 母かとぞ思う” と御詠歌にある。今月7日の御詠歌のコンサートど詠われた和讃。当山から参加した信者さんが感銘をしてあった。この和讃を以前聞いたときから私は、親父の事が何か思い出されてくるのである。親父は、今施設に厄介になって7年。幼少の頃からの想い出が色々と思い出されてくる。昔は、マオナス面ばかりが思い浮かびそのような思いばかりえあった。年月が経つつれ愛おしくもあり、なつかしくもありという思いが出てきた。今日あたりは親父の顔を見に行きたいと思っていた。昼過ぎ法事から帰り坊守から親父のことを聞いた。今朝熱が出て系列の病院へ入院したとの事。夕方、病院を訪ねたら親父は寝ていた。もうどれ程命があるのかなとの思いが頭をかすめる。できるかぎり顔を見たい。話をしたい。その思いがつのる。世界で一人しかいない男(父親)と思えばなおさらである。寿命のある限り生きてもらいたい。お願いします。その思いを胸に病院をあとにした私であった。親父さん又、明日も来るよ。 合掌

***12.12希望 昨日のテレビである自閉症の作家の事が放送されてた。自閉症は話には聞いていたがよく理解してなかった。自分の気持ちが他人に理解してもらえず、絶えず他人との事でトラブルを起こし、自分を追い詰めてゆく状態であるとの事である。ある自閉症の作家の事がをテレビで知り、彼はパソコンをしたり、物を書いたりする能力はある。唯、言葉でうまく表現ができないだけではないかと思った。心では相手の奥深いところをしっかり見る洞察力は一般人より秀でていると思った。彼は、自閉症に関する本を書き欧米の同じ悩みを持つ人達の大きな力になっている。私は、彼の生き方にエールを送りたい。今は苦しく辛いけど夢と希望は持ち続けてほしい。今、彼が願う事は来世で必ず叶う事を信じ、突き進んで欲しい。あなたの未来には素晴らしい光明の世界がある事を。多くの人にやる気と希望を与えて下さい。 合掌

***12.8 真珠湾 75年前日本と大国米国が戦争を起こし(真珠湾攻撃)、多くの犠牲者を出し、いまだにその傷跡が消えない。人間の歴史を遡ると戦争がなかlちゅた試しはない。何故、人は戦争をするのだろうか。永遠のテーマでもあると思う。仏教に十善会戒があり、その中に不瞋恚(ふしんに)がある。簡単に言うと”怒るな”、”少しのことで腹を立てるな”との事である。人間は感情の生き物でもあり、それがマイナスに働くと口論、喧嘩、エスカレートして殴り合い、さらに進むと暴力、戦争と繋がってゆくと思う。そこで自分の感情をコントロールする事が大切になってくる。これは我々お互いが常に心しておかねばならない事で大切な事とも思う。私の祖母が、”あの人はこの程度の人、こういう人と思いない。したら、腹もたたん”との言葉が脳裏をかすめる。良い心の遺産でもあると今は思い、人生の指針でもある。自分の考え方で喧嘩を回避してゆく努力が戦争という大惨事を食い止める事にもつながると思う。ちなみにこの日はお釈迦様が悟りを得られた日でもある。これも何か不思議に思える。

***12.1 師走 今日から師走。気ぜわしさが日毎ましてゆく月でもある。物事ついつい先延ばしするくせのある自分。だが、あとからくるしわ寄せを考えると面倒でもその場で片付ける事を考え実行するのを痛感するのである。朝、すこしでも早く起きて日頃のけんあんを片付ける事を目標にと励む日々である。面倒だ、大変だと思う事からさせていただける体力があると思うように務める今日師走1日である。

***11.30誕生日 今日は、当山の信者総代の81回目の誕生日。その方の若いころから顔なじみついその頃の感覚が抜けてない私。気が付くと81歳である そういう私も比例していい年である。人の事ばかり見てると自分の事は外。自分は年に比例してそれだけの値打ちを出しているのかとも思うこの頃、自分の至らなさに鞭を打って高めていかねばならないところに来たとも思う。あっという間の事でもある。今日で11月も終わり、いよいよ師走。今年の締めくくりの月でもある。できる事はできる時にやるとの思いで気合を入れて明日からは望みたいと思う。

11.15 今日から19日まで高野山での仕事。朝一の列車で博多駅に向かい昼前に山に到着。午後1時からの山での勤め。今日はジ受戒堂でのお授けが担当である。戒法を参拝者に授けるのである。日頃、自分は戒法を実践してるのかと思うと心苦しい。少しでも心にスキができるとすぐ魔が入ってくる私たちの心。だからこそ心の点検が大切。つらく、きつくとも己のためでもある。自分の心の弱さを知ってるのは自分でもある。自分をよりどころとせよと説かれたお釈迦様に尊敬の思いがよぎった。

11.17高野山は今日は0度の気温 まさに冬本番  この厳しい気候のなか1200年前弘法大師空海上人がこの地に真言密教の道場を開かれた事は、私達日本人にとって大きな意味がある。中でも日本で最初の寺子屋を開かれやがて種芸種智院といわれ現在の種智院大学へと発展していった。日本の教育界への影響は多大なものである。そう思うと唯、頭がさがるのみである。

11.18高野山の紅葉は今が見どころ 金剛峯寺前の紅葉も見栄えがした。これを楽しめるのも自然の織り成す技のお陰。ただ、そのお陰に”ありがとうございます” の一語しかない。人間偉そうにしてても自然の力には手足も出せない。唯々、合掌のみである。

11・19 高野山から下は気温が高い 下手すると風邪をひく と言い聞かせ体調管理に警告。そう思い帰路の用意のさなか 午前11時48分。突如としての地鳴りの音、その後、横揺れ”地震だ”と声を上げる。高野山で地震とはやはり南海トラフの関係か。人間だけが生きてるのではない。自然も生きてる証拠。自然を怒らせるとそのツケはとても大きなものとなり、したいほうだい放題の人間に帰ってくるよとの警告にも思えた。正直、地震は恐いの一語。我々日本人の宿命かとも思えた。

11.20 高野山から自坊へ 山とは違う現実。気温のへんかもある。山では朝の9時から午後5時までの仕事。あとは自由。じぼうではそうはいかない全般の事(掃除、お供え、参拝者の対応、お勤め、メール返信や信者さん方の連絡やお礼の電話等)でなかなか思うように行かないこと。そのような多忙さから解放されるのが高野山。 つかのまの休みをありがとうございます。

11.21 早朝から信者さんの家にマンダラを受け取りに行く 自坊に帰りマンダラの開眼供養をしてその後,昼食       信者 さんの喜ぶ顔が目に浮かぶ 。 マンダラは、当山の大師堂に新たにお祀りする事となり、その信者さんも大変、喜んであった。このマンダラは、信者さんの母親が大層信心家で得度を受け僧侶の資格も持ってた方。彼女が今年8月に他界。その後を息子と娘に託されたそうだが、あいにく2人とも子供がいないとの事。そこで当山に縁がありマンダラが入ってきたのである。さあ、これからその方々の思いを胸にさらにマンダラをしっかり拝みこんでいかねばならないとの思いであった。

11.22 今朝、護摩堂でのお勤めの時、こうして護摩堂ができ護摩が修法できるのも縁ある多くの参拝者、信者さんのお陰であることに深く思いを凝らした。その中には自分と相性の良い人、その反対の人といる。そのような感情を超え、護摩堂建立の事を知り、寄進をされた心はまさにありがたいと改めて感じた。その方々の心は仏さまであると思えた。まさに弘法大師様が説かれてる”即身成仏” とはこの事だと気が付いた。ありがとうございました。 合掌

11.23 今日は祭日。何かしら日曜日と錯覚するようだ。午前11時より隣町の檀家さん宅で1周期と三回忌の法事の予定なので10時には寺を出ないとと思い用意に専念。人の死はあっというまである。生前の事を色々耳にする。なくなると相手の欠点もその人の個性と映るようで不思議である。そう思うと生きてる事の意味が自分なりに答えが出てくるように思える。死ねば皆仏様との事である。だから人は皆仏の心を持ってるという事である。 合掌

11.24 今日は地蔵様の縁日。午前は寺で阿字観瞑想を行い、午後からは唐津の信者さん宅へお参りに出かけた。地獄へ落ちてそのくるしい中でもしっかり生前の罪を懺悔して、精進してればどこからか救いの手がでてくるとの事を思い出した。その方が地蔵様だと。唐津からの帰りが夕方6時すぎ、途中トイレ休憩してからふとライトをつけて運転しないといけないのにライトを消して運転したらというバカな考えが頭を過ぎり、少ししてみたら怖かった。光明真言、地蔵菩薩の真言を運転中唱える事でぶじ7時半過ぎに寺まで帰りついた。ありがとうございました。

11.25 今日の夕方より水巻町の弟子の所へ出かけた。それも27日の日曜に弟子さんとこの柴灯大護摩があるのでご宝前とお供え物を届けるこ事であった。その弟子さんも74歳。体もいろいろとがたがきて来年は、柴灯大護摩ができるかわからないとつぶやいてた事を思い出す。”色即是空 空即是色”とまさに諸行無情である。 さあ、どう生きるか。私も自分の人生の締めくくりも考えていかねばならない。良い人生であったと思い卒業式を迎えるために。

11.28 今日は不動明王の日。久々護摩を修法させて頂いた。トイレ札、台所の札、家内安全札、方除札と拝む札が多い。何かと28日は忙しいと思う。その忙しさも不動明王がそうさせてるのかもしれないと思う。楽な事はさせてくれない。何かと面倒で大変なことを与えてくれるような気がする。クリアすればどことなく清々しい気持ちにもなる。それが快感に感じる事がある。これも修行と思う今日である。